イエスは実在したが、キリスト(救世主)は創作された

イエスは実在したが、キリスト(救世主)は創作された
https://www.tachibana-akira.com/2023/12/15234

『レザー・アスランは1972年にテヘランで生まれ、7歳のときにイラン革命で両親とともにアメリカに逃れた。「1980年代のアメリカで、ムスリムであることは火星人みたいなものだった」という環境のなかで自分の居場所を探していたアスランは、高校2年生のときにカリフォルニア州の福音伝道キャンプでイエスの物語を聞いてたちまち魅了される。

熱心なクリスチャンとなった彼は大学で宗教史を専攻したが、その頃から聖書の記述と歴史的事実の矛盾に気づくようになった。その後、20年にわたってイエスの実像に迫る研究をつづけたアスランがその成果をまとめたのが『イエス・キリストは実在したのか?』(白須英子訳、文藝春秋)だ。』

『本書の刊行直後、アメリカの右派寄りテレビ局「フォックス・ニュース」のキャスター、ローレン・グリーンが「なぜ、ムスリムのあなたがイエスのことを書いたのか?」とアスランに意地悪な質問をした。これに対してアスランは、自分は学位を持つ宗教学者・歴史学者として歴史上の人物としてのイエスを研究してきたと説明したうえで、「キリスト教徒の学者がイスラームの歴史やその始祖ムハンマドについて書いてはいけない、あるいは書けるはずがないと決めつけるのがおかしいのと同様、ムスリムがイエスのことを書くことを疑問視するのは妥当ではないのではないか」と反論した(本書の翻訳者、白須英子氏の「訳者あとがき」より)。このインタビューが大きな反響を呼び、アスランはすっかり時のひとになった。』

『イエスは暴力革命家(ZEALOT)の一人

紀元30年、イエスは驢馬に乗り「ああ救いたまえ!(ホサナ)」と叫ぶ群衆を従えてエルサレムに入場した。その翌日、弟子とともに「異邦人の庭」と呼ばれる教会の神殿に入ったイエスは、両替商のテーブルをひっくり返し、食べ物や土産物を売る露天商を追い払い、生贄に用意されていた羊を放し、鳥かごを開けて鳩を逃がした。

マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの正典福音書すべてに書かれているこの名高い事件は、イエスが暴力革命をも辞さないZEALOTであったことのなによりの証だとアスランはいう。

だが新約聖書からはイエスのこうした暴力性はきれいに消えてしまう。その代わりに「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」の言葉に象徴されるように、イエスはローマ帝国の地上の権力を容認したことになった。だがこの解釈は、イエス本来の意図とはまったくちがう。』