2027、35年台湾侵攻なし 米が見抜けぬ習近平宣言の裏
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFE16BM00W3A111C2000000/
『「(中国の)習近平(シー・ジンピン)国家主席は、米国内で(メディアなどにより)報じられている2027年、そして35年の(台湾を侵攻する中国の)軍事的計画について耳にし、憤慨していた。『基本的にそのような軍事計画はなく、それについて誰かが私に話したこともない』と(バイデン米大統領に)語ったのだ」
米政府高官は、15日にカリフォルニア州ウッドサイドで行われた1年ぶりの米中首脳会談で習近平が、こうさら…
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『米政府高官は、15日にカリフォルニア州ウッドサイドで行われた1年ぶりの米中首脳会談で習近平が、こうさらりと言ってのけたことを明らかにした。
もちろん、この発言は、中国国営通信の新華社など中国公式メディアは一切、報じていない。米政府高官が、会談の内情を一部だけ明かしたからこそ、世界的な話題になったのだ。
バイデンとの会談で習は「(台湾問題は)常に中国と米国の関係で最も重要かつ敏感(センシティブ)な議題だ」と、突っ込んで説明したという。さらに「中国は最後には統一される。必然的に統一される」と強くクギも刺した。後段は中国官製メディアが報道している。
15日、米カリフォルニア州ウッドサイドで互いに手を差し出す中国の習近平国家主席㊨とバイデン米大統領(ニューヨーク・タイムズ紙)=AP
習は、この唐突な言及でいったい何を伝えたかったのか。会談の興奮が冷めやらぬ米カリフォルニア州、首都ワシントンでは、会談前夜、習の生の声を聞いた米経済界の重鎮ら多くの関係者が、「台湾を侵攻する計画はない」という新たな習独自の示唆に注目。それを素直に受け取る議論が主流である。
台湾問題と超長期政権のリンク
だが、習は、台湾への武力行使の放棄に言及したわけではない。言わんとする内容は、これまでと大差ないのだ。これを見抜いた中国の内政に詳しい関係者らの反応は全く異なる。
「(中国の)内政上の効果を計算する彼(習)らしい深謀遠慮に注目すべきである。そして『台湾侵攻計画について習が既に指示を出した』などとする米側関係者の発言と、米メディアによる報道の詳細を知っている、とあえて明かしたのも極めて戦略的だ」
この深読みのカギは、習が米メディア報道を利用しながら口にした27年と35年という数字にある。この2つは、習が17年共産党大会から、こだわりを持って意識的に使ってきた数字だ。
27年は人民解放軍の創設100年に当たり、その実力向上に向けた目標年次のひとつである。そして5年に1度の次期共産党大会も続く。習が27年という数字を口にする時、27年共産党大会でのトップ4期目入りを想定しているのは間違いない。
米中首脳が会談後、散歩した米カリフォルニア州ウッドサイドの大邸宅脇の庭園(16日)
もっと問題なのは、35年である。35年は習が17年の共産党大会で、中国が米国に軍事的、経済的に追い付き、追い越すという野心的な目標年次を実質的に掲げた年限である。
27年から35年の間には、もう一度、32年の共産党大会がある。つまり習が「27」「35」という数字に触れる時、今後2回の共産党大会での4期目、5期目の続投を宣言しているようなものなのだ。
ちなみに35年になると、習は中国式の年齢の数え方なら83歳(満82歳)になっている。これは建国の英雄、毛沢東が死去した年齢に当たる。習が35年まで君臨しているなら、毛沢東の業績に追いつくことさえ夢ではなくなる。
「やはり、習はまだまだ長くやる気だ。それをあえてバイデンに向けて言った」。中国の内政的には、こういう受け止め方になる。しかも、35年という数字まで出した以上、終身トップを目指す意欲さえ感じられる。
前週、このコラムで紹介したように、中国共産党内では、「紅二代」(革命時代からの幹部の子弟)中心に、習への個人崇拝的な雰囲気づくりに強い反発が出ている。習は、この危うい動きを意識しながら米国で発言した。そんな解釈も可能だ。
過去を振り返れば、中国のトップが、自らの今後の進退について、外国要人との会談の中で示唆した例はある。これは、内外の風向きを見定めるための一種のアドバルーンだった。
「長江は、後の波が前の波を推し進める」。例えば昨年、96歳で死去した元国家主席、江沢民(ジアン・ズォーミン)は、2000年5月、訪中した当時の自民党幹事長、野中広務ら与党3党幹部と北京・中南海で会い、こう話している。
「後の波が前の波を推す」とは、長江の流れのように世は絶えずうつり行き、新しい世代が古い世代に取って代わることを象徴する中国のことわざだ。会談で江は、後継者と目されていた当時の国家副主席、胡錦濤(フー・ジンタオ)の名にも触れた。
とはいえ、今回の米中首脳会談のように「自分は、まだまだトップとして続投するんだ」という意欲を外国で示唆する例は聞かない。しかも対峙する米国の大統領の前で、米国で流布されている台湾侵攻計画についてあえてコメントしたのだ。
