終身狙う習氏に盟友が専制反対 米中緩和には賞味期限
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFE121PY0S3A111C2000000/
『「今の豊かな中国の基礎となった安定した対米関係を完全に壊すことだけは、決してしないように」「経済を含めこれ以上の混乱は、もう許されない」。これが、今夏の「北戴河会議」で中国共産党総書記、習近平(シー・ジンピン、70)ら現役指導部が、引退してもなお発言力を保つ長老らから突き付けられた大きな課題だった。
そして今、習は国家主席として米カリフォルニア入りし、米大統領のバイデン(80)と会談、昼食、散歩…
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読みいただけます。』
『そして今、習は国家主席として米カリフォルニア入りし、米大統領のバイデン(80)と会談、昼食、散歩など約4時間、時間を共にした。2時間強の会談では、バイデンが「競争が衝突に転じないように、誤解や行き違いがないようにするのが最も重要だ」と訴えると、習は「大国間競争は時代の潮流に合わない」とけん制した。
安全保障、中東、ウクライナなど国際情勢、経済、地球環境を含めた幅広い意見交換で、不測の事態回避に向けた軍同士の対話再開、米中各層での対話促進では一定の前進があった。
ただ、習の言い回しは、ほぼ過去の踏襲で、台湾問題などでも新味はない。会談冒頭発言で両首脳が見せた笑顔なき厳しい雰囲気は、今回の緊張緩和が暫定的なものにとどまる可能性を思わせる。
それでも、ここ数年、対米強硬ばかり目立った習政権の「戦狼(せんろう)外交」は、ひとまず影を潜めるだろう。これで習は、夏から宙に浮いていた中国内政上の「約束手形」をようやく落としたことになる。
米中会談の伏線は夏、APECは「半身」
そう。世界が注目した米中首脳会談をなんとか実現させた伏線は、8月の習指導部と長老らの意見交換にあったのだ。中国内部の秘された権力闘争こそが今回、習を米国に赴かせた原動力になったのは、逆説的である。
今回、習は9月のインドでの20カ国・地域(G20)首脳会議のように簡単に欠席するわけにはいかなかった。実はインド行きキャンセルも、中国内政・外交の混乱、軍内のもめごと、経済悪化が絡んでいた。秦剛は外相から解任され、李尚福の国防相解任に至る闘いも始まっていた。
11月訪米の最終決断で習は我慢も強いられた。香港での人権弾圧で米国から渡航禁止の制裁を受けた香港トップ、李家超(ジョン・リー、65)。習人事で抜てきされた香港警察出身の李家超が、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議から外される煮え湯を飲まされたのである。
事前の中国の反発を考えれば、習の訪米決断は大幅な譲歩だ。それでも習はバイデンとの会談実現を最優先せざるをえなかった。習の側近集団からは、中国外務省に会談実現に向けた檄(げき)が早くから飛んだ。
「習は何が何でもサンフランシスコに来たい……」。見透かす米ホワイトハウスも足元を見ていた。バイデンは会談前日の14日もワシントンで「中国の人々は家庭経済上、とても困っている」と、上から目線で習の「経済的失策」にあえて触れていた。
当然、中国側には不満が残った。それを示すのが、APECに対する「半身の構え」だ。米関係筋によれば、現時点で習はAPEC首脳会議最終日の日程を残し、そそくさと16日中に帰国する日程を組んでいる。それは「香港を巡る米国の態度を許してはいない」という国内向けアピールでもある。
そして、もうひとつある。秦剛の外相解任事件に深く関係した米在住の女性問題、国防相の謎の解任、前首相の李克強(リー・クォーチャン)の突然死など、微妙な問題に米国訪問中は触れられたくない、という中国内政上の理由だ。
もし各国メディアから習に厳しい質問が繰り返し飛べば、トップの面目が潰れかねない。習同行幹部はそれを心配していた。当地には習政権に抗議する大集団も世界から集まっている。中国側は、雅(みやび)ではない動きを習の目に一切入らないようにすることに心を砕いていた。
首脳会談の地が、サンフランシスコ中心から40キロメートルも離れた「ひなの地」、ウッドサイドの広大な庭園付き邸宅に最後に落ち着いたのは、なぜか。米中外交関係者は「中国側から、うんざりするほど多くの注文が米側に提出されたからだ。多くは、習主席が比類なき中国トップとして威厳を保つための儀典上の注文だった」と証言する。
証拠がある。14日、サンフランシスコ国際空港に降り立った専用機からタラップを降りてきた習に、まず最初に話しかけ、長々と「手はず」を説明したのは、歓迎に並んだ米カリフォルニア州知事のニューサムや米財務長官のイエレンではなかった。
それは、なんと儀礼を仕切る米国務省の儀典長だった。異例である。これは習の米側への細かい要求に直接、応えたものだという。習は会談内容より、握手時の立ち位置、会談後の両首脳の散歩形式など、儀典・形式を最も気にしていた。会談中も習は自ら儀典上の米側の特段の配慮に礼も述べた。全ては中国国内向けの体面づくりだ。
