ムラ社会を批判しながら、ムラ社会的連帯責任を正当化するひとたち

ムラ社会を批判しながら、ムラ社会的連帯責任を正当化するひとたち 週刊プレイボーイ連載(585) – 橘玲 公式BLOG
https://www.tachibana-akira.com/2023/12/15253

『アメリカンフットボール部の部員3名が大麻など違法薬物の所持で逮捕されたことで、日本大学が廃部の方針を示しました。これに対して、複数のアメフト部員が廃部の撤回を念頭に、大学側と話し合う場を設けるよう要望書を提出したことも報じられました。

ここからわかるのは、大学側が当事者であるアメフト部の部員と話し合うことすらなく、一方的に廃部を決め、違法行為とは無関係の学生に連帯責任を負わせたことです(100人以上いるアメフト部員のうち寮生は20~30人)。』

『アメフト部のガバナンスが崩壊しているのなら、部員たちが夢を目指して一丸となれる組織をつくるのが管理者の責任です。廃部以外に事態を収拾できないのなら、責任をとるべきは能力のない大学管理者でしょう。

こんなことは当たり前だと思うのですが、驚くべきは、「リベラル」を自称しているメディアが廃部の撤回を求めず、「被害者は学生」などといいながら、被害者を罰する連帯責任を「しかたない」と容認していることです。』

『江戸時代の「五人組」制度を例にあげるまでもなく、もともと連帯責任は、無関係の者まで罰することで、同調圧力によってムラ社会を統治する仕組みでした。日本社会ではずっと必要悪とされてきましたが、近代社会は自由で自立した市民によって形成されるのですから、犯したわけでもない罪で罰せられることなどあっていいはずはありません。

*皮肉なことに、11月30日に日大が文科省に提出した「改善計画」では、日大のガバナンスが機能しなかったのは「ムラ社会」だったからとしています。』

『300万人にもおよぶ膨大な死者と、広島・長崎への原爆投下で悲惨な敗戦を迎えると、前近代的なムラ社会を脱すべく、自由と民主主義がさかんに称揚されました。それを主導したのが「戦後リベラル」ですが、80年ちかくもそんなことをやってきて、挙句のはてが「連帯責任はしょうがない」では、これまでの立派な主張はすべて方便だったのかといいたくなります。

1930年代の日本の新聞は、中国での軍部の暴走を批判しつつも、「今回はしかたない(このようなことが二度と起きないよう改善せよ)」と侵略を正当化してきました。これによって日本は抜き差しならない状況になり、アメリカと開戦すると、あとは「鬼畜米英」の翼賛報道一色になったのです。

残念なことに“リベラル”メディアは、もはやこんな歴史すら記者に教えていないようです。』