※CNNによると、インドネシアでキリスト教に対する悪口を発信し続けていたインフルエンサーが、…。
https://st2019.site/?p=22923
『※CNNによると、インドネシアでキリスト教に対する悪口を発信し続けていたインフルエンサーが、懲役2年10ヵ月の量刑を言い渡された。
そうした活動の背後で、特定国内の分断、特定同盟の分断を推し進めている黒幕が誰なのか、アタマを使って考えることだ。
「F-35にはキルスイッチがある」という都市伝説も、とつぜん、各国一斉に湧いて出てきた。』
※CNNによると、インドネシアでキリスト教に対する悪口を発信し続けていたインフルエンサーが、…。
https://st2019.site/?p=22923
『※CNNによると、インドネシアでキリスト教に対する悪口を発信し続けていたインフルエンサーが、懲役2年10ヵ月の量刑を言い渡された。
そうした活動の背後で、特定国内の分断、特定同盟の分断を推し進めている黒幕が誰なのか、アタマを使って考えることだ。
「F-35にはキルスイッチがある」という都市伝説も、とつぜん、各国一斉に湧いて出てきた。』
JDヴァンス副大統領には Nate Vance という名の従弟がいる。
https://st2019.site/?p=22923
『Jessica Rawnsley 記者による2025-3-10記事「JD Vance’s cousin criticises him for ‘belittling’ Zelensky」。
JDヴァンス副大統領には Nate Vance という名の従弟がいる。ネイトは3年間、義勇兵としてウクライナ軍に身を投じていたが、月曜日にBBCのインタビューに答えた。
先のオーバルオフィスでの醜態。マスコミのTVカメラの前で他国の元首を公然とけなすとは。トランプとJDは、まさしくプー之介にとっての「役に立つ馬鹿(useful idiots)」の役割を演じていた。』
局地戦闘機の僚機間で、データを共有する達人は、スウェーデン空軍だ。
https://st2019.site/?p=22923
『Bill Sweetman 記者による記事「More Than Ever, Airpower Will Depend on Sharing Data」。
有人機と無人機の統合運用が、重い課題になっている。これが近未来の航空作戦の運命だからだ。
無人機は、数が多くなり、しかも1機が重武装するようになる。それらを安価に大量生産できなくてはならない。やたらに消耗するものだからだ。
前線ではそれらが戦う。有人機は、後方からそれらを操るのである。
操る人には、リアルタイムで、「全体像」が見えていなければならない。さもないとチーム戦力が発揮されないので。
同僚がどこでなにをしているか。それが同時に把握されていないと、協働などできない。
局地戦闘機の僚機間で、データを共有する達人は、スウェーデン空軍だ。彼らは30年も前からそれをやっている。
2機の戦闘機が、前後に数十km離隔して、コンビとして飛ぶ。後方の戦闘機がレーダー波を出し、前方の戦闘機はレーダー波を出さずに受信だけする。
編隊は、4機である。空中の4機のあいだでは、かんぜんにデータが共有されている。特定の1機が、あと燃料をどのくらい余しているか、そんなことも、残りの3機には、わかる。
サーブ社で、「ロー・プロファイル」な未来空戦を研究している男は、元「ビゲン」パイロットのペーター・ニルソン。
スウェーデンの調達庁はFMVというのだが、そこが資金援助している。
知られていないが「グリペン」は高度なステルス設計なんである。それは一朝に獲得されたノウハウではない。
1963年にビル・バーレット(米空軍でステルスを最初に唱道した先覚者)がスウェーデンを訪れて、「ビゲン」を敵レーダーに映り難くする方法を力説した。それいらい、サーブ社内で研究が続けられてきたのだ。
これまた知られていないが、世界で最初に、集積回路ベースの「セントラル・ミッション・コンピュータ」を機載した戦闘機は、「ビゲン」なのだ。1967初飛行の。
その40年後、サーブ社は、飛行制御系と、ミッション・コンピュータを、分離することにした。そうすることで、ミッション・コンピュータのソフトウェア・アップデートを迅速化できるからだ。
いまや、ノースロップグラマンの「B-21」や、ラファールの「F4」も、サーブ社に続くようになった。他者から模倣されることこそ、最高の賞讃だと思うべし。
データリンクの実用化でも、スウェーデン空軍が世界にさきがけた。1950年代、400km先から輻射されるソ連の妨害電波は強力で、軍用機のボイス通信はほとんど不可能であった。
そこで「ドラケン」には、黎明期の「空地間データリンク」が実装された。この事実は厳秘にされ、ソ連は知らなかった。
コクピットの表示も偽装され、見掛けは、別なバックアップ計器であるかのようになっていた。したがって、西側友好国空軍からの客人にも、それは分からなかったのである。
ドラケンを1979に更新したビゲンには、4機編隊間でのデータリンク・システムが搭載されていた。これに米空軍がやっと追いついたのが、2005年の「F-22」である。それはNATO共用の「リンク16」よりも、やりとりが高速にできる。
高度なデータ・リンクは、最も前方に出る味方機が、みずからはレーダー波を出さなくても、敵機の未来位置を承知できるようにできる。その未来位置に向けて空対空ミサイルを発射すれば、敵機は、わけもわからないうちに、虚空からの奇襲を喰らって散るのである。
グリペンの編隊内データ・リンクは、僚機の残燃料と残兵装を、他の3機に知らせてくれるようにもなった。「F-35」よりも20年早く、それを実現したのだ。
最新のグリペンは、1機に40個の異なるアンテナが装置されていて、テラバイト・サイズの情報を集める。それが4機編隊になってデータを交換すれば、シチュエーション・アウェアネスに不安は無い。
できればアクティヴ・レーダーを一度も使わずに空戦したい。使うとしても編隊の中の1機だけが、ここぞという一瞬だけ使うようにしたい。その理想を、スウェーデン空軍は、近未来の無人機で、実現するつもりだ。
たとえば、空対空の長射程ミサイルには、データリンクが必要である。しかし、そいつにデータを送る機体は、発射母機である必要はないのだ。』
完璧主義のメリット/デメリットと3つのデメリット対処法
https://kaikaku-komiya.com/productivity325-strengths-and-weaknesses-of-a-perfectionist/






『2023/06/08
投稿者紹介
小宮幸久写真
小宮幸久(こみや ゆきひさ)
長年、大手鉄鋼会社及び関連企業、米国鉄鋼会社にて勤務。仕事のテーマは、一貫して生産性の向上および運営。生産部門、開発部門、管理部門、経営部門において活動。何事につけても「改革しよう」が、口癖。現在は、気ままな「おっさん」。日本経営士会会員。(経営士会)趣味:市民レベルのレガッタ、ゴルフ。』
『完璧主義のメリット/デメリットと3つのデメリット対処法
「無失点で抑えていたのに、1点取られた途端ボロボロになるプロ野球の投手」
「満点の資料を作ろうとして、締め切りに遅れてしまう社員」
「完封勝利」を目指して頑張っていたのに失点した途端、緊張の糸か切れて、その後に四球連発したり、安打を許してしまったりするパターンを繰り返す投手。「完璧な資料」を目指して、いつも時間を使い過ぎてしまう社員。
こんな人々のことを本人が自覚してようが、いまいが、周囲は「完璧主義者」と呼ぶことがあります。完璧主義とは、自分に高い基準も設け、結果のみならず、その過程も含めて、完璧にやろうとすることです。
完璧主義は、常に最高の品質、生産性を追求しようとし、細部にまで注意を払い、優れた結果を生み出すことができるメリットがあります。物事を徹底的に検証する傾向があり、ミスやエラーを最小限に抑えることができ、お客様や他の社員から高い信頼性を得ることができます。また、プロフェッショナルな態度で、仕事に真摯に取り組み、他の人から尊敬されます。
その一方で、完璧主義には、少なからずデメリットがあります。
自分自身に非常に厳しい要求を課す傾向があり、常に完璧な結果を求めるため、ストレスやプレッシャーがかかります。自分自身に対して非常に高い目標を掲げ、そのため自己評価が厳しく、自信を失ったり、行動を躊躇したりすることがあります。
