試練のモディ3.0、インド製造業「カエル跳び」の陥穽
編集委員 高橋徹
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD152QD0V10C24A6000000/
『2024年6月18日 5:00
今年は世界で70以上の国政選挙が行われる選挙イヤーである。ここまで大きな波乱なく進んできたが、サプライズは「世界最大の民主主義国家」で生まれた。
4日に開票されたインド総選挙(下院選、定数543)で、モディ首相のインド人民党(BJP)が議席を前回2019年の303から240へと大きく減らした。同氏を首相候補に立てた14年以降、単独過半数(272)を割り込むのは初めてだ。協力政党を含む与党連合では…
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『首相自身も二重の意味でショックだったはずだ。
準備は万全だった。本来は22年だった20カ国・地域(G20)議長国を、インドネシアに頼んで選挙前年の23年に交代し、9月のニューデリーでの首脳会議で「世界の指導者」を演じた。選挙イヤーに入ると、1月に北部のイスラム礼拝所跡で建設中のヒンズー教寺院の開所式に出席し、3月にはイスラム教徒を除外した市民権改正法を施行した。国民の8割を占めるヒンズー教徒の支持固めをこれでもかと狙った。
一方、汚職容疑で有力野党の党首を逮捕し、税務問題を理由に国民会議派の銀行口座を凍結するなど、ライバルの締め付けも徹底した。野党連合は結束を欠き、首相候補を決めずに選挙戦へ突入するありさま。モディ氏はBJP単独で370議席を公言していた。』
『「今回の選挙から得られる教訓は3つ。インドで民主主義が健在なこと、国民が仕事、仕事、仕事を求めていること、有権者は宗教より経済成長を重視していることだ」。米アトランティック・カウンシルのカピル・シャルマ南アジアセンター上級ディレクター代理はこう分析する。』
『経済成長はしている。モディ政権10年の平均成長率は年5.6%。23年度は8.2%と主要国で最も高い。就任時に世界10位だった国内総生産(GDP)は5位に浮上し、25年にも日本を追い抜く可能性がある。
他方でそうした成長を実感できない人たちも多い。ウッタルプラデシュ州のような地方農村や都市の低所得層がそうだ。インド経済モニタリングセンターによれば23年の失業率は8%。都市部の若年層(15?29歳)に限れば2割に達するという。国民の4割超はなお世界銀行の定める貧困ライン(1日1.9ドル)以下で暮らす。』
『要はこういうことだろう。モディ氏は民意の支持という権力獲得の「正統性」を錦の御旗に、成長重視で強権的な政権運営を進めた。ところが成長から取り残された人々は、権力行使の「正当性」に疑問を持ち、数の力を過信する与党にお灸(きゅう)を据えた。民主主義が機能した、とはまさにその点だ。首相が好んで使う「世界最大の民主国家」にしっぺ返しを食らった、ともいえる。』
『英経済学者アンガス・マディソンの推計で1820年に世界経済の半分を占めていた中印は、その後の植民地の苦い記憶から、戦後は閉鎖的な計画経済を選んだ。ところが停滞が長く続き、本格的に成長を始めたのは経済開放に踏み切ってからだ。
道筋は異なった。1978年に改革開放を始めた中国は、低賃金の労働力を生かして「世界の工場」へ飛躍した。91年に開放に追随したインドは、独特の理系教育を基盤にソフトウエア開発やアウトソーシング(外部委託)事業などのIT(情報技術)産業を離陸させた。
「インドが中国を追って輸出志向の製造業へ転換できなかったのは偶然ではない。たとえ低技能の工場労働であっても、最低限の教育と技能は必要だ。当時、多くの中国人労働者はこの基準を満たしていたが、インドは違った」』
