<敗北・モディの政治転換はあるのか?>

<敗北・モディの政治転換はあるのか?>インド有権者が求めた行動と世界が求めることの乖離
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/34223

『ワシントン・ポスト紙コラムニストのファリード・ザカリアが、6月7日付の論説‘Narendra Modi and the myth of the strongman’で、今回のインド総選挙におけるモディ首相の敗北はインドにとって良いニュースとなるかも知れない、インドの経済成長にとって絶対的指導者が必要な訳ではないと書いている。要旨は次の通り。
総選挙で敗北となったインドのモディ首相(AP/アフロ)

 インドの総選挙の結果は出口調査を含むほとんどの予測とは大きく違った。モディ自身も、彼の政党であるBJPが370議席を勝ち取り、彼の連立は400議席に届くと自信をもって宣言していた。結局、(総議席数543のうち)BJPは240議席、連立全体で292議席だった。
 この結果は、インドにとって政治的にも、経済的にも、良いニュースになるかも知れない。

 モディはどうしてこれ程までに負けたのか?一つの重要な理由は多くの野党が相互に調整して野党連合の顔として共通の単一の候補を担ぎ、反BJP票が割れなかったからである。BJPの得票率は37%で前回2019年の選挙とほぼ同じだったが、63議席少ない議席数となった。

 また、有権者はモディ個人を叱責しようとしたようにも見える。少なくとも彼の閣僚のうち20人が落選した。モディ自身の選挙区での彼の勝利も驚くほど僅差だった。

 BJPはアヨーディヤでも負けた。この町はモディがモスクを解体した跡地にヒンズー寺院を建造し、その完成を鳴り物入りで祝った場所である。

 モディには優位性があったことを考えると選挙結果は驚くべきものである。しかし、有権者(多くは依然貧しく、教育程度は低く、弱い立場にあり、4人に1人は文盲)は、抑制と均衡、権力の制限を支持し、行き過ぎた個人崇拝に反対する票を投じたのだ。』

『モディの下で、インド経済は活況を呈したが、民主的な制度は酷く傷んだ。しかし、今やモディは意気上がる野党、強く抵抗する州政府、政府の権力乱用に挑戦するメディアと市民社会に当面することになる。

 投資家と経営者は選挙結果を最も心配している。彼らはモディを経済に実績を有するプロ・ビジネスの首相と見ている。そして、彼らは途上国が繁栄するには強い指導者が必要だと確信している。

 しかし、彼は間違っている。途上国世界を最初に抜け出し豊かになったのは日本だった。日本は歴代の無色の首相の下でそれを達成した。

 過去60年間で驚異的な成長――この長期に中国すらも上回る成長――を成し遂げた他の二つの経済は韓国と台湾である。そのほとんどの期間、両経済とも穏やかな指導者を持った。

 世界の洗練された多くの観察者は、貧しい国を率いる絶対的指導者――彼らは道路を作り迅速に事を成し遂げることが出来る――をしばしば褒めそやす。しかし、インドの平均的な有権者は、長期的には多元主義、協力、多様性がインドの顕著な特質であり永続的な優位性であることを直観的に理解しているように思われる。

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モディはどこまで「負け」だったのか
 モディとBJPは予想を完全に覆す大きな敗北を喫した。しかし、それ程負けた訳でもないとも言い得る。

 BJPの得票率は19年の前回選挙に比べて37.3%から36.5%に少々下がったに過ぎない。BJPは真に全国的な政党に脱皮するために弱点のインド南部に力を入れたが、事実、その得票率は18%から24%に拡大した。しかし、小選挙区制のゆえに、得票率の拡大は一つの議席獲得にもつながらなかった。

 他方、北部はBJPの地盤であるが、前回選挙に比べて55議席を失い、これがこたえた。最も酷かったのは最大の人口を持ち政治的に最重要のウッタル・プラデーシュ州で、19年には80議席のうち62議席(得票率:50%)を獲得したが、今回は33議席(得票率:41%)と振るわなかった。

 要するに、BJPが抜きん出て最大の党であることに変わりはない。最大野党の国民会議派は得票率を19.4%から21.1%に伸ばしたが、BJPは国民会議派の議席(99議席)のほぼ倍、得票率は倍以上ということになる。』

『以上のように見れば、モディが今回の敗北を選挙戦術の誤算によるものと考える(少なくとも現状維持は出来たと考える)可能性は排除されないように思われる。今回の選挙では国民会議派が主導する野党連合の候補者調整が成功したという側面(ザカリアも指摘している)があったこともある。

 だとすれば、モディは権威主義的な色彩の濃いヒンズー国家主義の政策を今後も強めてその支持基盤の強化を図ろうとするかも知れない。これを転換することはないのではないか。ヒンズー国家主義はモディのアイデンティティそのもののようである。

議会制民主主義は健全化するか
 しかし、そのようなモディの選択は、日本を含む西側諸国が望むところではない。これら諸国はモディが過激なヒンズー国家主義を封印することを欲している。これら諸国が希望するインドは西側と親和性のあるインドである。そのようなインドは、抑圧と封殺とは無縁で宗派色の薄い多様性を貴ぶ温和な民主主義の下で経済の改革と繁栄を目指すインドであろう。

 この先、モディの行動を抑制するものがあるのだろうか。6月9日に発足したモディの内閣は、内務、財務、外務、国防の主要閣僚を留任させる継続性の内閣であるが、BJP単独では議会の過半数を失ったために、30人の閣僚のうち4人を連立を組む政党から起用した。モディはこれまで内閣の存在をほぼ無視し、重要な決定は彼自身が行って来たらしいが、この程度のことが抑制要因となるかは疑問に思われる。

 より重要なことは、議会がその本来の役割を回復し、内政であれ、外交であれ、政権に対する監視機能を発揮できるかにある。国民会議派の議席数は99であるが、野党連合全体では237で与党連合の293に対して数字の上では見劣りしない。

 国民会議派の意気は上がっているようであるが、よくその役割を果たし得るか、その真価を問われるであろう――楽観はできない。』