また、細部にこだわりすぎる傾向があり、仕事が遅れて納期に間に合わないといったことが起きます。時には、最後の結果が出る前に、途中結果に落胆し、その後のパフォーマンスを低下させてしまうことがあります。
以上のように「完璧主義」は、大きな成果を上げる可能性がある反面、うまく行かなかったときに精神的ダメージを受け、本来できることまでできなくなるリスクを含んでいます。
完璧主義の弊害を出さずに、高い目標を掲げて行動するためのポイントがあります。
1)目標をプラス思考で捉える
2)ミスを受け入れる
3)全体最適を意識する
完璧主義は、本人が自覚していなくても、「うまくやろう」とする気持ちが強いと陥り易い精神状態です。上記3つのポイントを考慮して、完璧主義の弊害を避けて、高い目標を達成することを期待します。
『脱』完璧主義! ~ラクに生きるための処方箋~: 疲れたココロとカラダを解放する がんばらない戦略 キンドルカウンセリングシリーズ
目標をプラス思考で捉える
完璧主義の大きな弊害は、目標達成を目指す過程で、大きなプレシャーを受け続けることです。完璧主義では、「何もかも、うまくやろう」という意識が強く働いています。だから、成果が上がります。
問題なのは、
「うまくやりたい」
と前向きに考えるのではなく、
「失敗したくない」
とマイナス面から考えてしまうことです。
失敗に対する、不安や恐怖心から、「絶対に失敗してはいけない」という気持ちが生まれ、更に「失敗したときの批判を避けたい」という不安や恐怖心が増幅します。完璧な結果を追求する過程で、マイナス思考は、精神的な負担を限りなく大きくします。
野球のバッターが、
「アウトになりたくない」
「併殺は避けたい」
と思って打席に立つのと、
「ここで打てば、俺がヒーローだ」
と思って打つのとでは、どれだけ気持ちが違うか想像できます。
完璧主義の弊害である精神的プレシャーや不安を軽減するには、目標をプラス思考で持つことです。
ミスを受け入れる
完璧主義の弊害の一つが、「ゼロイチ思考」です。完璧を目指すあまり、「完璧でなければ失敗」と、結果を両極端でしかとらえられなくなる思考です。特にその原因が、自分のミスだと、自分で自分を追い込むことになります。少し足りない点があっても、求められている基準以上の結果を出せればOK、問題があれば後で改善すればいいと「ミスを受け入れる」ことが大切です。
また、完璧主義の人は、自分の思った通りにいかないことが一度でもあると、それだけで続ける気をなくしてしまう傾向があります。
「思っていた方法とは別のやり方もある」
「これまで、やってきたことが無駄になってもいい」
「失敗だって意味がある」
とミスや失敗を受け入れる気持ちを持つことです。
注意が必要なのは、完璧主義の人は、自分に厳しいと同時に他人にも厳しくなりがちになることです。完璧主義では、「他人も自分と同じように完璧を目指すのが当然」という考え方をする傾向があります。自分のミスも他者のミスや失敗も受け入れて、「その後にどうするか」に完璧を求める気持ちが重要です。
全体最適を意識する
完璧主義の弊害として、ちょっとしたつまずきで、全てを失ったように感じてしまうことがあります。これは、部分にこだわっているからです。全体を見ることを忘れているからです。
例えば入学試験で、高得点を目指して1問目から問題を解答していき、何問目かの問題でつまずくと、その問題にこだわり時間が足りなくなることがあります。
受験指導では、「試験問題全体にまず目を通し、できる問題からかたづけなさい」と言われますが、その問題ができないばっかりに冷静さを失い、アタフタする人がいます。入試の合否は、総合点で決まるという「全体最適」を見失わないことが大切です。
完璧主義の人は、細部まで完璧を求めるあまり、時として本質から外れた枝葉末節にばかり目が向き、全体を俯瞰するという視点を忘れることがあります。
その結果、
「重箱の隅をつつく」
状況に陥ります。
また、すべての物事を完璧に仕上げたいという思いから、持っているすべての課題が気になってしまいがちです。それほど重点を置かなくていいことにまで力を入れすぎ、余計な時間をかけてしまうと、心身ともに疲れてしまいます。
仕事や生活において、全体最適を意識し、優先順を考えて行動することが重要です。
参考記事:いちいち注意されることは、「重箱の隅をつつく」なのか?「氷山の一角」なのか?
まとめ
「完璧主義」は、大きな成果を上げる可能性がある反面、うまく行かなかったときに精神的ダメージを受け、本来できることまでできなくなるリスクを含んでいます。完璧主義の弊害を出さずに、高い目標を掲げて行動する際の3つのポイントがあります。
1)目標をプラス思考で捉える
2)ミスを受け入れる
3)全体最適を意識する
完璧主義は、本人が自覚していなくても、「うまくやろう」とする気持ちが強いと陥り易い精神状態です。完璧主義の弊害を避けて、高い目標を達成することを期待します。
参考記事:必ず「努力は報われる」のではなく、「正しい努力だけが報われる」
会社の業務や生活で、有効な「時間の使い方」を実現するための4つのステップ』
地方DXを成功させるエレメントは「6+1のNO」–計画や実行フェーズでポイントになる考え方
https://japan.cnet.com/article/35198403/




『根岸やすゆき (ランサーズ)2023年01月12日 10時00分
前回、「全国行脚で実感した、地方が求める真のDX–「効率よりも売上」の本音に向き合う」と題して、地域が求める真のDXについて寄稿させていただいた。さまざまな地域に足を運び、中小企業の経営者、自治体の方々と対話するだけでなく、実際に行動に移してきた。まだごく一部の企業や地域だけではあるものの、実行したプロジェクトはすべて成功している。もちろん筆者だけで実現したわけではない。自治体の方、地域企業の経営者、一緒にプロジェクトを推進したフリーランスたちの力の賜物である。
一方で、上手くいかなかった地域や企業もある。正しくお伝えするならば、上手くいかなかった以前に、実行に発展さえしていない。成功も失敗もできていない。その差は何か。地域、業種、課題、企業など、毎回違いはあるものの、成功するプロジェクトには共通の要素がある。今回はそのエレメントをまとめてみた。
なお、予めお伝えしておきたいのは、一般的なマーケティング論や新規事業の立ち上げスキルといった内容ではなく、成功しているケースとそうでないケースの差分に関するTIPSである、ということを踏まえて説明していく。
※出典元:筆者作成
※出典元:筆者作成
結論から先に説明すると、上記の図のとおりになる。改革の計画を立てるフェーズと、それを実行するフェーズに分かれて、それぞれ3つずつ要素がある。このうちどれかひとつでも当てはまると、成功確率がぐんと下がる。というよりも、話が進まないので、成功も失敗もできないケースが多い。逆に、すべてクリアすればどんな状況でも打破できるだろう。
以下にひとつひとつ解説していきたい。
地方DX成功のエレメント -計画フェーズ-
まずは、計画フェーズのエレメントから紹介する。
※出典元:筆者作成
※出典元:筆者作成
◆NO先入観
どこに言っても一定以上耳にする声がある。「いや、うちには魅力なんてないよ」。ハッキリ言ってそんなことはほとんどない。ただ、人には慣れがある。日常的なことは特別感がないから、本当は魅力的でもそれを感じづらいこともあるだろう。
解決するには、先入観のない人の目を入れることだ。一番手っ取り早いのが外部の目。特に、その地域をあまり知らない人だ。思い入れが予めあったり、足を運ぶ前にいろいろ詳しく知ってしまうと素直な視点に欠ける可能性がある。だからこそ筆者は、手がけてきたプロジェクトについて、交通手段以外の下調べは一切しなかった。無責任・不真面目と思われることもあるのだが、先入観のなくす意図があってのことである。
【POINT】
魅力がない地域や企業なんてない。気づけていないだけ
予備知識のない外部の目を入れよう
◆NOバズワード
「DXをせねば」「デジタルトランスフォーメーションしなければ」といったバズワードは廃れるもの。いちいちそんな言葉に右往左往する必要はない。ただ、そのワードがバズるには何か理由がある。本質は何だろうか。バズワードを辞書で引いて意味を調べたまま理解するのではなく、その単語がなぜ広まっているのかを考えることは大切だと考えている。
