中国の四川省で罰金経済全開
http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/32887292.html
『四川省の自治体が、私生活の態度に踏み込んで罰金を課す事を検討している事が外部に漏れて、SNSで炎上しています。詳細は動画に詳しいのですが、中国の農村部に多い椅子やテーブルを使わず、しゃがんで食事をすると罰金で約400円、布団を畳まないと約200円を徴収するなど、細かな生活態度について、14項目にも渡って細かな罰金制度を設ける予定とされています。屋外のみならず、トイレ、リビング、寝室、庭、家への通路など細部に渡って査察官が個人宅を訪問し、勝手に査察をして、チェックに引っかかると罰金を取られるという内容です。すべての項目で不合格になると、総額で3000円ほどになり、しかも2回目以降の査察で改善が見られないと、罰金が倍になります。そして、査察はどれくらいの頻度で行われるか明記されていません。実際に施行されたわけではなく、検討段階の資料が外部流出したのですが、書類には「確認印」のような判子も押されていて、実際にやるつもりだったのではないかと噂されています。
3000円というと、大した事なさそうに感じますが、平均月収の低い地方の農村部、しかも少数民族となると、決して安い金額ではないです。しかも、この査察が、どういう頻度で行われるか判りませんし、あくまで査察官の主観で、どうとでも判定する事が可能な事です。罰金を払わせようと思えば、いくらでも、「不合格」判定をして、罰金対象にできるという事です。
動画のように地べたに食器を置いて、しゃがんで食べるのは、さすがに一部の地域の少数民族の慣習ですが、実は人民がしゃがんで食事をするのには、仕方がない過去の時代に由来する理由があります。歴史上、皇帝や共産党の失政で飢餓に晒される事の多かった人民は、しゃがんで内蔵を圧迫する事で、少食でも満足感を得る為に工夫した結果なのです。しゃがんで食べて、立ち上がると、食べ物が一気に落ちるので、擬似的な満足感を得て、空腹を騙す事ができます。立ったままだったり、座って食べると、食べる量が増えてしまうのです。なので、都会で働く農民工にも見られる特徴です。飢餓を心配する時代が長かったので、もう身に染み付いている習慣になっていたりします。
また、アエコンなんて気の利いたものの無い、土壁の農家では、屋内より屋外で食べた方が、気持ちよく食べられるという事があります。また、村単位で創意工夫して暮らしている村などでは、近隣で集まって、大勢で食べた方が美味しいし、無駄も無く、絶対に必要な交流の場でもあります。なので、地方で暮らす上では、むしろ生活の知恵だったりします。
恐らく、以前、このブログでも解説した、「農管」と呼ばれる、農民専用の管理役人が、勝手に個人宅に踏み込んで、査察して、罰金を課すものと思われます。農管は、これだけではなく、農薬・種・肥料の取締、農具・農耕機械の整備状況の査察、突然必須になったトラクターやコンバインの免許証のチェック、指定した農作物以外を農作していないかのチェックも含みます。つまり、農民が工夫して、より付加価値の高い農作物を植える事も、勝手にはできません。指定したものを、ノルマの量を農作するのが義務になっています。これは、毛沢東の大躍進政策の計画経済へ立ち返る政策です。
何度か、このブログで解説しているように、思いつきで始めるメチャクチャな習近平氏の経済政策と、共産主義に傾倒した思想政治(私の造語。思想の下に政治を置く国体)によって、現代に計画経済への回帰をしようとしています。その為に全ての資源を国内で自立生産できる事を目指しており、海外から技術を盗みまくって、どんな部品・資材でも、国内で調達できる事を目指しています。もちろん、食料も自給自足を目指して、一時期、狂ったような農地開拓の指示を出していました。ちなみに、中国は、食料・飼料に関して、輸入しないと成り立たないくらい海外に依存しています。特に大豆・飼料用トウモロコシは、供給が止まると詰みます。資本主義経済圏に参加しながら、これが可能であると、なぜか断定するのが、習近平氏の思想政治であって、実は明確な根拠は存在しません。せいぜい、存在するのは、「人民のパワーを結集すれば、どんなものにも打ち勝てる」と、なぜか経済問題を戦いに模した根性論だけです。なぜか、大陸気質の人って、外交でも経済でもスポーツでも、「戦い」として捉える傾向が強いのですよね。治水や地震対策でさえ「自然との戦い」で、人民の力で打ち勝つ対象にしてスローガンを作っています。
当然、「戦い」なので、勝ち負けには拘りますが、国際法とか人権は、相手が守るものであり、自分が守るものとは考えません。「勝てばよかろう」、「ルールは勝者が作るモノ」というスタンスなので、根本的な部分で、他人の決めたルールに従う気は無いですし、相手は自分に従わせるモノという考え方です。』