漫画家 鳥山明さん死去 68歳 「DRAGON BALL」などで人気

漫画家 鳥山明さん死去 68歳 「DRAGON BALL」などで人気
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240308/k10014383361000.html

『2024年3月8日 15時58分

「DRAGON BALL」や「Dr.スランプ」など、魅力的なキャラクターが登場する世界的な人気作品を次々に生み出した漫画家の鳥山明さんが今月1日、急性硬膜下血腫のため亡くなりました。68歳でした。

鳥山さんのこれまでの経歴や追悼の声、海外メディアの反応などをまとめています。
目次

漫画家 鳥山明さんのこれまで

少年ジャンプ編集部「一同大きな悲しみ」

漫画家 鳥山明さんのこれまで

鳥山明さんは愛知県出身で、1978年に「週刊少年ジャンプ」の読切作品「ワンダー・アイランド」で漫画家としてデビューしました。

その後、1980年に連載を始めた「Dr.スランプ」がアニメ化され、少女型アンドロイド、アラレちゃんの「んちゃ」や「バイちゃ」などのセリフが流行語になるなど、大きな人気を集めました。

【動画】1982年の放送時の鳥山明さん

また、1984年に連載を始めた「DRAGON BALL」は、主人公の孫悟空が「かめはめ波」などの必殺技を駆使してさまざまな敵と戦い成長していく物語を描き、累計発行部数は2億6000万部を超える大ヒット作となり、アニメやゲームのほか、ハリウッドで実写版が映画化されるなど世界的に多くのファンを獲得しました。

その後も、人気ゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズのキャラクターデザインも手がけるなど、魅力あふれるキャラクターたちが親しまれ、数多くの漫画家やクリエーターに大きな影響を与えました。

少年ジャンプ編集部「一同大きな悲しみ」

週刊少年ジャンプなどの編集部がコメントを出しました。

「ジャンプ誌上でたくさんの作品を発表された鳥山明先生が逝去されました。

突然の訃報に、集英社・編集部一同大きな悲しみに包まれております。

『Dr.スランプ』『DRAGON BALL』『SAND LAND』...先生が描かれた漫画は、国境を越え世界中で読まれ、愛されてきました。

また、先生が生み出された魅力あふれるキャラクターたちと、その圧倒的なデザインセンスは、数多くの漫画家・クリエイターに大きな影響を与えてきました。

先生の偉大なご功績を讃え、感謝の意を表するとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます」

鳥山さんが所属する「バード・スタジオ」

また、鳥山さんが所属する「バード・スタジオ」などは以下のコメントを掲載しました。
「ファン、関係者の皆さまへ突然のご報告になりますが、漫画家・鳥山明は2024年3月1日、急性硬膜下血腫により永眠しました。68歳でした。熱心に取り掛かっていた仕事もたくさんあり、まだまだ成し遂げたいこともあったはずで、残念でなりません。ただ、故人は漫画家としていくつもの作品を世に残して参りました。多くの世界中の方々に支持していただき、45年以上にわたる創作活動を続けることができました。これからも鳥山明唯一無二の作品世界が、末長く皆様に愛され続けることを切に願います。生前のご厚誼に深く感謝し、ここに謹んでお知らせいたします」

注目

<親交が深かった人たち 追悼のコメント>

集英社が発刊する「週刊少年ジャンプ」の公式サイトには、鳥山明さんと親交が深かった漫画家や関係者が追悼のコメントを寄せています。

◆ドラゴンクエストゲームデザイナー 堀井雄二さん

このうち、鳥山明さんがキャラクターデザインを手がけたゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズのゲームデザイナー、堀井雄二さんは次のようにコメントしました。

