日本の戦略的課題:歴史的教訓と包括的な戦争理解の必要性 (Irregular Warfare Initiative)
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『2025年12月23日 / 最終更新日時 : 2025年12月23日 軍治
さて、令和7年度の補正予算を審議した臨時国会の閉会に伴う高市総理大臣の記者会見において「安全保障環境の激変を踏まえ、「防衛力の抜本的強化」を、我が国の主体的判断によって実施していく必要があります。そのため、来年中の「戦略三文書」の改定に向けた議論を加速させます」との発言があったように、国の安全保障にかかわる政策が議論されていくことになるのだろう。
今回紹介するのは、国の安全保障、その中でも防衛に関する議論がこれまで十分とは言えなかったという立場から論じた非正規戦イニシアチブ(Irregular Warfare Initiative)に掲載された日本人の方の論稿である。
日本で国家の安全保障、特に防衛(軍事)に関する議論が進まない背景を歴史的背景や国民の意識から考察し、今後変わっていく上での提言を簡潔に述べたものといえる。特に学術的側面からの変化の重要性を説いている。
また、執筆者は自衛隊にも所属していた方のようで短い期間の経験しかしていないが、経験の深い浅いに関わらず素晴らしいお考えをお持ちの方だと感じる。現職の自衛官の中にもこのような方が多くいることが想像されるところである。個々人の階級・職責に関わらず防衛(軍事)を含めた国の安全保障の議論がいろんな場所で行われることを期待するものである。(軍治)
画像:OpenAIのDALL-Eによって生成(2025年12月)。
日本の戦略的課題:歴史的教訓と包括的な戦争理解の必要性
Japan’s Strategic Challenges: Historical Lessons and the Imperative for Comprehensive War Understanding
December 16, 2025 by Ryota Akiba
編集者注: 本稿は、非正規戦イニシアチブ(Irregular Warfare Initiative)の 2025年ライティング・コンテストに応募されたものである。このコンテストでは、米国とそのパートナーが非正規戦をどのように活用して、インド太平洋諸国間の安全保障協力を強化し、信頼関係を構築し、強靭性・復元性(resilience)を強化できるかを探求する論文が募集された。本稿は、歴史叙述、社会意識、そして学術改革と、現代の非正規戦の課題に対処する日本の能力を結びつけ、日本と戦争の関係の変遷を繊細に考察している点で際立っている。
執筆者のアキバ・リョウタ(Ryota Akiba)氏は、特殊作戦と低烈度紛争(LIC)を専門とする独立研究者である。ミドルベリー国際大学院モントレー校で不拡散・テロリズム研究の修士号を取得。また、米国国防総省ダニエル・K・イノウエ・アジア太平洋安全保障研究センターでインターンとして特殊作戦に関する研究に従事した。陸上自衛隊北部方面情報部隊(Intelligence Unit)での勤務を経て、現在も独立して研究を続けている。
日本は戦略的な岐路に立たされている。第二次世界大戦から80年が経った今もなお、日本は安全保障のアイデンティティを平和主義と感情的な記憶に求めている。かつては国家を安定させていたこの伝統は、今や国家を制約するリスクをはらんでいる。日本は世界トップ5の経済大国であり、この地域における米国の最重要同盟国であり、自由で開かれた国際秩序の維持に不可欠な支柱となっている。地理的には中国、朝鮮半島、ロシアに近接し、5万5000人以上の米軍部隊を駐留させていることから、地域の抑止力と迅速な対応能力の中核を担っている。紛争の瀬戸際で繰り広げられる大国間の対立が激化するインド太平洋地域において、日本はもはや戦争をタブー視したり、戦略的探究を控えることが安全につながると考えたりすることは許されない。望むと望まざるとにかかわらず、日本はこの状況において重要な役割を担っている。
日本が大規模紛争に躊躇する理由は、戦後日本の言説に根ざしている。戦争は戦略的探究の対象ではなく、道徳的なタブーとして扱われてきた。国民の言説は、同じ過ちを繰り返さないよう被害者意識と感情的な記憶を強調する一方で、学術機関は過去の戦争の遺産に対する責任から、未来志向の戦争研究から距離を置いている。その結果、日本は現代の安全保障環境における戦争の政治的機能について、一貫した理解を築くのに苦労している。
以下の分析は、日本の戦争に対する国家的な姿勢が、歴史における3つの主要な時期、すなわち(1)第二次世界大戦の起源、(2)第二次世界大戦後の時代、そして(3)現在の大国間競争の時代においてどのように発展してきたかを検証する。この軌跡を理解することは、日本の現在の非正規戦へのアプローチを理解する上で不可欠であり、過去を振り返ることによってのみ、日本は未来へのより明確な道筋を描くことができる。本分析は、日本が戦争についてより効果的な考え方を発展させ、今後の課題に備えられるよう、いくつかの重要な改革を概説することで結論づけている。
1: 第二次世界大戦の起源:戦略的到達目標の欠如