ちなみに、DXは、デジタル化はあくまで手段であり、時代の変化にあわせた大胆な構造改革が必要な状況になっているということだと筆者は理解している。だからこそ勝手に、「大胆(Daitan)トランスフォーメーション」だと伝え続けている。
【POINT】
流行はすぐ廃れる。でも流行する背景をしっかり考えることは大切
大胆に事業の構造改革を実行することが求められている
◆NO前例表面模倣
前例を参考にすることは悪くない。ただ、得てして前例の事象をそのままマネしがちだ。場所も時間も内容も手がける人も、何もかも違うのに、なぞるように実行しても上手くいかない。きっと、誰もがそんなことは分かっていると思う。
なぜそのままマネしようとするのか。それは、意思決定者やステークホルダーに説明しやすいから。だが、本当に大切なのは説明よりも実現することにあるはず。いろんなことが曖昧になっている現代ではなおさらだ。だからこそPDCAからOODAループと言われたりもする。前例そのものを模倣するのではなく、その前例が成功した背景をじっくり観察し、決断していく。そのための参考材料として扱おう。
【POINT】
成功事例は参考にしたい。でもそのままマネしても上手くいかない
模倣すべきは、成功要因の背景。それを自分たちに置き換えて活用する
地方DX成功のエレメント -実行フェーズ-
続いて、実行フェーズのエレメントについて。
※出典元:筆者作成
※出典元:筆者作成
◆NO自前主義
自分では出来ないし、出来る社員もいない。できる人も知らない。だから仕方ない……。これは本当によく聞く意見だ。それに対して、筆者は「絶対いますよ、ただその人とまだ出会ってないだけですよ」と答えている。インターネットが普及しただけでなく、テレワーク・リモートワークが浸透した現在においては、いくらでも適任の人材を探す方法はある。
【POINT】
自分たちが出来ないことがあってもいい。誰でも得意不得意はある。
自分たちで出来ないこと、すなわち不可能、ではない。
◆NO全体主義
あの人の意見も聞かねば。この人の主張も受け入れなければ……。これもよく聞く話だ。もちろんその人の声をないがしろにしていいわけではない。ただ、筋を通すことと、全部を闇雲に取り入れることは全く別の話。あれもこれもと取り入れると、何の特徴もない実行策になりがちで、すべてが中途半端になる。当然、結果も伴わない。
優先順位をつけることと、誰かや何かを優遇することは全く別。特に改革のスタート時は、断腸の思いで潔くフォーカスすることが大切だ。
【POINT】
ターゲットと領域をセグメントしよう。
改革には順番がある。最終目標から逆引きで決断しよう。
◆NO完璧主義
完成度を高めようとする意識は大切なこと。でも、最初から完璧はあり得ない。ましてや自分たちの考えていることがパーフェクトだなんて、確率論的にはゼロに近いはず。お試しでもいいから積極的にアウトプットし、その反応をみて改良し続けるやり方のほうが時代にもフィットしている。思考だけで100点満点を最初から狙うのではなく、70点かもしれないけど世に出してみる。仮にそれが50点という評価だったとしても、事実をもとにしたほうが改善がしやすいもの。完璧主義のスタンスでいたり、さらに一度や二度上手くいかないからといって止めてしまうよりも、続けて取り組めばちゃんと目標にたどり着ける。
【POINT】
プロトタイプ状態でもアウトプットしよう。
やってみる、やってみる、やって見続ける。
計画フェーズでも実行フェーズでも重要な要素
最後に、計画フェーズでも実行フェーズでも重要な要素について。
※出典元:筆者作成
※出典元:筆者作成
◆NO他人事
筆者が何よりも大切な要素と考えているのは「NO他人事」。本気度が問われると言ってもいい。少しエモーショナルに聞こえるかもしれないが、地域の人も何か施策を実行する人も行政も、このプロジェクトに関わる人すべてが本気で取り組むことが欠かせない。少しでも自分事でない人がいたら、たちまちそこから崩れていく。
余談だが、だからこそ筆者は、プロジェクトに関わる人のコミットメントやコミュニケーションを重視した体制をつくってきた。どんなプロジェクトでも困難は必ず迎えるもの。それを乗り越えようと共創するか、やっぱり難しいと断念するかの分かれ道はそこでしかないと痛感している。
以上が、地方DXを成功に導くエレメント。あくまで筆者の見解ではあるが、2年で全国7万kmを移動し、様々な立場の人と対話し、議論だけではなく実行してきて実感したことや、カッコよく整理された理論ではないが、愚直に実行をしたからこそ得られた手触り感に基づいたものとなっている。地域一体でも、その地域のひとつの企業でも、この要素は活用できると考えているので、もしよかったらぜひ参考にしていただきたい。
2月1日に「福岡実証実験フルサポート事業「離島DXプロジェクト」事例・結果・ノウハウ共有セミナー」と題し、2022年に筆者が手がけた離島DXプロジェクトの成果・ノウハウ発表会を開催する。オンライン・オフラインのハイブリッドで開催するが、オフラインの現地会場では、DXプロジェクトのリーダー陣へ実際に苦戦していることなどを相談し、成功の第一歩となる課題整理を体験できるワークショップも予定している。もっと詳細を知りたい方は是非ご参加いただきたい。
今回は、地方DXにおける地域やローカル企業の成功ポイントを紹介した。エレメントの一部にあるように、外部の仲間を集めることもキーポイントとなるなかで、関わる外部の人はどういう姿勢・視点で取り組めば本当に貢献できるのか。次回は、地方DXに関わる個人側の成功エレメントを紹介したい。
根岸やすゆき
ランサーズCEvO(チーフエバンジェリストオフィサー)
1978年 東京都生まれ。フリーライターとしてキャリアをスタート。2003年、人材総合サービスを展開するエン・ジャパン株式会社に入社。制作部門長、プロ-モーション本部長を歴任。2013年、ランサーズに参画し、取締役CMOを経て、現職。「地方×DXプロジェクト」などのプロジェクト責任者を務め、新しい働き方、新しい組織の育て方、新しい事業の作り方を全国に普及させる活動をしている。働き方系・マーケティング系セミナー登壇実績多数。』
日本の学校の「深すぎる闇」…私たちが「理不尽なこと」を受け入れてしまう「根本原因」の正体
https://gendai.media/articles/-/109892?imp=0



『2023.05.26
明治大学准教授/いじめ問題研究
内藤 朝雄
ASAO NAITO
PROFILE
1962年、東京生まれ。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程を経て、現在、明治大学文学部准教授。専門は社会学。初めての著作『いじめの社会理論』(柏書房)でいじめ発生のメカニズムを解明して注目を集め、『<いじめ学>の時代』(柏書房)では、自身の体験、<いじめ学>誕生までの軌跡を含めていじめ問題を論じ、読者の大きな共感を呼んだ。他の著書に『いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか』(講談社)、『いじめと現代社会』(双風舎)、『学校が自由になる日』(宮台真司・藤井誠二氏との共著、雲母書房)、『「ニート」って言うな!』(本田由紀・後藤和智氏との共著、光文社新書)などがある。』
『「多くの人が意外と知らない『学校』とはなにか…『いじめ』が生まれる『深刻な構造』とは」につづき、いじめ問題の第一人者・内藤朝雄氏がさらなる分析を展開する。
(※本稿は現代ビジネス編『日本の死角』を一部再編集の上、紹介しています)』
『全体主義が浸透した学校の罪と罰
学校は「教育」「学校らしさ」「生徒らしさ」という膜に包まれた不思議な世界だ。その膜の中では、外の世界では別の意味をもつことが、すべて「教育」という色で染められてしまう。そして、外の世界のまっとうなルールが働かなくなる。
こういったことは、学校以外の集団でも起こる。
たとえば、宗教教団は「宗教」の膜で包まれた別の世界になっていることが多い。オウム真理教教団(1995年に地下鉄サリン事件を起こした)では、教祖が気にくわない人物を殺すように命令していたが、それは被害者の「魂を高いところに引き上げる慈悲の行い(ポア)」という意味になった。また教祖が周囲の女性を性的にもてあそぶ性欲の発散は、ありがたい「修行(ヨーガ)」の援助だった。