「本当に、あまりに突然な鳥山さんの訃報で、まだ信じられない気持ちでいっぱいです。鳥山さんとは、ボクが少年ジャンプのライターをやっていた頃からの知り合いで、担当編集者の鳥嶋さんの勧めもあり、ドラゴンクエストを立ち上げる時に、彼にゲームの絵を頼むことにしました。あれから37年余り、登場人物のキャラクターデザイン、モンスターデザイン、とても数えきれないほどの魅力的なキャラを描いていただきました。ドラゴンクエストの歴史は、鳥山さんのキャラデザインとともにありました。鳥山さん、故すぎやま先生は、ドラゴンクエストを長きに渡って作ってきた仲間でした。亡くなってしまうなんて‥‥。これ以上、なんて言えばいいのか言葉になりません。本当に、本当に、残念です。」

◆「ウイングマン」作者 桂正和さん

鳥山明さんと同じ時期に「週刊少年ジャンプ」で「ウイングマン」などの作品を連載し、親交が深かった漫画家の桂正和さんのコメントです。

「力がぬけて気力が出ません。こんな事のコメントはしたくないですね。けど、何か書きます。書き出したら、言いたい事だらけなんで、めちゃくちゃ長文になりそうだけど、できるだけ、コンパクトにまとめます。ただ、気持ちがまとまらないので、乱文お許しを。

思い返しても。大袈裟でなく、お宅に遊びに行った時、うちに泊まりに来てもらった時、遊びに出掛けた時、全部が楽しい思い出しかなくて、電話をする度に、疲れるほど笑ってました。面白い人だった。すけべで、可愛くて、毒舌で、謙虚で。本職の漫画では、合作とかもしたけど、あれも楽しかった。

でも、99%漫画の話をした事はない付き合いでしたね。漫画家として、見てる風景、作家のレベルも違いすぎて、偉大さを意識した事が無かったです。わかってはいます。けど、本人と接する時は微塵もそれは感じなかった。人柄ですね。だから偉大な漫画家というより、今も友人としてとしか考えられない。

去年の夏、私が手術をする前に、どこかで聞いたらしく、メールくれました。本当ーーに、メールなんて珍しく、心配そうに私の体を気遣う内容。40年来の付き合いだけど、鳥山さんから、あんなに優しくされたのは初めてだったかも。雪が降るかと思いましたよ。いつもは冗談か、くだらない話しかしないっすからね。なんすか、人の心配してる場合じゃないじゃん、全く。

そのちょっと前だったか電話した時、その頃、色々具合が悪かった私は『多分先に逝くんで、お別れ会とかやってくださいね、鳥山さん仕切りで!あと、箔がつくからスピーチして下さいね!』と約束したのに、守ってもらえなかった。メールをくれた後、なんで電話しなかったのか、それが、すごく後悔です。

もうくだらない話で長電話ができない事が、残念でしかたないです。話したい事が沢山溜まってます。いろんな話があるんです。興味のない話は、いつものように、うわの空に聞いてもらってもいいんで、もう一度話したいです。私の、また連絡くださいとのメールの返事に、軽くOKって書いてあったのが最後なんて、ダメです。心底辛いです」

◆「ONE PIECE」作者 尾田栄一郎さん

世界的な人気漫画「ONE PIECE」の作者、尾田栄一郎さんのコメントです。

「あまりに早すぎます。空いた穴があまりに大きすぎます。もう二度と会えないと思うと、悲しみが押し寄せてきます。

子供の頃から憧れすぎていて初めて名前呼んで貰えた日の事も覚えています。我々に「友達」という言葉を使ってくれた日の帰り道岸本さんと盛大にはしゃいだ日も懐かしいです。最後に交わした会話も覚えています。

漫画なんて読むとバカになるという時代からバトンを受け取り大人も子供も漫画を読んで楽しむという時代を作った一人でもあり漫画ってこんな事もできるんだ世界に行けるんだ、という夢を見せてくれました。突き進むヒーローを見ているようでした。

漫画家に限らずあらゆる業界で活躍するクリエイター達の少年時代にドラゴンボール連載当時の興奮と感動が根付いているでしょう。その存在は、大樹です。同じ舞台に立った僕ら世代の漫画家にとって鳥山作品は近づく程により大きな存在と気づかされました。怖いくらいに。でもまた、飄々としたご本人に会えるとただ嬉しい。僕らは血液レベルで鳥山先生が大好きだから。

