<賃上げ>で日本経済の好循環なるか?忘れてはならない人手不足の歪、インフレ調整を強いられる日本社会
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『執拗な円安相場が続く中、ドル/円相場のフェアバリューはどこにあるのか、どの程度であれば日本経済にとって心地良い水準と言えるのかといった、ある種の「正解」を求める照会は非常に増えている。しかし、為替市場はフェアバリューが無い世界であり、こうした照会に対して筆者が用意できる回答はせいぜい内外物価格差から導出される購買力平価(PPP)をどう考えるかという議論だけだ。
(champpixs/gettyimages)
昨年来、筆者はドル/円相場の実勢と購買力平価(PPP)の乖離が非常に大きくなっているという事実に関し、「正しいのは実勢相場であり、PPPが今後円安方向に調整されてくるはず」といった主張を展開してきた。現状、実勢相場に最も近い場所にある消費者物価指数(CPI)から計算されるドル/円相場のPPPでも109円弱だ。これと比べれば3割以上も「過剰な円安」が放置されているのは確かである(図①)。
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「過剰な円安」とはそれが輸出を焚きつけ、貿易収支黒字を積み上げ、結果として輸出企業を中心とする円買いが出てくるから、結果論として「あれは『過剰な円安』だった」という話ができるのである。しかし、「円安で輸出数量が増え、貿易収支黒字も積み上げられ、その黒字が円買いとなって現れる」という王道の調整経路をもはや失っている日本では「PPPから見れば実勢相場は過剰な円安」と叫んでも何も意味が無い。
重要なことはその「過剰な円安」で何を成すかであり、今の日本ではそれが旅行サービスの輸出拡大でしかなくなっている。もちろん、それも重要な外貨の獲得経路だが、外国人旅行者の外貨だけで円高トレンドを作るのは難しい。
インフレへの影響は?
周知の通り、これまでの日本は諸外国対比で物価の低い、相対的にディスインフレを抱える国であった。相対的なディスインフレという状況はPPPで言えば円高、実質実効為替レート(REER)で言えば円安を意味する。後者は「半世紀ぶりの円安」と言われて久しく、未だにその状況は解消されていない(図②)。
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しかし、冒頭述べたような「PPPが円安方向に調整される」という状況は日本がデフレからインフレへ切り替わる状況を想定することになる。また、REERに関して言えば、半世紀ぶりの安値が続いており、理論的に想定されるはずの平均回帰性がここ3年は全く発揮されていない。このまま下落が続くという想定にも無理はあるだろう。
』
『では、REERが円高方向へ振れる調整経路として何が考えられるか。これを大別すると①名目ベースで円高になる、②日本が相対的にインフレになる、あるいはその両方が必要になるが、需給分析に基づいて①が完全に潰れているのだとすると、やはり②の可能性を探ることになる。
繰り返しになるが、筆者は①には期待せず、②の可能性を懸念する立場だ。もちろん、変動為替相場制である以上、①の動きが皆無とは言わないが、これまでに比べれば持続性や迫力に欠ける動きに終わるだろう。
人手不足と賃金上昇、そしてインフレ
では、どうしてインフレが起きると考えるのか。筆者はひとえに人手不足に理由を求めたい立場だ。
ほぼ毎日、さまざまな事業法人の方々とお話をさせて頂くが、「人手不足と賃金上昇」はもはや必ずと言っても良いほど話題に挙がるテーマである。陰に陽に「インフレの通貨は下落する」というセオリーを感じ始めている向きも多いように思える。
現状、日銀は物価と賃金の好循環(いわゆる「第二の力」)はいまだ実現していないという立場だが、日銀の評価は別にして物価と賃金が共に上昇しているのは事実である。日銀短観の雇用・人員判断DIを見ても、インバウンド需要に対応すべき宿泊・飲食サービスを筆頭に今や全業種で「不足」超という異例の状況にある(図③)。
図③ 写真を拡大
労働需給の逼迫を背景に名目賃金は今後上がるしかなく、それ自体が一般物価上昇の流れに寄与するという構図は大きく変わりようがない。もちろん、人手不足という内生要因以外にも、円安を起点とするインバウンド需要の増大や鉱物性燃料価格の上昇といった外生要因も当然、インフレに寄与している。鉱物性燃料価格はあらゆる財・サービスのコストを押し上げ、インバウンド需要は外国人需要の強い財・サービスから順番に物価上昇を促す。既に起きていることだ。しかし、名目賃金上昇というインフレの持続性にとって必要条件とも言える動きは人手不足があってこその展開である。
さらに巨視的な視点から述べると、現状の人手不足は今後到来する人手不足と比較すれば、まだ序の口という認識も持ちたい。右図に示すように、足許ではまだ生産年齢人口が就業者数を上回る状態であり、追加的な労働供給という意味では余地がある。だが、内閣府『令和5年版高齢社会白書』総務省予測を前提とした場合、2023年の就業者数(6747万人)を生産年齢人口が明確に割り込んでくるのが35年以降である(※総務省公表の予測値以外は筆者が線形補完で繋いでいる)。
推計に伴う多少の振れはあるだろうが、大まかなイメージとして今後10年以内に現在の労働投入量を前提とした経済成長は難しくなる(図④)。必然的に各経済主体が経済活動を維持するにあたっては労働者の奪い合いが発生する状況は想像される。』
『このような状況で名目賃金が上昇しない理由は乏しい。付加価値向上や生産性改善の結果としての上昇ではない名目賃金の高止まりは企業収益圧迫を通じて、日本の企業部門の重しとなる展開が危惧される状況に見える。
生産改善 or 移民受け入れ
もちろん、これは極めて単純化した話であり、そうならない未来もあり得る。例えば1人当たりの生産量、すなわち労働生産性の著しい改善があれば、人手不足という難局も打開できるだろう。この点、日本において「人工知能(AI)が仕事を奪う」は懸念ではなく希望かもしれない。
しかし、著しい生産性改善なかりせば、労働需給の逼迫が名目賃金を押し上げることになり、それが生産性を上回る限りにおいて、企業収益を食い潰す要因になる。それは賃金・物価は高く、成長率は低いというスタグフレーションの到来でもある。生産性の改善を抜きに人手不足を乗り越えるには大幅な移民受け入れしかないが、もはやタブー視されている感じもあり、現実的な議論は難しいだろう。
話をPPPやREERに戻せば、現在見られているPPP対比で過剰な名目ベースの円安・ドル高や半世紀ぶりと形容されるREERの低空飛行はインフレによって、理論的な齟齬が小さくなる方向へ調整が進むように思えてならない。このように考えると日本国内において株や不動産、高級輸入品(車や時計など)の価格がにわかに上昇していることも首肯できる。
アベノミクス隆盛と共にリフレ派と呼ばれる政策思想が待ち望んだ展開のはずだが、それがより良い未来の兆候と考えるのは今のところ難しい。 』