また、連合赤軍(暴力革命をめざして強盗や殺人をくりかえし、1972年にあさま山荘で人質をとって銃撃戦を行った)のような革命集団でも、同じかたちの膜の世界がみられる。
そこでは、グループ内で目をつけられた人たちが、銭湯に行った、指輪をしていた、女性らしいしぐさをしていたといったことで、「革命戦士らしく」ない、「ブルジョワ的」などといいがかりをつけられた。そして彼らは、人間の「共産主義化」「総括」を援助するという名目でリンチを加えられ、次々と殺害された。
学校も、オウム教団も、連合赤軍も、それぞれ「教育」「宗教」「共産主義」という膜で包み込んで、内側しか見えない閉じた世界をつくっている。そして外部のまっとうなルールが働かなくなる。よく見てみると、この三つが同じかたちをしているのがわかる(図1)。
このようにさまざまな社会現象から、学校と共通のかたちを取り上げて説明するとわかりやすい。あたりまえすぎて見えないものは、同じかたちをした別のものと並べて、そのしくみを見えるようにする。たとえば、学校とオウム教団と連合赤軍をつきあわせて、普遍的なしくみを導き出すことができる。』
『なぜ「理不尽」を受け入れてしまうのか
こうして考えてみると、学校について「今まであたりまえと思っていたが、よく考えてみたらおかしい」点が多くあることに気づく。
これらのポイントに共通していえるのは、クラスや学校のまとまり、その場のみんなの気持ちといった全体が大切にされ、かけがえのない一人ひとりが粗末にされるということだ。全体はひとつの命であるかのように崇拝される。
この全体の命が一人ひとりの形にあらわれたものが「生徒らしさ」だ。だから学校では、「生徒らしい」こころをかたちであらわす態度が、なによりも重視される。これは大きな社会の全体主義とは別のタイプの、小さな社会の全体主義だ(図2)。
大切なことは、人が学校で「生徒らしく」変えられるメカニズムを知ることだ。それは、自分が受けた洗脳がどういうものであったかを知る作業であり、人間が集団のなかで別の存在に変わるしくみを発見する旅でもある。
ある条件のもとでは、人と社会が一気に変わる。場合によっては怪物のように変わる。この人類共通のしくみを、学校の集団生活が浮き彫りにする。
学校の全体主義と、そのなかで蔓延しエスカレートするいじめ、空気、ノリ、友だち、身分の上下、なめる―なめられる、先輩後輩などを考えることから、人間が暴走する群れの姿を明らかにすることができる。学校という小さな社会の全体主義とそのなかのいじめを考えることから、人間の一面が見えてくる。』
『わたしたちは長いあいだ、学校で行われていることを「あたりまえ」と思ってきた。あたりまえどころか、疑いようのないものとして学校を受け入れてきた。
だからこれを読んだ読者は、「こんなあたりまえのことをなぜ問題にするのだろうか」と疑問に思ったかもしれない。だが、その「あたりまえ」をもういちど考え直してみることが大切だ。
理不尽なこと、残酷なことがいつまでも続くのは、人がそれを「あたりまえ」と思うからだ。それがあたりまえでなくなると、理不尽さ、残酷さがはっきり見えてくる。逆にあたりまえであるうちは、どんなひどいことも、「ひどい」と感じられない。歴史をふりかえってみると、このことがよくわかる。
これを読んで心にひっかかっていたものが言葉になったときの、目から鱗が落ちるような体験を味わっていただければと思う。』



『出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
政党政治
政治的スペクトル
政党制
一覧
Portal:政治学
表話編歴
政治的スペクトル(せいじてきスペクトル、英: political spectrum)また政治光譜(せいじこうふ)とは、異なった政治的立場の分布をモデル化した方法の一つで、1つまたは複数の幾何学上の座標軸にそれらを配置することによって、個別の政治的な側面を明確にするものである。学者や視点によって多数の軸や分布図が存在する。
左翼と右翼
→詳細は「左翼・右翼」を参照
従来からの分布には左翼と右翼があり、これは18世紀のフランス革命後の国民議会の座席位置を由来とする。この最も単純な「左翼-右翼」の軸では、共産主義や社会主義は通常は左に、ファシズムや保守主義は反対に右に位置する。リベラリズムは異なった思想や内容を意味するため、時には左に、時には右に配置された。
文化と経済
政治的スペクトルを2軸で表現した例。ノーラン・チャートの一種。
しかし上記の単純な「左翼-右翼」軸だけでは、現実の多様な政治的信条を記述するには不十分なため、学者により他の軸を追加した。複数軸に使用できる一般的な対立軸の用語は色々あるが、文化的(政治的、個人的)な視点と経済的な視点が広く使われている。
右の図の例では、縦軸が個人的(政治的・文化的)な自由度で、横軸が経済的な自由度を表している。ここでは左翼(リベラル)は政治的な自由度が高いが経済的な自由度は低く、反対に右翼(保守主義、資本主義)は政治的な自由度は低いが経済的な自由度は高く、そして両方の自由度が高いのはリバタリアニズム、両方の自由度が低いのはポピュリズム(全体主義)としている。
自由主義と全体主義
Hans Slompによるヨーロッパの政治的スペクトル[1]。各項目はクリック可能。
「左翼 – 右翼」軸に、「自由主義 – 全体主義」の軸を追加した図も、多くの学者により使われている。右の図の例では、上が自由主義(革新)、下が権威主義(保守)である。
この視点では、一般には「極左と極右であり、対極の思想」とされる共産主義(特にスターリニズムやマルクス・レーニン主義)とファシズムは、全体主義(政治的には中央集権・国家主義、経済的には集産主義)の傾向が強いという側面では、共通している。同様に、一般には「極左」とされるアナキズムは、右翼的とも言われる新自由主義と自由主義の傾向が強いという側面では共通している。またアナキズムを社会的無政府主義と個人主義的無政府主義の分類に大別した場合は、それぞれ「極左」と「右翼」に分かれる。
脚注
[脚注の使い方]
^ Slomp, Hans (2000). European Politics Into the Twenty-First Century: Integration and Division. Westport: Praeger. ISBN 0275968146
関連項目
政治イデオロギーの一覧
政治的スペクトルの三角関係(英語版)
表話編歴
政治的スペクトル
表話編歴
政治思想
カテゴリ: 政治的スペクトル
最終更新 2025年2月24日 (月) 07:23 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスのもとで利用できます。追加の条件が適用される場合があります。詳細については利用規約を参照してください。』
【全体主義とは】生まれた理由からアーレントの主張までわかりやすく解説
https://liberal-arts-guide.com/totalitarianism/





























『2019年6月15日 / 2020年10月14日
全体主義(totalitarianism)とは、個人の利益より全体の利益を優先し、個人が全体のために従属しなければならないとする思想。また、カリスマ的指導者が世界を一貫した世界観で語ろうとするのが特徴のことです。
特に哲学者ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』で広く知られるようになりました。
全体主義は、イタリアのファシズムやドイツのナチズム、冷戦中のロシアなどの国家を指す時に使われた言葉ですが、実は「何十年も昔にあった歴史的出来事」で割り切って良い概念ではありません。
全体主義の本質を知ると、それは今でも別の形で起こりうるものだということが分かるはずです。
そのため、全体主義について知ることは、日本という平和な国家で暮らす私たちにとっても、とても重要なことなのです。
そこでこの記事では、
全体主義の意味や特徴、権威主義との違い
全体主義がなぜ、どのようにして生まれたのか?