鳥山先生の残された創造性豊かな世界に敬意と感謝を込めて、心よりご冥福をお祈りいたします。天国が先生の想い描いた通りの愉快な世界でありますように」

◆「NARUTO-ナルト-」作者 岸本斉史さん

世界的な人気漫画「NARUTO-ナルト-」の作者の岸本斉史さんは、次のようにコメントしています。

「突然のことで何をどう書けばよいのか正直わかりません。ただ今は鳥山先生にいつか聞いて欲しかった事、想いをお伝えさせて頂きたく思います。

小学生低学年でDr.スランプ、高学年でドラゴンボールとずっと先生の漫画と一緒に育ち、生活の一部で先生の漫画が隣にあるのが当たり前でした。嫌なことがあっても毎週のドラゴンボールがそれを忘れさせてくれました。何もなかった田舎少年の僕にとってそれは救いでした。本当にドラゴンボールが楽しすぎたからです!

大学生のときです。突然、僕の生活に長年当たり前にあったそのドラゴンボールが終わりました。とてつもない喪失感に襲われ何を楽しみにすればいいのか分からなくなりました。でもそれは同時にドラゴンボールを生み出してくれた先生の偉大さを心から知る事ができるきっかけでもありました。

僕も先生のような作品を作りたい!先生のようになりたい!と、先生の後を追いかけるように漫画家を目指すうちにその喪失感もなくなっていきました。漫画作りが楽しかったからです。先生を追いかける事で新しい楽しみを見つける事が出来ました。

先生はいつも僕の指針でした。憧れでした。先生にはご迷惑かもしれませんが勝手に感謝しています。僕にとってはまさに救いの神であり、漫画の神様でした。初めてお会いした時、緊張し過ぎて一言も喋れませんでした。ですが手塚賞の審査会で何度もお会いするうち話せるようになりました。

ドラゴンボールチルドレンとして尾田さんと2人して子供に戻りまるで競争するかのようにいかにドラゴンボールが面白かったのかをはしゃいで話した時、まんざらでもない様子で少し恥ずかしそうな笑顔をされていたのが忘れられません。

今、先生のご訃報を受けたばかりです。ドラゴンボールが終わった時以上のとてつもない喪失感に襲われ...まだこの心の穴にどう対処すればよいのか分かりません。今は大好きなドラゴンボールも読めません。

先生へお伝えしたいこの文章もまともに書けている気がしません。世界中の皆んながまだまだ先生の作品を楽しみにしていました。もし本当にドラゴンボールの願いが1つ叶うなら...すみません...それはわがままな事なのかもしれませんが、悲しいです先生。

鳥山明先生、45年もの間たくさんの楽しい作品をありがとうございました。そして本当にお疲れ様でした。残された家族のみなさまにおかれましては今はまだ深くご傷心のことと思われます。ご自愛くださいませ。鳥山明先生の安らかな眠りをお祈り申し上げます」

東映アニメーション「誠に残念」

『ドラゴンボール』などのアニメを手がけている東映アニメーションは、公式ホームページに「鳥山先生のご逝去に際して」とするコメントを掲載しました。

「誠に残念でなりません。謹んでお悔やみ申し上げます。弊社には『Dr.スランプ アラレちゃん』や『ドラゴンボール』シリーズなどの名作に携わった、鳥山先生を尊敬するスタッフがたくさんおり、製作に関してもご指導いただき、誠に感謝しております。

世界中に愛される先生の作品をアニメ化することができ、大変光栄でございました。ご冥福をお祈り申し上げます」

SNSで追悼 感謝の投稿 相次ぐ

SNSでは国内外のファンから追悼や感謝を示すメッセージの投稿が相次いでいます。

国内からは

「子どもの頃から今までたくさん読ませて頂きました…とても残念でなりません」「ドラゴンボールだけじゃなく、ドラクエなどのいろいろな作品で個性豊かなキャラクターを生み出して、ワクワクさせてくれて、ありがとうございました!」
などといった投稿のほか、

鳥山さんの作品のストーリーにちなんで、

「ドラゴンボール7つ集めて鳥山明先生復活させたい。。。『それは無理な願いだ』って言われちゃうのつらい。ありがとうございました。ご冥福をお祈りします」
といった投稿も見られています。