第二次世界大戦中、日本には統一された国家戦略が欠如していた。大日本帝国陸軍と大日本帝国海軍は、包括的な戦略的枠組みや明確に定義された国家目標を持たずに、想定される敵国に対し、それぞれ個別に作戦行動を展開した。近代戦では一般的に階層構造が採用され、戦略が作戦や戦術を導き、政治目標を達成するが、日本のアプローチは作戦上の成功に過度に重点を置いた。この考え方は日本の軍指導者に深く根付き、最終的に日本が首尾一貫した戦争を遂行する能力を損なった。
この考え方は、過去の軍事作戦、特に1904年から1905年にかけての日露戦争における成功に端を発している。この紛争(conflict)において、日本は白兵突撃(bayonet charges)と海軍の火力によって決定的な勝利を収めた。この勝利は、短期的な勝利志向と、陸海両における決戦によって戦争に勝利すべきだというドクトリンを助長した。このドクトリンは軍を支配し、国家目標が明確に定義されていなかったとしても、戦術と作戦の卓越性のみが国家目標の達成を可能にするという信念を育んだ。
このドクトリン上のバイアスが制度化されると、日本のその後の戦略的選択に影響を与え、第二次世界大戦中、連合国、ロシア、中国との多正面戦(multi‑front warfare)への備えが不十分なまま日本は敗退した。紛争の間(during the conflict)、国の資源、人員、兵站は逼迫していたにもかかわらず、軍の指導者たちは作戦上の勝利のみが敵対者を屈服させると考え続け、より広範な戦略的・政治的考慮を覆い隠した。
第二次世界大戦が激化し、長期戦の見通しが明確になるにつれ、日本は総動員体制(total mobilization)の強化に努めた。1938年、帝国政府は戦争遂行に不可欠な人的・物的資源を中央集権的に管理するため、国家総動員法を制定した。この法律に付随する国家プロパガンダは、戦争を正義と、国家への奉仕を崇高な義務と描写した。男性は徴兵され、女性と若者は勤労動員され、学生たちさえも前線に派遣された。科学研究は、熱帯医学、ジェット推進、音響・電波兵器、非常食など、軍事ニーズに重点的に振り向けられた。
民間人は、広島と長崎への壊滅的な空襲、そして沖縄での地上戦を含む広範囲にわたる空爆の標的となった。家族は愛する人たちが遠く離れた戦場へ送られ、その多くが二度と戻ってこないのを見届けた。戦時下の日常生活に溶け込む中で、友人、親戚、隣人を失ったことは、戦後世代にとって決定的な経験となり、国民の心(the national psyche)に深い心の傷跡を残した。
戦争中の戦略的到達目標(strategic goal)の欠如、そして根深い軍規と無批判な作戦思考に起因する広範な人的損失が相まって、戦後の言説は政治的・軍事的分析を避けるものとなった。その代わりに、戦争は感情的な反省と道徳的非難の対象となった。この負の遺産は、日本が戦争を政治的手段として扱うことに消極的であったことの一因となり、現代の戦略的議論に概念的な空白(conceptual void)を残している。
2: 第二次世界大戦後:戦後日本における戦争のタブー
第二次世界大戦での敗戦後、日本社会は深刻な反省に直面した。紛争(the conflict)を生き延びた人々の多くは、愛する人を失ったり、壊滅的な状況を目の当たりにしたりしたが、彼らは「戦争は二度と繰り返してはならない。だからこそ、戦争は語り継がれなければならない」という道徳的責務を心に刻み込んだ。この感情は、戦後の公共言説の根底にある規範となった。
戦時中の指導者の生存者が皆無だったことが、この沈黙をさらに強固なものにした。日本の戦争遂行を指揮した者の多くは、会戦で亡くなり、自害し、あるいは戦争犯罪人として処刑された。日本の戦時中の決断の背後にある論理を明確に述べる権威ある人物がいなかったため、国民の言説(public narrative)は被害者意識に傾倒した。国民は、紛争の勃発や激化における国家の役割を直視するのではなく、自らを遠く離れたエリート層が始めた戦争に巻き込まれた受動的な被害者とみなすようになった。
この枠組みは文化的なものだけでなく、制度的なものでもあった。例えば、日本を代表する学術諮問機関である日本学術会議(the Japan Science Council)は、軍事開発や戦争関連の応用に寄与する可能性のある研究を正式に禁止していた。戦後の反省と将来の軍事化を阻止したいという願望に根ざしたこの方針は、戦略的研究を事実上、主流の学術研究から排除していた。大学は歴史分析以外の軍事関連の研究を避け、政治学や国際関係学といった分野では、戦争というテーマを全く扱わないことが多かったのである。
その結果、日本の戦略的リテラシーは未発達のままである。戦争は政治的手段や分析の対象としてではなく、嘆き悲しむべき道徳的失敗として扱われている。このタブーは、現代の安全保障上の課題、特に戦争の政治的・戦略的側面に関する繊細な理解を必要とする課題への日本の取り組みを制約している。
3: 大国間競争の時代:脆弱なパートナー国
しかし、日本のアプローチは静止したままではない。最近の動きは意味のある動きを示している。大国間の競争の現実に対応するため、日本はいくつかの重要な措置を講じてきた。例えば、重要なサプライ・チェーン、インフラ、そして新興技術の保護を狙った経済安全保障法が成立した。また、同盟国との軍事協力や演習を拡大し、宇宙戦(space warfare)、サイバー戦(cyber warfare)、電磁戦(electromagnetic warfare)、認知戦(cognitive warfare)といった戦略的ドメインにも焦点を広げている。さらに、防衛能力(defense capacity)を強化するために防衛予算を増額し、変化する安全保障環境に適応するため、防衛・安全保障政策の包括的な見直しに着手した。
