中国全人代、首相会見廃止 習近平氏の「体制改革」完成

中国全人代、首相会見廃止 習近平氏の「体制改革」完成
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM0480J0U4A300C2000000/

『中国政府は4日、5日から始まる全国人民代表大会(全人代、国会に相当)で毎年恒例の首相記者会見を開かないと発表した。習近平(シー・ジンピン)国家主席が就任以来、手掛けてきた改革の「完成宣言」であり、中国共産党体制の歴史的転換を象徴する出来事といえる。

「今年は首相記者会見は開かない。特別な事情がなければ今後数年、首相会見はない」

全人代の婁勤倹報道官は4日の記者会見でこう述べた。中国メディアによる…

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『中国メディアによると、閉幕時の首相の会見は1991年に始まった。国内外のメディアが政策の司令塔である首相に質問をぶつけられる数少ない機会だった。

廃止の背景には習氏が党と政府の意思決定システムに仕掛けてきた改革がある。

中国の政治体制はこれまで「党の指導」のもと政策決定は政府が担ってきた。つまり国のトップは党総書記だが、首相が大きな意思決定の権限を握っていた。

この体制は党と政府の権力配分を巡る長年の闘争の末につくられた。毛沢東は1949年の新中国建国以降、自身の権力が新政府や首相に移行し始めたことに不満を抱いた。そこで断行したのが「党政不分」といわれる組織改革だ。政府から政策決定権を取り上げて党に移した。

この制度の下で始まった「大躍進政策」は多くの人を死に至らしめた。毛沢東の死後、鄧小平はその反省から「1人の知識や経験、精力には限りがある」として同制度を廃止し「党政分離」の体制を作り上げた。

習氏はその時計の針を巻き戻した。

改革は3段階で進められた。第1に反腐敗闘争を通じて政敵を排除した。第2に「小組」という法改正のいらない党組織を政策別に設け、少しずつ政策に関与し始めた。

そのうえで第2期、第3期政権冒頭の2018年と23年の全人代で「党と国家機構の改革」を実施した。

党中央に「委員会」という正式な組織を立ち上げ、外交実務、財経、金融、科学技術など様々な分野の政策決定を党に一本化した。政府は政策の執行機関となった。公務員の人事や監査・監督部門も党に移管し、人事権を完全に掌握した。

総仕上げは習氏の腹心、李強(リー・チャン)首相が担った。就任直後の23年3月下旬、自身の政権での仕事のあり方を定めた「国務院(政府)工作規則」を公布した。内容はほぼ前例踏襲だが、大きく変わったのが意思決定機関「国務院常務会議」の役割だ。

従来は「国務院の仕事の中で重要事項に関する討論と決定」と定めていた。李氏はそれをこう改訂した。「党中央にあげて審議・決定をあおぐ重要事項の討論」

これにより首相の役割は司令塔から「党の議論を準備するスタッフ」に正式に変わった。党への「大政奉還」といえる。

今回の記者会見廃止は習氏の「党政不分」の完成を国内外に示す象徴となる。この事実が世界の先行きに落とす影は大きい。最大のリスクは世界と中国のコミュニケーションの断絶だ。

「政府の誰に接触してどんなボタンを押せば政策が動くのかわからない」。外交や企業の関係者からはこんな声が出る。

海外との主要な窓口となる外務省や商務省、財政省などに意見や要望を伝えても、今や彼らに政策決定の権限はない。一方で党の意思決定システムは不透明なうえ習氏に権限が集中している。意思疎通は容易ではない。

党の統制が強まるなか官僚組織の忖度(そんたく)も加速した。海外の批判的な見方や情報は党中央に正確に伝わりにくく、中国が世界の「常識」から乖離(かいり)する恐れは増している。

すでにリスクは顕在化している。中国の経済失速の背景にあるのは、深刻な構造問題や社会福祉の未整備からくる将来不安だ。政府がこれらの問題を正面から見据え、解決に動かなければ人々の信頼は回復しない。

ところが政府が打ち出した経済政策の重要な柱は「経済光明論(経済の明るい話のみを語る政策)」だ。政府機関も党メディアも同方針の遂行に躍起になっている。

世界第2位の経済大国が次第に「バーチャルリアリティー(仮想現実)」に閉じこもりつつある。世界はそんな「いまだかつてない危機」に直面している。

(中国総局長 桃井裕理)』