実は本人達も劣等感を抱えている中国人民
http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/33353122.html
※ メ・ン・ド・ク・セー…。
『ロンドンでストリートピアノの生配信をしていた有名なイギリス人演奏家と、因縁をつけてきた中国の観光客が揉めている動画が話題になっています。
日本でもストリートピアノは流行っていて、あちこちの公共スペースに設置されていますが、どうも最近はマナーの問題で止める所も出てきていますね。
この人物は、「Dr.K」という愛称で呼ばれているイギリスでは有名な演奏家で、実は博士号も持っています。なので、Dr.の敬称が付いていて、これは詐称しているわけではありません。
ブレンダン・ガバナー氏は、演奏家として活動する一方で、音楽演奏を啓蒙する為に、ストリートピアノを弾いたり、教師として演奏を教えたりしています。その活動をSNSで広めていたわけですね。その為、その様子を動画撮影していました。
で、この因縁をつけてきた中国人観光客風の集団なのですが、色々な説が出ています。
どうやら判明したところによれば、この団体は中央テレビのクルーだったようです。
旧正月の新年のイベントで、イギリスへ渡航して、海外で活躍する中国人、イギリス人親中派を取材撮影して、新年に相応しい華やかな動画と、お祝いのメッセージを撮影する予定でした。
そして、取材対象だった中国系の女性にストリートピアノを弾いてもらって、その様子を撮影する予定で来ていたのでした。
ちなみに、この女性は中国人という事になっていますが、中国系イギリス人で、恋人もイギリス人です。もし、中国国籍を持っているなら、二重国籍です。つまり、海外で活躍する中国人風の絵だけ撮影したかったわけです。
ならば、そう言って場所を空けてもらえば良いと思うのですが、10分程固まって待機した後に、いきなり団体で押しかけて「自分の顔が撮影されているので、削除しろ」と抗議し始めました。
ピアノの端にビデオカメラを固定して、撮影していたので、画角に勝手に入ってきたのは撮影クルーの方です。
ようは、退かしたかったのですが、「丁寧にお願いする」という事ができなかったのです。
当然ながら、ガバナー氏は、「ここは、みんなの場所、個人の場所ではない。今はライブ放送中です」と返答しました。言われた事に対する当然の態度です。
すると、撮影クルーは「中国の芸能人(前出の中国系イギリス人)もいる。他のメディアでは顔を出しては、いけない。削除しろ。正式な演奏なら良いが、そうでないから違法行為だ。訴える」と脅迫してきました。
強圧的な言い方に反発したガバナー氏は、「ここは自由の国家です。共産主義の国家ではない。知っているか?」と、ちょっと声を荒げました。
ここで、何かのスィッチが入ったのか、急に「人種差別。差別主義者だ」と大声で、騒ぎ始めました。
この時、ガバナー氏はクルーが、恐らく撮影用の小道具として手に持っていた中国国旗を指さしたのですね。
すると、「暴力を振るわれた」と、またまた大騒ぎを始めます。以後は、会話にならず、ひたすらガバナー氏を罵倒する様子が、警察官が駆けつけるまで続きます。
ここで、面白いのは、中国人撮影クルーが、「共産主義者」、「中国人」と言われて、激昂した点です。
実は、普段、自国を尊大に自慢している中国人ですが、海外に出る機会の多い人達は、恥ずかしいと思って、コンプレックスを抱いている事が多いです。
共産主義という体制が、世界に自慢できる素晴らしい社会を築いていて、中国人である事が真に誇らしいなら、「差別」という言葉は出てきません。逆に「そうだ」と、尊大に構えるでしょう。
しかし、そうじゃないんですね。
手に中国国旗を持って、愛国ムードを演出しても、「共産主義者」、「中国人」と言われると、侮蔑されたと解釈するわけです。
習近平氏は、「世界に誇らしい社会システム」として、イギリス議会を訪問して演説した時に、鼻を鳴らして自慢していましたけどねぇ。
撮影クルーが気が狂ったように激昂したのは、その恥ずかしさの裏返しです。
何しろ、これから自分達の撮った動画が中国のテレビで流れるわけですから、普段以上に自意識が過剰になっていたのでしょう。
つまり、演出として祖国を褒め称えている事に、報道人としての恥ずかしさがあったと思われます。
ガバナー氏の言葉は、そこにピンポイントで突き刺さってしまったわけです。
結局、大騒ぎになった結果、この様子を撮影した動画は、中国本土を除いて世界中で話題になり、数百万再生されて、大目立ちしてしまいました。
コンプレックスというのは、尊大な態度や見栄につながります。
もちろん、自分の中身に自信があって、行動にやましい点が無い人ならば、こんな態度には出ません。捻れたプライドが、「丁寧にお願いして、場所を譲ってもらう」という行動を取れなくしているのです。
「非があるのは相手で、自分は不当な扱いを受けている」そういう前提じゃないと、会話ができないのですね。
つまり、弱者ポジを取って糾弾するというスタイルじゃないと、何も交渉できないという、共産主義者の抱える闇がナチュラルに出てしまったわけです。
これ、日本の社会の、そういう方々の行動を見ていても、凄く思い当たりませんか?』