古代メソポタミアで宗教が生まれ、古代エジプトとペルシアで唯一神が創造された

古代メソポタミアで宗教が生まれ、古代エジプトとペルシアで唯一神が創造された
https://www.tachibana-akira.com/2023/12/15238

 ※ こりゃ、スゲー参考になった…。

 ※ 久々で、ゾクゾクした…。

 ※ 是非とも、一読をオススメする…。

『ここで確認しておきたいのは、この壮大な宗教建築物がメソポタミア(肥沃な三日月地帯)で農耕が始まる“前”につくられたことだ。

あらゆる証拠からみて、当時のひとびとがティグリス川やユーフラテス川の畔で狩猟採集生活をしていたことは間違いない。巨石を運ぶのに必要な車輪は発明されておらず、馬や牛のような家畜もいなかった。

さらに驚くべきは、「この場所にだれも住んでいた形跡がない」ことだ。

ひとびとは半径百数十キロ以内くらいに分布する村々から旅をして、神殿で行なわれる何らかの祭儀に参加していたらしい。

メソポタミアで最初期の農耕文明(ウバイド文化)が始まったのが紀元前6500年頃とされているから、その5000年以上前から神事を執り行なうための純粋な宗教施設が存在していたのだ。』

『スラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは『サピエンス全史』で、「ホモ・サピエンスの体格は獲物を追うのに適していたが、土地を開墾し畑を耕すのには向いていなかった」として、農業革命を「史上最大の痛ましい経験」だとした。それまで幸福に暮らしていたのに、なぜ農耕などという“苦役”に耐えなくてはならなくなったかというと、更新世終わりの突然の氷河期(ヤンガードリアス)で環境が激変し、狩猟採集で生きていけなくなったからだとされる。

これが現在の定説だが、アスランは考古学的な証拠と整合性がとれないとする。』

『そこでアスランは、「宗教によって農耕が始まった」との説を唱える。

ギョベクリ・テペのような大規模な宗教建造物を人力だけで完成させるには、相当な労力を投入し、気の遠くなるような年月をかけなくてはならなかっただろう。神殿の周辺に定住の痕跡がないということは、ひとびとが狩猟採集生活をしながら片手間で建設に従事したのではなく、穴を掘ったり石を切り出したりする石工・職人ら多くの労働者が建設現場に集まっていたはずだ。

こうした専門家集団を維持するには、神殿建設作業のあいだずっと、食糧を安定して供給する必要があった。そうなると、周辺の村々から集めた穀物などを運び込んだり、建設現場の近くをうろつく野生の牛やガゼル、イノシシ、アカシカなど仕留めるだけでは、すぐに足りなくなってしまったはずだ。

こうしてひとびとは、より多くの食糧を安定して確保するために、周囲に自生する食用植物の種を撒いたり、捕獲した野生の動物たちを囲いに入れて飼っておくようになったのではないか(これならいつでも殺して食用にできる)。

発掘記録によれば、ウシ、ヒツジ、ブタ、ヤギはすべて、ギョベクリ・テペのあるトルコ南東部で、神殿建設とほぼ同時期に家畜化されはじめている。宗教=神殿の建設とともに新石器時代の幕が切って落とされたのだ。』…。

『古代エジプトで「発明」された唯一神

だが歴史上、最初の一神教は古代エジプトに突如現われた。紀元前1353年頃に王位に就いたアクエンアテン(アメンホテプ四世)が、自分は「アテン神に出遭った」と宣言して、それまでの神々(北部地方を支配していたラー神や、エジプト南部の都市テーベの守護神だったアモン神)を否定し、「宇宙の唯一神」だけを崇拝するよう命じて大々的な宗教弾圧を始めたのだ。アテン神は天空に浮かぶ目のくらむような太陽円盤で、そこから発する光線が世界のいたるところにいるひとびとすべてに光を放つとされた。

アクエンアテンは、彫像やレリーフでは、長身で手足が長く、細長い顔に尖った顎、垂れ目という奇怪な容姿をしている。有史以来、最初の一神教信者となったこの王は、アテン神以外のいかなる神の崇拝も違法とし、「太陽円盤」を祀る神殿以外のすべての神殿を閉鎖し、神官職を解体した。大規模な軍隊が国じゅうの神々の像を叩きつぶし、公共の記念碑から神々のイメージを鑿(ノミ)で剥ぎ取り、文書からは神々の名を消した。』…。