全体主義について学べる書籍リスト
について解説します。
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1章:全体主義とは何か?
1章では全体主義の意味や特徴など、基本的なことを説明します。
2章では、全体主義が生まれた時代背景について説明しますので、より詳しいことを知りたい場合は2章からお読みください。
1-1:全体主義の意味
もう一度意味を確認しますが、
全体主義とは、個人の利益より全体の利益を優先し、個人が全体のために従属しなければならないとする思想
のことです。
「全体主義」という言葉を使い始めたのは、イタリアのファシズム政権やドイツのナチス寄り知識人達だったそうです。
そして、全体主義的国家として代表的なのも、そのファシズム、ナチズムや戦時の日本のような国です。
また、米ソ冷戦時にはロシアなどの社会主義国も全体主義国家と言われました。
これらの国家は、「全体」の目的達成のために国民の自由や行動が制限され、国民は「全体」つまり国家のために力を尽くすことが求められたのです。
そして、個人の利益は「全体」の目的を達成することでしか得られないとされました。
1-2:全体主義の特徴
全体主義的思想を持つ国家の特徴としては、以下のようなものがあります。
1-2-1:恣意的に作られた世界観・イデオロギー
全体主義の特徴の一つは、権力によって恣意的に作られた「世界観」「物語」「イデオロギー」が国民に共有されているということです。
具体的に言うと、たとえばナチスドイツでは、
ユダヤ人や世界の経済を牛耳っており、彼らのせいで我々ドイツ人は不利益を被っている
ユダヤ人は異分子であり、彼らを絶滅させることでドイツは逼迫した現状を打開できる
と考えられました。
確かに、当時からユダヤ資本は世界経済で大きな役割を持っており、エリートのユダヤ人も多くいました。
しかし、彼らによって世界経済が牛耳られているというのは陰謀論ですし、それを理由に彼らを絶滅させようとするのは反ユダヤ主義であり、いずれも合理的な発想ではありません。
しかし、当時のドイツでは、このような世界観・イデオロギーに国民が飛びつき、頼ってしまうような状況が生まれていました。
そのため、こうした世界観・イデオロギーによってホロコーストのような悲劇が起こってしまったのです。
恣意的に作られた世界観・イデオロギーは全体主義国家の特徴の一つです。
1-2-2:権力を独占する政府やカリスマ指導者
イタリア・ファシズムにはムッソリーニ、ナチスドイツにはヒトラーというカリスマ指導者がおり、戦時日本には権力を独占した軍部がありました。
全体主義国家は、国家権力を掌握しなければ成立しません。
権力を独占しなければ、全体の目的のために国民を動員することなどできないからです。
そのため、必然的に全体主義国家には権力を独占する強力な政府やカリスマ指導者が存在することになるのです。
全体主義国家では、権威主義的政府・指導者が国家を支配します。そのため、民主主義と対立的です。民主主義について詳しくは以下の記事で解説しています。
【民主主義とは】基礎知識・歴史・重要用語をわかりやすく解説
1-2-3:国民の思想・行動のコントロール
全体主義国家は、異分子を徹底して排除する必要があります。
なぜなら、国家に対して異を唱える勢力が大きな力を持ってしまうと、国民に世界観・イデオロギーを共有させることができず、権力を独占できなくなるからです。
そのため、全体主義国家は、
プロパガンダ(マスメディアなどを通じて特定の思想に誘導すること)
言論統制(国家への批判や敵国を肯定することなど、特定の言論を禁止すること)
暴力による支配(国家に刃向かう人間を捕らえ罰を与えるなど)
といった手段を使う傾向があります。
1-2-4:計画経済
全体主義国家は、国家の目的(たとえば隣国の支配、植民地化など)を行うために、膨大な軍事予算が必要とされます。
そのため、全体主義国家では計画経済が実践される傾向があります。
計画経済とは、国家が自国の経済活動を計画・統制することです。戦時の日本でも、民間企業の多くが軍事産業のために利用されたり、国民の生活のための配給が行われたりしました。
1-3:全体主義と権威主義との違い
ここまで全体主義の特徴を解説しましたが、
「全体主義と権威主義って同じもの?」
と思われた方も多いかも知れません。
確かに、全体主義も権威主義も、権力を独占した支配者によって個人が抑圧される点は共通しています。
しかし、全体主義と権威主義には以下のような違いがあります。
イデオロギー:全体主義にはあるが、権威主義では弱い
国家の目的:全体主義にはあるが、権威主義では弱い(目的は支配者の私的利益の追求にある)
汚職:全体主義にはないが、権威主義にはある(支配者などの権力者が私的利益追求のために国家を利用するため)
つまり、権威主義は支配者が個人的な目的(利益追求など)のために、国家を支配し国民を抑圧するのですが、全体主義は国家がイデオロギーを持ち、国民も共有し、個人ではなく「全体」の目的のために行動する、という点に違いがあるのです。
※全体主義について以下の本で分かりやすく説明されているので、入門書として最適です。
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ここまでをまとめます。
1章のまとめ
全体主義は、ナチスドイツやイタリアファシズム、戦時日本などに見られた、全体の目的のために国民が動員される思想
全体主義には、一貫した世界観が共有されることや、計画経済、言論統制などの特徴がある
権威主義が個人の利益追求を目的としているのに対し、全体主義は「全体」の目的達成の思想
ここまで読んで、
「なんで『全体主義』のような思想が突然生まれてしまったんだろう?」
と思いませんでしたか?
この点について、ハンナ・アーレントは『全体主義の起源』で様々な要因から解説しました。
これから、全体主義がなぜ、どのように生まれたのか詳しく説明します。
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2章:全体主義はなぜ・どのように生まれたのか?