大胆な発想である。「極権」を手にした自信なのだろうか。いや、そうではない。中国経済が極めて厳しい状況にあるなか、共産党内や中国の一般社会で習への風当たりが強まっている。この局面打開のためにも米国で台湾を巡って発信し、超長期政権に向けた自信を示す必要があったのだ。
この極めて政治的な宣言を米国内から世界に、そして、それが跳ね返る形で中国内に広めることこそ、今回、無理を押して訪米し、バイデンと会談した真の目的だったのではないか。
米中会談後、習近平氏が現場に記念として残した直筆サイン
習はこの「台湾侵攻計画なし」という大胆な示唆をした現場に、歴史に残るある証拠を残してきた。「習近平 二○二三年十一月十五日」と自筆で書いたサイン(写真上)だ。習が中国内で揮毫(きごう)するのは珍しい。今回のサインの字体は、15年の時点(写真下)の文字に比べて崩しも入っており、かなり進化を遂げている。
2015年、上海にある建物の側面に新たに掲げられた「習近平」と自ら記した揮毫をかたどった3文字(左)。右にある軍隊などの文字群は自筆ではないと考えられている
この習のサインは、バイデンと対峙した「ファイロリ」の邸宅内の仏ベルサイユ宮殿風の部屋での会談後、自ら「揮毫」したものだ。会談翌日だった16日の正午過ぎ、邸宅が一般公開を再開した直後は、惜しげもなく公開されていた。
だが、その後、32ドルもの入場料を払ってでも米中首脳の散歩道を一目、見たいという中国系の団体観光客がファイロリに押し寄せ始める。ケースを開けて習直筆サインのページに無造作に素手で触れようとするものまでいた。破損を案じたスタッフが一時、サイン帳ごと館内奥にしまい込んだのは理解できる。見学停止は残念だが。
場所の最終決定は2週間前
ちなみに、候補地の中から、このサンフランシスコ中心部から40キロメートル以上も離れた田園地帯を会談場所として最終的に決定し、現地で入念な準備に入ったのは「(会談当日から)2週間ほど前だった」(関係者)という。
ファイロリが選ばれた理由は、習を非難する各種集団の大規模デモの声が絶対に聞こえず、彼らの旗なども習に絶対に見えないようにするためだった。そして首脳が肩を並べてゆったり散歩もできる。そんな条件を満たす場所は、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が開かれたサンフランシスコ中心部にはなかったのである。
会談場所となった邸宅の部屋の内装は、シャンデリアを含め荘厳な仏ベルサイユ宮殿風だった。その裏には興味深いエピソードがある。百年以上も前、サンフランシスコの水道・ガスなどインフラ整備で財をなした大富豪で社会活動家でもあるウィリアム・ボワーズ・ボーン2世(故人)が、この邸宅と広大な庭園をつくりあげた。
米中首脳が会談した米カリフォルア州ウッドサイドにある邸宅の部屋は当時のオーナーの趣味で仏ベルサイユ宮殿風の内装だった
ボーンは第1次世界大戦の際、ドイツと激しく戦ったフランスをサンフランシスコから熱心に支援。米西海岸地域の世論づくりをけん引した。この貢献からボーン夫妻は、ベルサイユ宮殿で開かれた講和のためのベルサイユ条約(1919年)の調印式に招待され、その場に立ち会っている。フランスから名誉勲章も授与された。
ボーンは大戦終結という歴史の証人となった自らの感動を形として残す決断をする。それが、大邸宅の象徴であるボールルームを、各国代表が条約にサインしたベルサイユ宮殿の「鏡の間」を模した内装にすることだった。
自筆サインは「侵攻なし」の証文か
では、習がこの部屋での会談後、残した自筆サインは、中国による台湾武力統一が将来にわたってないことを担保する証文になりうるのか。そこには、併せてバイデンの自筆サイン(写真下)も残っているのだから。
バイデン米大統領が11月15日の米中首脳会談の現場に残したサイン
それは早計だ。なぜなら習発言はもろ刃の剣でもあるからだ。「もし『武力統一はしない。侵攻はない』と言い切るなら、習主席のカリスマ性も消えかねない」。中国内からはこんな反応も聞こえる。
中華民族の復興を成し遂げた力強い自分が超長期の安定政権を築いて台湾を守り、最後に統一する――。この考え方は、習を強く支持する中国内の「タカ派ポピュリスト」らに大いに受けていた。習は、バイデンに向けた柔らかめの言及と違って、中国内では常に台湾に強い態度をとり続ける必要がある。
超長期政権の確立を狙った内政上の効果も計算されていた習による「27、35年の侵攻計画なし」という驚きの宣言。その真の意味は何だったのか。中国政治の奥は深い。事実がおぼろげながらわかってくるには10年単位の時間がかかる。
それが最初に判明するのは27年、そして35年。まだまだ先だ。1919年のベルサイユ条約は、敗戦国ドイツと連合国の歴史的な平和条約だった。だが、それはやがて無に帰し、再び第2次世界大戦が始まる。歴史の先を読むのは難しい。
それでも、今回の米中首脳会談の結果、台湾問題が誘発する米中衝突、大戦の惨禍を当面の間、防げる雰囲気が醸し出されるなら、ベルサイユ条約の現場に立っていたボーンもきっと満足だろう。(敬称略)
中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。』