自然も経済も打ち負かす存在。その傲慢が崩壊を招く。

自然も経済も打ち負かす存在。その傲慢が崩壊を招く。
http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/34011576.html

『 世の中、人の思惑など歯牙にもかけない存在があります。自然も経済も、人間が、どう考えようと、思い通りにできるはずがありません。せいぜい、影響を緩和したり、着地点を定めたり、人の知恵でできるのは、その程度です。しかし、思想というのは、人間の能力が万能であるという前提で、思想で構築した社会が実現できると考えます。まぁ、それくらい思い込みが激しくないと、思想と言えないのかも知れません。そして、思想家が良く行う行動が「闘争」です。戦って勝ち取る。打ち負かす。故に、思想家というのは、武闘派が多いのです。実際、何かと言うと「革命」を叫んで、法律を無視するのは、いわゆる革命家と言われる人々です。武器を持ち出して、真っ先に他人を排除するのもです。反戦・平和と言っていても、そもそもが世の中のルールを変えようとしている人々なので、対立する思想や現在の権力構造に対しては何をしても良いと思っています。なので、平和を叫びながら人を殺せるのです。

一党独裁の中国共産党の場合も、全体的な行動原理は、まさに思想が全てに優るという考え方から来ています。その為、自然でも経済でも人民の心さえ、思想で統制できると考えています。なので、いくら科学者が警告しても、自然を破壊して巨大ダムを作りまくるし、どんなコストをかけても、運河で南方の水を北に送るプロジェクトをゴリ押しします。経済も、命令すれば、その通りに動くと考え、数字を作る為には、どんな不正も許されます。数字の改ざんや、上場企業の不正会計は、当たり前にあります。そして、政府の意に沿わない人間は、平気で弾圧できます。去年の1年間だけで、250万人を反革命分子として逮捕しています。SNSの書き込みだけで、普通に逮捕されます。まさに、「闘争」ですから、許されるのです。

既に、就任直後から無能と言われて、習近平氏の寵愛も失っていた李強首相ですが、どうやら「中国経済は好調」という習近平氏の「見解」と違う話をしてしまった為、現在、職務を停止されて、謹慎処分になっているようです。実質的に失脚です。以前、李克強前首相が、「現在の中国では、4万円/月で暮らしている人民が6億人いる」と話して、習近平氏から叱責と反省文の提出を求められましたが、職務停止処分までは受けませんでした。それだけ、習近平氏に余裕が無く、自分と異なる意見は、一切、存在する事すら許さないという意思が見えます。とはいえ、単なる一国の独裁者が、どういう意見を持とうと、それと関係無く経済は動きます。命令しようと、号令をかけようと、無駄です。理由不明な事で、いきなり逮捕されるかも知れない国で働きたい人はいません。外国人は、どんどん出て行きますし、資本も引き上げています。

自然に対しても、「闘争」して勝利する事を目指すので、三峡ダムのような人口湖を作ってしまいます。最近、中国で頻発する異常気象や地震は、この巨大なダム湖で気象条件や、地盤にかかる圧力が変化した為という説があります。湖水面積は、琵琶湖の1.7倍、湖長は東京~姫路間に相当、貯水容量は黒部ダムの200個分に相当します。これだけの湖でができれば、湖面から出る水蒸気だけで、相当なものです。局地的な大雨や暴風、雹などの天変地異が引き起こされても、まったく不思議ではありません。そして、この膨大な貯水量が、岩盤に圧力をかけ続けて、周囲に地震を引き起こしている説も出ています。

ようは、経済も自然も思想の前では、「闘争」して打ち負かす相手という事です。そもそも、戦って勝てる相手ではないので、負けるのは目に見えているのですが、思想の絡んだ闘争の場合、こちらが負けと認めなければ勝利という手が使えるので、最終的には勝利で終わります。ウクライナとロシアの戦争が始まった時、真っ先に「ロシアの勝利は決まっている」とブログに書きましたが、ようはプーチン氏が「勝ち」と言えば、領土を手放し、賠償金を支払うはめになってもロシアの勝利と決まっているのです。良く口喧嘩で用いられる「精神勝利」と同じで、負けたと思わなければ勝ちの世界です。実際、中国はベトナムとの戦争で、侵攻してボコボコにされて逃げ帰っているのですが、「勝利」と言っています。

思想は現実を、自分に合うように歪めて解釈します。思想が実現する社会を作るのが大変だし、場合によっては不可能なので、現実の解釈を歪めて、思想が実現した事にしてしまうわけです。そのほうが、簡単ですからね。それを、否定する要素や現実は、存在しない事にしてしまえばよい。なので、中国共産党は隠蔽体質ですし、嘘情報で誤魔化したり、存在しない美談を創作して人民を誘導しようとします。歴史は真実である必要はなく、政治の道具に過ぎません。いわゆる、独裁と共産主義の相性が良いのは、「できていない事をできたと言い張る事が、国家の体制として許されている」という一点で共通点があるからです。実は、純粋に思想に共鳴している独裁者というのは少なく、もともと、そうだったとしても、権力を握った瞬間に豹変します。

別段、独裁者がトチ狂った認識で、苦しむ分には構わないのですが、その国の国民を末端まで、全て巻き込むので、大きな不幸を呼びます。そして、それは国内だけで留まらず、敵意を国外に向けて、体制を維持しようとするので、周辺国も巻き込みます。関わった人、全てが欺瞞に付き合わされて、不幸になるわけですよね。そして、何度かブログで解説したように、そのやっかいな思想という抽象化する能力こそ、数多存在した類人猿の中から、ホモ・サピエンスが他の全て滅ぼして、唯一の存在として生存競争に勝った原因でもあるのです。まさに、業と呼ぶに相応しい能力です。抽象化した概念に忠誠を近い、団体行動が取れるからこそ、せいぜい「群れ」単位でしか統制が取れない、他の類人猿を絶滅させる事ができたわけです。類人猿の中には、脳の容積や、筋力がホモ・サピエンスより優れる種もいましたが、数千~万の単位でカリスマ指導者の下にまとまり、軍事行動のとれるホモ・サピエンスに蹂躙されて、絶滅しました。

いわば、思想を下敷きにした闘争は、我々の最大の強みなので、今更捨てる事もできない。ちなみに、思想と宗教が似ているのも、ベクトルが違うだけで、組織をまとめる構造としては、双子のように似ています。なので、未来永劫に戦争は無くならないし、戦っている本人達は、思想や宗教に基づく正義を叫ぶわけです。案外と戦争が、この世から無くなった時が、人類の滅亡の時なのかも知れません。種としての終焉です。』