自らもユダヤ人として迫害され、学者として、そして当事者として全体主義について研究したハンナ・アーレント(Hannah Arendt)は、その経験と研究の集大成として『全体主義の起源』を執筆しました。
『全体主義の起源』は、現代人にとっても読むべき名著です。
そこから分かる全体主義形成の流れを見てみましょう。
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2-1:全体主義の起源①反ユダヤ主義
アーレントは、ナチスドイツの全体主義形成の要因の一つとして、国民国家形成に伴う「反ユダヤ主義」があると考えました。
2-1-1:国民国家とは
国民国家というのは、簡単に言えば「私たちは〇〇人だ」という認識を共有した人々によって構成された国家のことです。
たとえば、日本に住む私たちは、自分たちのことを「日本人だ」そして日本を「日本人の国だ」と考えるのが当然だと思います。
しかし、こうした認識は国民国家が形成される以前は、存在しないものでした。
たとえば、日本なら江戸時代やもっと昔の人々にとって、自分は〇〇藩や〇〇村の人間という意識はあっても、「日本人」という意識は希薄でした。
なぜなら、
国家というまとまりを認識させてくれる媒体(たとえば新聞などのマスメディア)
統一された教育
国家を脅かす海外の勢力の存在
などがないと、私たちは「自分が〇〇人」という意識を持つことができないからです。
ヨーロッパでは、19世紀初頭以降になってようやく国民意識が広がり、統一された国家の必要性が認識されるようになりました。
国民国家の形成は、主権国家体制が作られたことに起因します。主権国家体制について詳しくいは以下の記事をご覧ください。
【主権国家体制とは】成立の経緯から現代の問題点までわかりやすく解説
2-1-2:異分子と考えられたユダヤ人の差別
「国民国家と『反ユダヤ主義』に何の関係があるの?」
と疑問に思われたかもしれませんが、実は重要な関係があります。
国民国家というのは、「私たち〇〇人」という意識を、国民みなが共有した国家です。
逆を言えば「彼らは△△人」と、国民ではない人たちとの間に明確な境界を作り、「われわれ意識」を作るということでもあります。
「私たち○○人」という我々意識を「ナショナリズム」と言います。ナショナリズムにについて詳しくは以下の記事で解説しています。
【ナショナリズム・国民国家とは】成立過程から問題までわかりやすく解説
当時、ドイツは国民国家として成立して日が浅く、まだ「われわれ意識」が希薄でしたが、国民国家として統一しなければ安定せず、海外からの驚異にも対処できません。
そこで、強い「われわれ意識」を作るために、国内に多数存在し、しかもドイツ人ではないユダヤ人を異分子として認識するようになったのです。
私たちの身近な世界を見ても、「仲間はずれ」を作って自分たちの団結を高める、ということは良く見られますよね。つまり、いじめと同じ論理です。
彼らが異分子として認識されたのは、
ユダヤ人が国家を持たず、ドイツ国内にも多数存在していたため
ユダヤ人は、エリート・知識人の多くの割合を占め、ユダヤ資本として世界経済にも影響力を持っている異質な存在だった
ユダヤ人は親族やユダヤ人同士の繋がりを大事にして、それ以外の人々との交流に消極的だった
などの理由がありました。
上記のような認識は、ドイツの経済が逼迫してくると「原因は、世界経済を牛耳っているユダヤ人にある」という陰謀論に繋がり、迫害が正当化されることになります。
こうして生まれた反ユダヤ主義は、ナチスの全体主義を形作る一つの要因になりました。
2-2:全体主義の起源②帝国主義
国民国家の成立と共に、資本主義経済も成長し、各国はさらなる富を求めて他国を侵略し、植民地化していくようになりました。これが帝国主義です。
帝国主義を通じて、支配国は、
人種主義
ナショナリズム
を強化することになり、それが全体主義にも繋がりました。
2-2-1:人種主義
繰り返しになりますが、国民国家は「われわれ意識」を共有する国民による国家です。
しかし、帝国主義的国家は植民地を支配しても、まったく異なる文化を持つ現地人と「われわれ意識」を共有することはできません。
そこで、彼らは人種を強く意識し、支配を正当化するために人種に優劣の思想を持ち込みました。つまり、「劣等な彼らを支配するには暴力しかない」「劣等な社会を文明化させるために支配しているのだ」とういことです。
このような人種によって優劣があるという思想は、優生思想と言われました。
こうして生まれた人種主義は、さらにナショナリズムと結びつきます。
2-2-2:ナショナリズム
ドイツやロシアのような植民地の争奪戦に遅れた国家では、人種主義がナショナリズムを生みました。
当時、ドイツの国外にもドイツに出自を持つ人々が住んでいたため、彼らは「同じ『血』を持つ人々はみなドイツ人だ」と考えました。
そして、「国外で大変な思いをしている同胞たちのために、彼らも同じ国境の中に入れてあげよう」というナショナリズム的な思想が生まれます。
しかし、国境を広げようとした先には、ユダヤ人など他の民族が住んでいます。
そこで、ナショナリズムと反ユダヤ主義から、「ユダヤ人は劣っているから追い出してしまおう」という思想が生まれたのです。
これが、ナチスドイツの全体主義の要素となったのです。
2-3:全体主義の実践
ナチスドイツの全体主義の背景に、反ユダヤ主義や帝国主義があったことが分かったと思います。
しかし、それがさらに全体主義に繋がったことについて、アーレントは「大衆のアトム化」という言葉で説明しました。
2-3-1:大衆のアトム化
国民国家を支えた「われわれ意識」というナショナリズムは、階級社会や資本主義経済の発展によって、崩れてしまいました。
こうして生まれたのが「大衆」です。
全体主義とアトム化
アーレントは、国民国家にいた「市民」が、全体主義が勃興する前には「大衆」になっていたと考えました。
市民・・・特定の階級や集団に属しているため、自らの利益を自分で認識している人々
大衆・・・自分の利益が分からなくなった人々
つまり、どこにも所属しない人々が増えたことを、アーレントは「アトム化」と呼び、これが全体主義を準備したと考えます。
2-3-2:全体主義が持つ世界観への共感
大衆がアトム化と合わせて、対一次世界大戦後のドイツは「国土の明け渡し」「多額の賠償金」「世界恐慌によってあふれかえる失業者」など、多くの問題を抱えていました。
不安になった大衆に手を差しのばしたのが、明快な世界観、物語を提示してくれたナチスです。
ナチスが提示した世界観は、反ユダヤ主義に基づいた、ユダヤ人による世界経済の支配という陰謀論です。
ヒトラーは、この都合の良い物語とカリスマ的指導力で大衆を動員し、さらにその物語をそのまま国家の目的に据えて、全体主義国家を作り上げたのでした。
アトム化し不安を抱えていた大衆は、この分かりやすい物語を受け入れ、徐々に過激になっていったのです。
2-2-3:全体主義的支配
その後ナチスは、
秘密結社的な組織形態をつくり、全体主義国家として過激化していった
ユダヤ人を段階的に社会から切り離し、隔離し、人格すらも抹消した
人格すら抹消することで、ドイツ人はユダヤ人を虐殺することに良心の呵責を覚えないようにした
など巧みな国家運営で、ユダヤ人を大量虐殺するほどまでに突き進んでいったことは、皆さんも知ることだと思います。
このように、全体主義の背景には「反ユダヤ主義」「帝国主義」「アトム化」などの要因があったわけです。
アーレントの思想は「公共哲学」という領域でも議論されています。公共哲学について以下の記事で詳しく解説します。
【公共哲学とは】ハーバーマス・アーレント・サンデルの議論などを詳しく解説
2章の内容をまとめます。
2章のまとめ
ナチスドイツの全体主義の背景には、ユダヤ人を異分子とみなす反ユダヤ主義や陰謀論、人種主義、帝国主義と結びついたナショナリズムがあった
大衆が繋がりを失った「アトム化」した社会では、分かりやすい世界観が受け入れられやすく、全体主義が生まれやすい
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3章:全体主義について学べる書籍リスト
ここまで読んで、「やっぱり全体主義なんて現代人の自分にとっては、歴史上の出来事に過ぎない」と思われましたか?
