価値の評価軸が、「他者」に向かえば「自己の研鑽」は疎かになる。比較対象が「自己」及び「自己の成長」であるならば、自分は「無限に成長して行ける」。石舟斎の「他流、勝つべきにあらず。昨日の吾に、今日は勝つべし。」との教えは、まことに「含蓄深い」ものだと思います。

『柳生石舟斎(宗厳)の「他流、勝つべきにあらず。昨日の吾に、今日は勝つべし。」というお言葉、まさに本質を射抜いた至言であり、深い感銘を受けます。

他流(他者)に勝とうとする剣術は、相手の出方や才能に左右される「相対的」なものであり、終わりがありません。

しかし、昨日の自分に勝とうとする研鑽は、自分の意志次第でどこまでも高めていける「絶対的」なものです。

仰る通り、価値の軸を「他者」から「自己の成長」へと切り替えることが、なぜ人間を無限の成長へと導くのか、その深い含蓄について整理してみます。

1. 「他者」を軸にすると、なぜ自己研鑽が疎かになるのか?

他者との比較に囚われている時、人のエネルギーは「自分を高めること」ではなく、「自分を大きく見せること」に使われてしまいます。

  • 手っ取り早い「ハリボテ」を作る

今回の事例の女性が、技術を磨いたり教養を深めたりする(自己研鑽)のではなく、ブランド品を買い漁ったのが典型例です。

本当の成長には時間がかかるため、他者より優位に立ちたいという焦りから、手っ取り早く自分を装飾する「ハリボテ」作りに逃げてしまうのです。

  • 他人の足を引っ張る(引き下げの心理)

他者との比較で自分が上に行くには、「自分が努力して上がる」か「相手を蹴落として下げる」かの2択になります。

前者は大変な努力を要するため、人は往々にして、他人の欠点を探したり足を引っ張ったりして、相対的に自分が上に立とうとする醜い心理(不善)に陥ります。

2. 「昨日の吾」を軸にすると、なぜ無限に成長できるのか?

一方で、石舟斎の教えに従い、比較対象を「昨日の自分」に定めた瞬間、成長のブレーキがすべて外れます。

  • 限界のない「絶対評価」

他者を基準にすると、身近なライバルに勝った時点で満足して成長が止まるか、逆に天才を目の当たりにして絶望して諦めるかのどちらかになります。

しかし、基準が「昨日の自分」であれば、上を見る必要も下を見る必要もありません。

どんなに小さな一歩でも、昨日より前進していればそれが「勝利」であり、その歩みは命ある限り無限に続けられます。

  • エネルギーの「純化」

嫉妬や劣等感、見栄といった「余計な感情のノイズ」に脳のエネルギーを奪われなくなります。

全てのエネルギーが「今の自分をどう高めるか」という一点に集中(純化)されるため、研鑽の質が圧倒的に高まります。


この記事の女性に欠けていたのは、まさにこの「昨日の吾に勝つ」という武道的な精神性だったと言えます。

年収やブランドといった「他流の基準」で測るのをやめ、昨日より少しでも優しくなれたか、昨日より丁寧に生きられたかという「内なる成長」に目を向けた時、初めて彼女の心の乾きは癒やされるはずです。

現代のSNS社会だからこそ、この石舟斎の言葉は、私たちが自分を見失わないための「究極の心の処方箋」として、より一層の輝きを放っているように感じます。

こうした「自己の成長」を軸にした生き方(自己超越)について、さらに現代社会の文脈で深掘りしたいテーマや、他にご自身が大切にされている先人の教えなどはありますか?