<中国からの揺さぶりに耐えられるか>
就任早々内政問題に直面する頼総統が守りたい「台湾アイデンティティー」
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/34077?page=3
『2024年6月10日
2024年5月21日付のTaipei Times社説が、頼清徳総統は就任早々内外の厳しい課題に直面しているが、就任演説を見る限り、同氏の落ち着いた存在感に期待してよさそうだ、と述べている。
(Wong Yu Liang/gettyimages)
5月20日、頼清徳総統と蕭美琴副総統が正式に就任した。1996年に総統の直接選挙が始まって以来、一つの政党が三期連続で政権を担当するのは初めてのことである。立法院で過半数を占める政党がないのも16年ぶりのことだ。
頼新総統の演説は、両岸の平和と政党間の協力を強調するものだった。
演説の最初の項目は、野党に対する、与党議員および行政府との協力の訴えだった。頼総統は、今の政治状況は「理性的な統治に高い期待を持つ」台湾人の選択である、と強調した。
物議を醸す改革法案をめぐって立法院が混乱したわずか数日後だっただけに、頼氏の発言は鋭く、緊急性を帯びていた。ただ、彼らが耳を貸すかは分からない。
もう一つ注視されているのは両岸問題だ。頼総統は、平和への期待を示し、平和の語を23回用い、「台湾は他の国々と同様、戦後復興の困難な道のりを歩んで今日に至っている。これらの成果が戦争で破壊されることを誰も望んでいない」と述べた。
これは、頼氏が総統になれば不安定化要因になると恐れる批判者たちへの反応だ。彼は中国に「対立ではなく対話を選ぶ」よう求め、両政府は両岸観光と台湾の教育機関への中国人留学生の入学を再開することから始めることができる、と述べた。』
『国内問題については、台湾の半導体分野における優位性と、社会のあらゆる面に人工知能を取り入れるという政権の目標を強調した。彼はまた、「希望の国家プロジェクト」を通して、住宅から交通の安全まで幅広い問題に取り組むことを約束した。
就任したばかりだが、頼総統は既に議会の分裂や国際的な厳しい監視に直面している。しかし、就任演説を見る限り、台湾は、頼氏の総統府での落ち着いた存在感に期待してよさそうだ。
* * *
頼清徳が語った「台湾」
Taipei Times が、頼清徳総統の就任演説について論評している。頼演説は対中政策について「現状維持」を明言した一方、台湾を守る強い意思を感じさせるものであった。
蔡英文前総統の就任時は、「中台関係」や「中国」を表現する際に、「両岸関係」や「対岸」などの表現を使ったが、頼清徳は「中国」で通した。中台が「一つの中国」原則を確認したと中国が主張する「1992年コンセンサス」には全く言及せず、中国への強い警戒感をにじませた。
頼は文章にして5000字あまりの演説の中で「中華民国」という国家に9回、「中華民国、台湾」という呼び名を3回繰り返した、という。そして「国民は民族に関係なく、だれが先に来たかに関係なく、台湾アイデンティティーをもつ限り、この国家の主人です。それが、『中華民国』であろうと、『中華民国台湾』であろうと、『台湾』であろうと、みな私たち自身と国際社会の友人たちが私たちを呼ぶ名称です」と述べている。
頼清徳はかつて「自分は台湾独立のために仕事をする人間でありたい」と述べたことがある。現在、蔡英文政権の路線を踏襲し、中国を刺激、挑発しないためにも、「現状維持」路線を取る、との立場を公言しているが、今回の就任演説は全体として台湾アイデンティティーの強まりを表明したものとなっている。つまり、「現状維持」を主張しつつ「民主の中華民国、台湾」を守ると言うことである。
他方、頼氏は「われわれは平和の理想を追求するが、幻想を抱くことは出来ない」とする。そして、「中国が台湾への武力侵攻を放棄していない状況」にあっては、「たとえ中国側の主張を全面的に受け入れ、(台湾の)主権を放棄しても、中国が台湾を併合する企ては消失しない」と強調する。』
『そのうえで、頼氏は「中国からのさまざまな威嚇や浸透工作」に対処するため、国防力を強化し、経済安全保障を構築して、「世界の民主主義国家」と連携を進める考えを示した。
予期される議会を通じた中国の揺さぶり
今回の総統選挙をめぐっては、若者票の多くが野党候補者に流れ、立法院(国会に相当)において、民進党は第1党の地位を野党、中国国民党に奪われた。このような立法院における「ねじれ」現象は16年前の民進党・陳水扁政権以来であり、頼政権が直面する種々の内政問題の厳しさを表している。
頼氏の就任直前に立法院で国民党、民進党委員の乱闘騒ぎがあった。中国はこの乱闘は「使える」状況だと見ている可能性がある。
野党多数の状況を利用して、中国に有利な法律を通すなど、立法分野から頼政権を揺さぶろうとするに違いない。』