太平洋の鍵、台湾囲む「中国軍事演習24B」の危険度
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD246WQ0U4A520C2000000/

『2024年5月29日 0:00
新たな総統に頼清徳(ライ・チンドォー、64)が就任した台湾の周りを包囲するような軍事演習に踏み切った中国。23、24両日、実施された演習名は「連合利剣―2024A」だった。
「中国は頼政権への批判を思った以上に強めている。今回が24年の演習『A』だとすれば、それを一歩進めるもっと強硬な演習『B』が年内にあり得る」。そんな危うい予測まで聞こえてくる。
何かときな臭い台湾を巡る地政学上の対峙を語る際…
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読みいただけます。』
『1950年当時、世界は米国とソ連の2大国による冷戦が深刻化し、世界各地で衝突が起きようとしていた。50年6月には、中国に接する朝鮮半島で南北が激突する朝鮮戦争が勃発した。
台湾は「太平洋の鍵」と題した地図がタイム誌上に登場した直後、中国(中華人民共和国)は、国運を賭けた大きな勝負に出た。その場所は、意外なことに台湾海峡ではなかった。中国軍が北朝鮮との国境にある大河、鴨緑江を越えたのだ。
当時の中国の指導者で新中国建国の父、毛沢東による大きな決断だった。中国共産党による49年の建国から1年しかたっていなかった中国だったが、志願兵を募った志願軍、義勇軍という形式で朝鮮戦争に堂々と参戦したのである。
朝鮮半島で米軍と直接対決する道を選んだ毛沢東の中国。中国で少し前に映画化された長津湖での極寒下の米中両軍の激戦は、リアルで悲惨だった。この激戦は米側でも長く語り継がれ、歴代米大統領も演説で言及するほどだ。』
『毛沢東による朝鮮戦争への参戦、米軍との直接対決という決断は、中国に多大な人的損害をもたらした。中国側では「(軍民あわせて)合計100万人前後の犠牲者が出た」とも伝えられている。そして毛沢東の決断は、結果的に米中の国交正常化を大きく遅らせた。正式な国交樹立は1979年になるまでなかったのだ。』
『2024年の今、米中2大国は「新たな冷戦」に入っているとの見方がある。米ソから米中へという対立構造の変化があるにせよ、台湾の重要性は同じだ。1950年の時点で台湾を「太平洋の鍵」に見立てた地図が描くチェーンと、現代の米中攻防の焦点である「第1列島線」のラインに重なる部分があるのも当然だ。』
『問題は、2027年の中国共産党大会でトップとして4期目を狙うであろう習近平が今後、何らかの決断をすることがあるのか、である。1950年の毛沢東のように。もし、その標的が今度こそ台湾であり、しかも武力を使うことがあるなら、世界にとって悲劇である。』
『その前段として、台湾封鎖をより強く感じさせる「連合利剣―2024B」が、年内にあるのかに世界が注目している。中国は頼清徳が就任式で語った統一でも独立でもない「現状維持」という部分を評価していない。
逆に「台湾と中国は互いに隷属していない」と強調した部分を強く批判している。これはかつて台湾総統だった李登輝が提起した「二国論」の別バージョンである、との解釈だ。』
『米側も様々な手を尽くしている。駐日米大使のエマニュエルが、米軍機で台湾に最も近い日本の島である沖縄県与那国町を訪問し、町長の糸数健一と会ったのは象徴的だ。
これも米国の東アジア戦略の一環である。頼清徳の総統就任式の3日前の出来事だった。中国の動きを監視する自衛隊が駐屯する与那国島への駐日米大使の初訪問には当然、賛否両論がある。』
『「台湾は太平洋の安全保障の鍵」という現実は第2次世界大戦後、ずっと変わっていない。「太平洋」が「アジア太平洋」になり、さらに「インド太平洋」になる言葉の変遷があったにすぎないのだ。
この変わらぬ構造下で対峙する米中両国とも互いに譲ることはできない。とすれば、危うい均衡が万が一にも崩れることがないようにする当事者同士の対話は重要だ。まずは、今週末にもシンガポールで開かれる久しぶりの米中国防相会談を注視したい。(敬称略)
【関連記事】
・中国軍「台湾全域包囲」の能力誇示 頼政権と対決姿勢
・中国、台湾新総統を軍事威圧 「隷属しない」発言に反発
中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。』