銀行の特殊性:ボルカールールの背後にある考え方

金融市場1
銀行の特殊性:ボルカールールの背後にある考え方
https://www.nri.com/jp/knowledge/publication/kinyu_itf_201005/files/itf_201005_3.pdf

『米国の金融規制見直しに関する「ボルカールール」のうち、資産規模の制限はシステミックリスク抑制
に有効となりうる。

これに対し、自己勘定での取引やヘッジファンドへの出資等の制限は、長い目で見
て銀行の公共機関化に繋がり、イノベーションを通じた利便性を損なうことへの懸念が伺われる。

システミックリスクの防止

米国の金融規制見直しを巡る議論の終盤に登場した
「ボルカールール」が、上下院で調整される法案の中に
どう盛り込まれるかは、本稿の執筆時点(4月初)で不
透明である。

ただ、「ボルカールール」の考え方は金融
規制が対象とすべき問題は何かという重要な問いを含ん
でいる。

「ボルカールール」を、オバマ政権が3月初に上院銀
行委員会に提示した骨子と捉えれば、①銀行の総資産規
模の制限、②銀行による自己勘定取引の制限(対顧客関
連を除く)、③銀行によるヘッジファンド等への出資制
限、という3つの柱に集約できる。

このうち①は、「to
big too fail」に伴うモラルハザードを防止するには、
個々の銀行の資産規模を一定の範囲に制限すべきとの考
え方に基づいている。

①に対しては、金融業界を中心に
強い批判がみられる一方で、今回の危機で生じたような
システミックリスクの再発を防止する上で、相応の意義
を認める意見も聞かれる。

今回の危機では、証券化商品のような同種の資産に対
する大きなエクスポージャーを有する金融機関や投資家
が数多く存在したため、資産の評価額が下落した結果と
して、これらの主体が相互に決済関係を有していなくて
も同時に大きな損失を被った。

このような同時かつ巨額
の損失が、情報開示の不備と相俟って、取引相手に関す
る疑心暗鬼を広範に発生させたことで、金融システムの
機能を大きく低下させた訳である。

従って、こうした事
態の再発を防止するには、個々のプレーヤーが特定のエ
クスポージャーを大量に抱えないようにすることが重要
となる。

上記の①は、原案では銀行を対象としており、
より広い範囲のプレーヤーを対象とするよう修正するこ
とが望まれるが、いずれにしても、個々のプレーヤーに
よるエクスポージャーの規模に制限を加えることは、今
回のようなシステミックリスクを防ぐ上での「必要条
件」として相応の意味を有することとなる。

ただし、今回の危機で経営破綻に瀕したプレー
ヤーを扱う上でより深刻な問題となったのは、 資産
規模自体というよりも、取引関係の複雑さ(「too
interconnected to failj)であったことも事実である
ため、米国では、①が最適な対策とは言えないといった
批判もみられる。

こうした批判自体は確かに正しいが、
「too interconnected to failjに直接に対応しうる
政策手段が見出しにくいことを考えれば、筆者は、現実
性の点からみて、①がいわば次善の策として少なからぬ
意義を有すると考えている。

銀行の特殊性

—方、「ボルカールール」の②や③のような規制は、
銀行が銀行預金という決済手段を提供している点で特殊
性を有し、従って、強力な金融規制の下に置くべきであ
るという伝統的な考え方を反映している。

企業は預金口
座を通じて資金の受払を行うし、個人も、給料を口座振
込みで受取り、公共料金の支払やカード払いの返済など
を口座引落しで行っている。

これらが機能しなくなれば
経済活動は麻痺するだけに、銀行預金という決済手段は
公共性の高いインフラであって、強力な規制によって保
護される必要があるということである。

こうした観点による規制の焦点は、銀行の資産内容で
野村総合研究所金融市場研究センター
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essacie
ある。

銀行は預金者に対して預金の元本と流動性を保証
しているので、保有する資産内容の悪化や固定化は当該
銀行の経営破綻の可能性を高める。

このような事態にな
れば、その銀行の預金を決済手段として利用することが
難しくなることは言うまでもない。

従って、公的当局は
銀行の資産内容を厳しく規制し、規制の順守状況を監督
すべきということになる。

こうした発想を一段と進める
と、銀行が保有しうる資産は、低リスクで流動性の高い
ものに限定すべきという考え方に至る。

これが「ナロー
バンク(narrow bank)J論であり、「ボルカールー
ル」が「ナローバンク」的との指摘がみられるのはこう
した事情を反映している。

金融イノベーション

決済手段の公共的性格に基づく銀行規制の必要性自体
に異論を唱える向きは少ないであろう。

しかし、今回の
金融危機の経験に照らして、「ボルカールール」の②や
③のような規制強化が必要なのか否かは必ずしも自明で
はない。

実際、米国のみならず先進諸国では預金保険が
既に整備されていたほか、今回の危機に際し、各国政府
が金融機関の広範な債務に保証を付与したので、決済手
段としての銀行預金に対する信認が毀損する事態は総じ
て回避された。

併せて先進諸国では、今回の金融危機を
通じて中央銀行が「信用緩和」と呼ばれる政策を活用
し、平時よりも多様な資産を買い入れたり担保として受
け入れたりすることを通じて、金融機関に対して豊富な
資金を供給したので、資金決済のネットワークに対する
信認も概ね維持された。

米国内で「ボルカールール」の②や③に懐疑的な見方
が強いことの背後には、こうした金融危機の経験だけで
なく、銀行に対する規制強化を繰り返すと、銀行が公共
機関と化してしまいかねないことへの警戒感も伺われ
る。

確かに、今回の②や③が実現したとしても直ちに大
きな変化をもたらす訳ではないかもしれない。

しかし、
「ナローバンク」論にみられるように決済手段の提供と
いう公共的役割を重視する見方が強まるとともに、それ
に見合って銀行の資産内容、ひいては業務内容への規制
強化が進むと、銀行の公共機関としての性格が支配的と
なると同時に、ビジネスとしての意味を喪失していくの
ではないかという懸念である。

実際、筆者が3月末に米
国を訪問した際には、特に前回の金融危機以降の日本の
金融セクターについて、収益性の動向やその背景に対す
る関心が寄せられた。

銀行の公共機関化に歯止めをかけることが必要とい
う意見は、銀行の業務範囲を柔軟に維持しつつ金融イノ
ベーションを促すことを通じて、企業や個人などの利用
者に便益をもたらすことが、銀行預金の決済手段として
の信認を維持することと同様に重要であるという考え方
を示唆している。

過去2〇年の間で、意味ある金融イノ
ベーションはATMの発明程度であると公言して憚らない
ポール・ボルカー氏にとってはそもそも受け入れがたい議
論かもしれないが、米国内では、今回の金融危機を経た現
在でも、銀行の安全性と利便性に関するバランスを意識
した議論が根強くみられることは大変興味深く思える。β

Writer’s Profile
井上哲也 Tetsuya Inoue
金融市場研究センター
主席研究員
専門は国際金融、金融政策
focus@nri.co.jp
Financial Information Technology Focus 2010.5 7 』