確かに「反ユダヤ主義」「帝国主義」などを、文字通りに解釈すれば私たちには無縁に思えるかもしれません。
しかし、現在の日本は、将来の見通しが立たず、多くの人が漠然とした未来への不安を抱えていて、「つながり」を感じない「アトム化」した大衆が多いとは思いませんか?
このような社会で、「とても分かりやすい世界観」を提示してくれる権力者が現れたら、私たちも絶対に影響を受けないとは言えないでしょう。
少なくとも、「そんなこともあるかもしれない」という意識は持っておいた方が良いと思います。
そこで、そんなことを避けるためにも、以下の書籍を読んでみることをおすすめします。
オススメ度★★仲正昌樹『悪と全体主義-ハンナ・アーレントから考える-』(NHK出版新書)
この本は、ハンナ・アーレントが語った全体主義についてとても分かりやすく解説した本です。まったく前提知識を持っていなくても理解できるように書かれていて、全体主義の入門書として最高の良書です。
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オススメ度★★ハンナ・アーレント『全体主義の起源』(みすず書房)
ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』の原著も読んでみることをおすすめします。原著は難しいですが、政治学や哲学をしっかり学びたい方は必読です。
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オススメ度★★ジョージ・オーウェル『一九八四年[新訳版] 』(ハヤカワepi文庫)
「ビッグ・ブラザー」が支配する全体主義国家をテーマにしたSF小説の金字塔です。全体主義についてイメージを膨らませることができるだけでなく、単にエンターテインメントとしてもとても面白い小説です。ぜひ読んでみてください。
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まとめ
最後に今回の内容をまとめます。
この記事のまとめ
全体主義の背景には、反ユダヤ主義や帝国主義、ナショナリズム、人種主義など様々な思想があり、全体主義の正当化に利用された
全体主義は、大衆のアトム化により「分かりやすい世界観」が受け入れられやすい社会で生まれ、強化された
全体主義は過去のことと割り切ることは出来ず、将来生まれる可能性は0ではない
このサイトでは、他にもさまざまな政治思想や社会思想を解説していますので、ぜひ他の記事も読んでみてください。』
全体主義の起源
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E4%BD%93%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90
『出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注によって参照されておらず、情報源が不明瞭です。 脚注を導入して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2017年9月)
『全体主義の起源』(ぜんたいしゅぎのきげん、The Origins of Totalitarianism)は、ハンナ・アーレントが1951年に発表した政治学の著作である。
概要
アーレントは1906年にドイツのハノーファーで生まれた政治学者であり、1933年にナチ党が政権を掌握してからフランスへ亡命して政治活動に関わるが、1941年にフランス進攻があるとアメリカへ亡命して大学での教育に従事する。この著作では19世紀から20世紀にかけてイタリアやドイツで出現した全体主義についての論考が行われている。この著作は1951年に発表された研究であり、第1部の『反ユダヤ主義』、第2部の『帝国主義』、そして第3部の『全体主義』の三部から構成されている。
内容
第1部『反ユダヤ主義』
19世紀のヨーロッパの政治秩序を構成していたのは絶対主義の王政に基づいた国民国家であった。国民国家は文化的同一性に立脚して統一的集団として確立された。この国民の枠組みとは別に成り立っていたのが階級社会である。つまり富裕層や貧困層などの諸階級から成り立っている階級社会であり、これは国民を文化的に同一だとした国民国家と本質的には矛盾するものである。当時のヨーロッパの政治秩序においてはこの国民国家と階級社会の衝突は見られることはなかったが、その中でユダヤ人は階級社会から隔絶されており、また平等な国民の一員として国家に保護されていた集団であった。そのために国家に対する不平不満が生じるとその矛先がユダヤ人に向けられるようになる。これが全体主義に向かう前段階であった。アーレントは『反ユダヤ主義』が表面化した事例としてドレフュス事件に言及している。
第2部『帝国主義』
国民国家の体制に次第に大きな影響力を及ぼすようになったのが資本主義であり、資本家は政治への介入を積極的に行うようになる。資本主義、人種主義、そして官僚制の混合として帝国主義が出現する。帝国主義は資本主義の原理によって資本の輸出を推進しながら行政によって権力の輸出をも推進する。この帝国主義の膨張活動にとって国民国家は支障となり、階級社会から脱落した人々であるモッブが移民となって植民地化に乗り出していった。加えて人種主義は国民とは異なる外見的な差異を持つ集団を自覚させることで植民地の支配を正当化し、また官僚制は植民地の支配に適当な政令を発令することで、帝国主義の特徴である半永久的な膨張政策を進展させた。イギリスやフランスは植民地を海外に求める海外帝国主義が可能であったが、ドイツやロシアはその海外展開に遅れたために欧州大陸内方面に植民地を求める大陸帝国主義を余儀なくされた。海外への膨張を遮られた大陸帝国主義は、次第に国民国家により構成された政治秩序を超えた汎民族運動と連携しながら、人種主義(種族的ナショナリズム)の性格を強めることになる。
第3部『全体主義』
20世紀においては国民国家とそれに伴う階級社会が転換することになり、少数民族や人権問題の出現、大衆社会の成立が認められる。国内政治において政党が代表していた階級社会が消失したために、政党によっても代表されない孤立化した大衆が表面化したのである。ソ連について言えば、スターリンが集団農業化と有産階級の撲滅により個々を孤立無援にすることで、大衆社会を成立させたとする。この大衆は自らの政治的発言を階級政党とは別の政治勢力として集約しようと試み、プロパガンダを活用する全体主義運動を支持することになった。全体主義は大衆の支持を維持するために、また全体主義が体制として機能するためにはテロルとイデオロギーが重要である。テロルは法の支配によって確立されていた自由の領域を排除し、イデオロギーは一定の運動へと強制することで全体主義を制度化した。全体主義体制が問題であるのは、「個人性をまったく殲滅するようなシステムをつくること」にある。
アーレントによれば、スターリン体制の犯罪性は、数百から数千の著名な政治家や文学者の殺害にだけあったのではなく、何ぴとも、スターリンですらも「反革命的」活動の嫌疑をかけることは不可能だった数百万の無告の民の殲滅にこそあった[1]。フルシチョフによるスターリン批判は、むしろその体制の犯罪性を矮小化するものであり、隠蔽するものだった[1]。全体主義のテロルは、すべての組織的反対勢力が死滅し、全体主義の支配者がもはや恐れる必要のあるものは何ひとつないことを知ったときにはじめて解き放たれる[1]。
ボリシェヴィキが、社会主義国に失業はあってはならないというイデオロギー的要求を貫徹するためにとった方法は、プロパガンダなどを使うことなく、失業給付を一切廃止するということだった[2]。これにより、「ソ連には失業がない」という嘘は、事実となった。このように、ソ連の全体主義的独裁では、イデオロギー教義とそこから生まれた嘘を本物の現実に変えるためにテロルを用いた[2]。また、スターリンは、ロシア革命の歴史の書き換えを行おうとした際には、資料もろとも、旧版の著者と読者を抹殺した。1938年に新しいロシア共産党史が刊行されたとき、この出版それ自体が、ロシアの一世代の知識人の10分の1を抹殺した大粛清の終了でもあった[2]。
ボリシェヴィズム運動は、ナチ運動とよく似ている[3]。ナチスがユダヤ資本による世界陰謀というフィクションから出発しているように、ボリシェヴィキも世界陰謀というフィクションを必要とした。ボリシェヴィキが完全な全体主義運動となるために用いたフィクションは、トロツキストの世界陰謀説であり、それ以後も、「三百家族」の世界陰謀、帝国主義、コスモポリタン、資本家の陰謀などその時々の必要に応じて取り替えていった。1930年代以降、ソ連は内政外交ともにこうした陰謀論というフィクションなしにはやっていけなくなった[3]。