また、海外からも

「今年最悪のニュース。彼はみんなのヒーローだった。ありがとう」(アメリカ)「信じられない、胸が張り裂けそうだ。僕の子ども時代を素晴らしいものにしてくれてありがとう。あなたとあなたの作品は、さまざまな形で多くの人々にインスピレーションを与えてくれました」(インド)
などと、世界各地のファンから鳥山さんが亡くなったことを悼み感謝を述べるメッセージが寄せられています。

NEW

韓国紙「漫画界の大スターが逝去した」

韓国メディアは、漫画家の鳥山明さんが亡くなったことを、功績とともに速報で伝えています。

このうち、有力紙の「中央日報」は「漫画界の大スターが逝去した」という見出しで、訃報を伝えているほか、通信社の「連合ニュース」は、代表作の「DRAGON BALL」がアニメ化・ゲーム化されるなど世界中で注目を浴びたと報じています。

さらに、大手紙の「朝鮮日報」も「DRAGON BALL」が誕生した経緯などに触れながら、「世界で最も商業的に成功したアーティストの1人だ」と功績をたたえています。
中国メディアも速報 「ウェイボー」のトレンドにも

漫画家の鳥山明さんが死去したことについて、中国メディアも速報で伝えました。

このうち、国営の中国中央テレビはニュースサイト上で日本のメディアを引用する形で「『DRAGON BALL』や『Dr.スランプ』などの名作を生み出した鳥山明氏が病気で亡くなった」と伝えました。

また、ネットメディアの「澎湃」は「鳥山明氏は世界中で絶大な人気を誇る名作漫画の作者だ。幅広い年齢層の読者に愛され、その後の多くの漫画家などに影響を与えた」などと伝えています。

中国のSNS「ウェイボー」上では、速報が伝えられたあとの現地時間の午前11時半ごろ、鳥山氏の死去がトレンドのランキングのトップとなり、その死を悼む投稿が相次いでいます。

この中には「『DRAGON BALL』は私が日本や日本語に興味を持つきっかけとなりました。小学生の時、42巻すべてをそろえて背表紙を並べた感動の瞬間は一生忘れられません。さようなら。安らかに」といった投稿や「『DRAGON BALL』や『Dr.スランプ』は不朽の名作で決して人に貸すことができない私の本棚の宝物です」といった投稿もみられました。

NEW

欧米メディア「日本を代表する漫画家の1人だった」

アメリカやイギリスなど欧米メディアも相次いで伝えています。

このうちアメリカの有力紙ニューヨーク・タイムズは鳥山さんについて「日本を代表する漫画家の1人だった」としたうえで、「鳥山氏の作品は日本の国境を大きく越え、何世代もの漫画家に影響を与えた」と伝え、漫画やゲームなどを通じて世界中のファンを魅了してきた鳥山さんの功績をたたえました。

また、イギリスの公共放送BBCはインターネット上に配信した記事で「孫悟空が訓練を重ねてヒーローへと成長していく旅路に、多くのファンは、もがきながら成長する自分自身の姿を重ね合わせることができた」として、鳥山さんが描いたキャラクターは多くのファンにとって青春の一部になっていたと伝えています。

街の声 「ドラゴンボール世代」「『かめはめ波』やった」

東京・渋谷では漫画家の鳥山明さんが亡くなったことを悼む声が聞かれました。

40代の男性は「僕はドラゴンボールで育った世代なので、ただただ、びっくりしていて、ことばもありません」と話していました。

テレビアニメでドラゴンボールを見ていたという20代の男性は「歴史を作った人だと思うのでニュースを見てびっくりしました。小学生のときはみんなで『かめはめ波』をやりましたし、同世代の共通言語でした。ドラゴンボールという作品を作ってくれたことに感謝しています」と話していました。

また、40代の女性は「『Dr.スランプアラレちゃん』をテレビでよく見ていました。びっくりしていますが、一区切りが終わったなというか悲しいなという思いです」と話していました。』