こうした取り組みにもかかわらず、公の議論や政策立案における確固とした戦争理論の欠如(the absence of robust war theory)は、日本の安全保障環境の形成において、積極的ではなく受動的であることを余儀なくさせている。現代の紛争は多次元化し、政治、文化、社会、そして情報のドメインが融合している。平和と戦争の境界は曖昧になり、影響力と正当性は今やハイブリッド戦(hybrid warfare)や非正規戦(irregular warfare)の中心となっている。この変化は、戦術的調整を超え、戦略的理解を包含する概念的アプローチを必要としている。
このような状況下において、日本は依然として戦略的に脆弱な立場にある。戦後の日本の被害者意識は歴史的に重要な意味を持つものの、戦争の感情面や作戦面を強調し、その戦略的側面への関与を限定している。国民の言説は戦争を政治的手段として捉えることを避け、学術機関は歴史的配慮から未来志向の戦争研究から距離を置いている。その結果、日本の戦略的リテラシーは未発達のままである。
大国間の競争を効果的に乗り切るためには、日本は戦術的・作戦的な適応にとどまらず、クラウゼヴィッツが提唱したように、戦争を全体的な現象(a total phenomenon)として捉え、非正規戦を中核的な戦略的関心事として認識する必要がある。そのためには、政策改革だけでなく、文化的転換(cultural shift)と知的転換(intellectual shift)も必要となる。戦略的探究は、国家の強靭性・復元性(national resilience)の正当かつ不可欠な部分として、再び取り戻されなければならない。
推奨される主要な改革
現代の紛争の複雑な現実、そしてその中で日本が直面する特有の課題に対処するためには、戦争を社会全体を包含する政治現象として捉え、学術的にも国民的にも理解を深める必要がある。安全保障と戦略戦争を研究する日本最大の政府機関である防衛研究所(NIDS)には、わずか90名の研究者しかいない。米国や英国の機関と比較すると、この人数は依然として比較的小規模である。その理由の一つは、多くの研究者が日本の平和主義イデオロギーや現在の政策枠組みを支持する傾向があるためである。現在、日本の大学の研究は、戦争そのものの概念研究よりも、軍民両用技術に重点を置く傾向がある。
したがって、軍事的側面を超えて戦争を研究するための強固な学術環境(robust academic environments)を構築することは、既存のギャップを埋め、日本のグローバルな安全保障パートナーとしての役割を強化するために不可欠である。このビジョンを行動に移すために、日本は国際的な意見交換(the international exchange of ideas)と、あらゆる側面における戦争研究のための国内の学術基盤(the domestic academic foundation for studying war)の両方を強化する、相互に補完し合う2つの改革を推進することができる。
- 国際的な交流
日本の研究者が、特に戦争経験の豊富な国々の、主要な戦争理論研究機関と連携できるプログラムを拡充することは、理論的枠組みと応用的枠組みの双方への道を開くことになるだろう。国内の制約に対処しつつ、戦争研究と分析における持続可能な能力を構築するために、奨学金、資金、そして交流プログラムの拡充は不可欠である。
- 学術エコシステムの開発
非正規戦を含む戦争を研究するための学際的な学術環境を構築することで、研究者は多様な分野を通して戦争の複雑さを探求することが可能になる。認知とバイアスに重点を置くコミュニケーション研究は、ナラティブ(narratives)がどのように認識や意思決定を形成し、紛争の力学(conflict dynamics)に影響を与えるかを明らかにする。歴史学と文化人類学は、蓄積された歴史が社会や国際的な対応にどのような影響を与えるかを明らかにする。旧陸軍中野学校のような機関の実務を再検証し、学際的な研究と並行することで、ハイブリッドな脅威への対処能力を高め、グローバルなパートナーシップを強化するための重要な洞察が得られる。
結論
日本の将来の安全保障は、コンセプトとしての戦争から距離を置くことではなく、戦争を恐怖ではなく先見性を必要とする政治現象として理解することにかかっている。紛争をあらゆる側面から研究するための知的基盤を構築することは、軍国主義への回帰(a return to militarism)ではなく、国家の責任ある行動(an act of national responsibility)である。非正規戦、ハイブリッド戦、認知戦、情報戦といった現代のあらゆる戦態に立ち向かうことで、日本は消極的な参加者ではなく、インド太平洋秩序の形成において思慮深く有能な担い手としての立場を確立する。
本稿の見解は執筆者個人のものであり、不規則戦争イニシアチブ、プリンストン大学紛争実証研究プロジェクト、ウェスト・ポイント現代戦争研究所、または米国政府の公式見解を反映するものではない。
カテゴリー
国際情勢、自衛隊』