『インド準備銀行の元総裁である米シカゴ大のラグラム・ラジャン教授の指摘だ。戦後のインドは初等教育より高等専門教育に力を入れ、労働集約的な軽工業でなく資本集約的な重工業で一気に発展を目指した。現代風にいえば「リープフロッグ(カエル跳び)」である。』
『その失敗は、隣国バングラデシュとの比較から明らかだ。「インドは原綿、紡績、織布、縫製と衣料品の全工程がそろっていたのに、どれも強くできなかった。何もなかったバングラは(70年代末から)縫製に絞った」と国際基督教大の近藤正規上級准教授は言う。バングラの縫製産業はいまや400万人を雇用し、衣料品輸出は中国に次ぐ2位。世銀によると2022年の1人あたりGDPは2688ドルとインド(2410ドル)を上回る。
インドの高等教育は後のIT産業の礎となったものの、雇用吸収力の大きい製造業の軽視が、いまも続く慢性的な失業につながった。』
『そんな課題はモディ氏も認識している。14年の就任後、経済政策の一丁目一番地に「メーク・イン・インディア」を据えたのは、毎年1千万人が新たに労働市場へ参入する自国には安定した雇用の受け皿が不可欠との判断からだ。だが重点産業の絞り込みや税制優遇などの具体策を欠き、製造業振興は掛け声倒れになりかかっていた。
そんななか20年に起きたのが、新型コロナウイルス禍と印中両軍のヒマラヤ山中の国境係争地での衝突だ。ナショナリズムの高揚を捉えて「自立したインド経済」という新たな看板を掲げ、「生産連動型優遇策」(PLI)と呼ぶ製造業振興策を追加した。国産品の販売に応じて補助金を支給する仕組みで、企業投資の呼び水とした。
ただし資金を重点的に振り向けたのは、半導体や太陽電池、蓄電池、IT製品など高付加価値の製造業だ。「資本・知識集約型産業の振興は高賃金の雇用機会にとどまり、製造業全体への広がりを欠いている」とみずほリサーチ&テクノロジーズの田村優衣エコノミストは話す。雇用創出のミスマッチからは、再びカエル跳びの陥穽(かんせい)にはまっているようにみえる。』
『結果的に中国とは大きな差がついた。22年の中国の1人あたりGDPは1万1560ドルとインドの4.8倍。PwCコンサルティングの岡野陽二シニアマネージャーはいくつかの指標から「インドの現在の発展段階は15?20年前の中国に近い」とみる。』
『問題は追いつく可能性があるのか、だ。中国自身の経済減速や、米中対立下でのサプライチェーン(供給網)の対中依存の引き下げの動きが、インドに追い風なのは疑いない。
その半面、グローバル化の後退で国際分業への参画は従来よりハードルが上がった。脱中国依存の受け皿は、相変わらず自由貿易協定(FTA)に消極的なインドよりも、東南アジア諸国連合(ASEAN)の方が優位であろう。
時計の針も待ってくれない。ラジャン教授は「インドは50年には高齢化で労働人口が減少に転じ、成長が鈍化する。豊かになるために残された時間はわずかしかない」と警鐘を鳴らす。
メーク・イン・インディアの初心に返るなら、遅れている労働法制や土地収用法の改革に手を着け、FTAを推進することが不可避だろう。BJPの単独過半数割れで「弱い改革への強い合意がある」と皮肉られた過去の連立の悪弊にモディ政権が陥り、安易なバラマキに流れるのでは、との懸念も拭えない。
インド経済史で最大の改革といえる1991年の経済開放を断行した国民会議派のラオ政権もまた、単独過半数には遠い不安定な連立下だった。肝心なのは腹のくくり方だ。数の力の正統性が弱まった分だけ、今度こそ改革実行という正当性が問われよう。
=随時掲載 』
『高橋徹(たかはし・とおる) 1992年日本経済新聞社入社。自動車や通信、ゼネコン・不動産、エネルギー、商社、電機などの産業取材を担当した後、2010年から15年はバンコク支局長、19年から22年3月まではアジア総局長としてタイに計8年間駐在した。上級論説委員を兼務している。著書「タイ 混迷からの脱出」で16年度の大平正芳記念特別賞受賞。』