一方、サンフランシスコ中心部の習が泊まるホテルだけは、他の首脳らの宿舎と異なり、周囲が通路を含めて頑丈な黒いフェンスで覆われた。通路の歩行さえ不能で、フェンス入り口で中国側「黒服」が身分証を厳しくチェックしている。ここだけは米国ではないかのような雰囲気だ。
盟友、劉源氏から驚きのけん制
最大の問題は、ここからである。奇妙な日程の今回の対米外交を真に理解するには、訪米直前に起きた中国内政上の大事件を知る必要がある。習はその頃、気もそぞろだった。
問題は、習支持のはずの「紅二代」(革命時代からの幹部の子弟ら)の仲間からも、圧力を受け始めた構図だ。今回、ぶつけられたのは「個人の専制(個人の暴政、独裁の意も)に反対する」という明確な文言だった。名指しはないが、意味は誰にでも分かる。
習近平国家主席の盟友だった劉源氏(写真左)は、元国家主席・劉少奇氏の子息。右の写真は、15日に米カリフォルニア州で会談した習近平・中国国家主席(右)とバイデン米大統領
代表者は元国家主席、劉少奇の息子である劉源(72)だ。軍最高位の上将にのぼり詰めた劉源は、習の幼なじみで盟友関係にあった。そして劉源は悲劇の主人公でもある。「大躍進」(1958〜62年)に大勢の餓死者を出し失敗した毛沢東は、国家主席の地位を劉少奇に譲る。劉少奇の使命は、破壊された中国経済、庶民生活の立て直しだった。
悲劇は再び始まる。毛沢東は失った威信回復へ文化大革命(1966〜76年)を発動。目的は劉少奇打倒による奪権だった。劉少奇は劣悪な環境下で拘禁され、ついに死に追い込まれた。 その息子、劉源が今秋、毛沢東研究を名目に共同発表した論文で、父の名を借りつつ「個人専制への反対」「党内民主」を冒頭から説いた。
「劉源は軍の『反腐敗運動』では習の盟友だった。習周辺が個人崇拝的な雰囲気を醸し出す『人民の領袖』という言葉を再び強調し始めただけに、今回の動きは注目に値する。紅二代からの強い不満表明とみてよい」
紅二代の動向に詳しい識者も劉源らの動きに目を見張る。さらに11月上旬、北京で劉少奇生誕125年記念の盛大な音楽会を開催。習訪米前に紅二代が大集合した。「気になるのは、集まった紅二代らが、裏で様々な意見交換をしたことだ」。関係者の証言である。
北京で開かれた劉少奇生誕125周年を記念する音楽会には多数の「紅二代」らが大集合した(中国内のSNSから)
音楽会は控えめながら中国内でも報じられ、劉源論文もインターネット上で流布された。ところが、「暗に習政治を批判している」という反応が広まると、途端に関連文章が当局によってネット空間から削除される。多くは既に閲覧不能。習周囲が深刻に受け止めている証拠である。
こちらも逆説的だが、劉源が協力した軍内の「反腐敗運動」の大成功こそ、習が共産党トップとして異例の3期目入りができた原動力だった。そして「極権」を手にした習に今、盟友の劉源が「注文」を付けている。劉源は紅二代に影響力があるだけに、習側近らも捨て置けない。
毛沢東に打倒され、死に追いやられた劉少奇・元中国国家主席(中国内の展示から)
半世紀前を振り返れば、毛沢東は劉少奇の経済再建案に難癖をつけた。劉少奇を自らの後を託す後継者とは認めず、自らの終身トップの地位と、その権威維持にこだわり続けたのだ。そして今、習もまた真の後継者を育てるそぶりを全くみせない。
「4年後の2027年共産党大会で4期目も狙うのは間違いない」「(習もまた)終身の地位を狙うとの推測が成り立つ」。多くの党関係者が思い浮かべるシナリオだ。紅二代まで「個人専制」反対を叫び始めた裏には、強い危機感が潜んでいる。
10年前からの因縁、緊張緩和いつまで
習が米中会談でカリフォルニア入りするのは10年ぶりだ。トップ就任直後の習は、2013年6月、米中二大国による太平洋の安全保障、経済上の権益2分割を示唆する言葉を当時の米大統領、オバマに投げかけた。
オバマ政権側は、現場では習の真意を理解できなかった。たが、ワシントンに持ち帰ってじっくり分析した結果、ようやく中国の重大な野心が隠れていることを見抜き、後に明確に拒否する。これが、その後の米中激突への導火線になった。
以来、共和党のトランプ政権、再び民主党のバイデン政権に代わっても米中対峙の基本構造は変わっていない。米中関係をよく知る識者は「今回の(米中首脳)会談も、実態的に『分断』が進んでしまった大きな流れを変えるほどの一致点はない」と断じる。
とはいえ、ひとまず習が面目を保てるギリギリの結果にはなった。問題は、この米中緊張緩和がどのくらい持つのか、である。半月か、1カ月か、それとも3カ月なのか。
紅二代からまで「専制反対」を突き付けられる困難な情勢下、対米緊張緩和の賞味期限切れに向けたタイマーも今、時を刻み始めている。会談後の記者会見でバイデンが最後に習を「独裁者」と名指ししたことは、時の流れを加速するかもしれない。(敬称略)
中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。
【関連記事】
・バイデン氏「習近平氏は独裁者」 中国側は反発
・米中首脳、軍事対話再開で合意 習氏「世界に重い責任」
・米中首脳会談、人里離れた「邸宅」を利用 デモ回避狙い
・米中首脳会談、利益や価値観相いれず 対立続く 』