ソ連の工業建設期におけるグロテスクな失敗は、労働者階級のアトム化(原子化)をもたらすとともに、ボリシェヴィズム運動の力を増大させた[4]。同様に、東欧でのナチスの大量虐殺は、労働力の損失とはなったものの、人種社会の安定化をもたらした。ナチスやソ連といった全体主義体制においては、成功か失敗を客観的に決めることはできず、虚構の世界では、失敗を失敗として記録するような行政機関は存在しない[4]。
また、アーレントは 「反共主義」を冷戦時代の公式イデオロギーとした[5]。
「客観的な敵」
イデオロギーに賛同するかしないかによって敵味方を規定することは、全体主義運動の本質であるとアーレントはいう[6]。この規定は、当の人物の友好性や敵対性とは関係がないため、警察も特別の調査を必要としない。イデオロギーによって規定される敵は、自然もしくは歴史の法則によって「客観的に」認定される[6]。ナチスにおける人種的劣等者(ユダヤ人)も、消滅すべきブルジョワ階級(死滅する階級)も、「客観的な敵」なのである。この「客観的な敵」は、体制側の政策によってのみ認定されるのであり、誰が逮捕され、粛清されるべきかは、はじめから決まっており、その思想や計画は問われない。この「客観的な敵」の犯罪は、客観的に、「主観的因子」を参酌することなしに決定される[6]。
スターリンは、人が心のなかで感じる友情や敵意が無意味であることを、自分が最も信頼できる味方を皆殺しにすることで証明した[7]。強制収容所に収容された「客観的な敵」が、意識的に自由に賭けようとした人間の立場は馬鹿げたものとなった。「客観的な敵」は、「客観的な基準」に従って、当人がどういう人間であるかということからいえばまったく恣意的に選定されたが、過去の暴君支配にも、これほど効果的かつ徹底的に人間の自由を否定したものはなかった[7]。ナチスやソ連の全体的支配は、罪の概念を廃棄する代わりに、「望ましからぬ者」「生きる資格のない者」という新しい概念を持ち出し、彼らは、あたかもかつて存在したことがなかったかのように地表から抹殺されていったのである[8]。
中華人民共和国
中華人民共和国では独裁の初期段階では、相当な流血があり、推定1500万人が犠牲者となった。ただしこれは比率からすればスターリン時代のロシアの人口減少よりも少ない[9]。毛沢東の1957年演説「人民内部の矛盾を正しく処理することについて」は「百花斉放」政策でも知られるが、これは自由を主張したものではなく、共産党独裁のもとでも矛盾があるが、反対者は「思想矯正」によって鍛え直すという方法で扱われた[9]。中国共産党は「イデオロギー的には不可謬でなければならず、政治的には世界支配を目指すインターナショナルな運動」を志しており、その全体主義的特質は最初から明白だった[5]。中国共産党がとった国際政策は、すべての国の革命運動に中国の手先を潜入させ、北京の指導のもとでコミンテルンを復活させようとする極度に強引な政策だったとアーレントはいう[5]。
評価
ル・モンドは、「20世紀の本100冊」に選んだ。ナショナル・レヴューは20世紀のノンフィクション100冊のリストの15位と位置づけた[10]。インターカレッジ・スタディーズ・インスティテュートは20世紀のノンフィクション50冊に挙げた[11]。
ノーマン・ポドレツはアレントのこの本に影響を受け、同書は、ナチズムと共産主義は兄弟であること、そして、古典的な専制が政治的に限定された権力を独占するのに対して、ナチズムと共産主義の二つの全体主義体制は、人々の生活のすみずみに渡って完全な支配を行おうとしたこと、共産主義は、ヒューマニズム的なレトリックを用いるが、ナチズムと同様の「絶対的な悪」であることを証明した[12]。
シカゴ大学のバーナード・ワッサースタインは、アレントは政治経済、外交、軍事戦略について無知であり、反ユダヤ主義の文献を用いていると批判した[13][14]。
しかし、ワッサースタインに対する反論としては、アーレントの『エルサレムのアイヒマン』を痛烈に批判していたゲルショム・ショーレムは『全体主義の起源』を称賛していたことを挙げることができる[15]。ショーレムはエルンスト・ブロッホとともに、ユダヤ人迫害の時代の資料としては、反ユダヤ主義の情報源も生き残った資料として扱うこともあると述べている[16][17]。
歴史学者エマニュエル・サーダは、科学的人種主義の台頭が帝国主義の台頭と直接相関しているというアーレントや、一般的な学術的コンセンサスに対して、ゴビノーのような人種思想が、ヨーロッパの植民地主義の科学的正当化において重要な位置を占めていることを支持する証拠はほとんどなく、アーレントは、全体主義を形成する上での人種主義の役割を過度に強調していると批判している[18]。
ユルゲン・ハーバーマスは、アーレントによるマルクス主義の全体主義的解釈を支持しており、ハーバーマスは、生産力の解放の可能性に対するマルクスの明白な過大評価には全体主義的視点の限界があると指摘しており、アーレントの批判を拡張した[19][20]。
川崎修は、当時利用できた資料の制約や実証性に欠ける議論のために、ナチズムやスターリニズムに関する歴史書としての役割は終えているが[21]、政治理論の書としては、現代に生きる我々が参照する価値を今もなお有しているとする[22]。
日本語訳
ハンナ・アーレント『全体主義の起原』 みすず書房(全3巻)、1972‐74年、新装版1981年、再訂版2017年。
※訳題は〈起原〉表記、「1 反ユダヤ主義」大久保和郎訳、「2 帝国主義」大島通義・大島かおり訳、「3 全体主義」大久保和郎、大島かおり訳
参考文献
アーレント, ハンナ (2017), 全体主義の起原 3 全体主義, (原著英語版, 1951 / ドイツ語版, 1955), みすず書房
太田哲男『ハンナ=アーレント 人と思想180』 清水書院、2001年、新装版2016年 – 新書判、第2章に「全体主義の起源」
川崎修『ハンナ・アレント』 講談社学術文庫、2014年
全4章で、第1章:十九世紀秩序の解体、第2章:破局の二十世紀(副題は『全体主義の起原』を読む 前・後編)
関連文献
川崎修『アレント 公共性の復権』「現代思想の冒険者たち」講談社、1998年、新装版2005年。上記の元版
牧野雅彦『精読 アレント『全体主義の起源』』 講談社選書メチエ、2015年。ドイツ語版と英語版の異同も読解
牧野雅彦『ハンナ・アレント 全体主義という悪夢』「現代新書100・今を生きる思想」講談社現代新書、2022年。続編
仲正昌樹『悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える』 NHK出版新書、2018年
出典
^ a b c アーレント 2017, p. xix-xx..
^ a b c アーレント 2017, p. 70.
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関連項目
スターリニズム、マルクス・レーニン主義、ソ連型社会主義
ナチズム
マルクス主義批判
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最終更新 2023年8月27日 (日) 04:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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権威主義、91カ国・地域に増 民主主義を22年ぶりに超す
編集委員 瀬能繁
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD11CTN0R10C25A3000000/





『2025年3月13日 5:00 [会員限定記事]
世界の自由民主主義が危機にさらされている。2024年時点で権威主義陣営にある国・地域の数は91となり、民主主義陣営にある国・地域(88)を22年ぶりに上回った。アジアや東欧に加え、25年以降はトランプ米大統領が就任した米国でも自由民主主義の度合いが一段と後退するのは確実だ。
スウェーデンの独立調査機関V-Dem研究所が13日付で年次報告書「民主主義リポート2025」を発表した。それによると、24…
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