深刻な中国経済、対策探る「3中全会」先送りの裏側
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFE053CE0V01C23A1000000/
『中国共産党総書記である習近平(シー・ジンピン)を核心とする政権は、この時期、恒例となっている長期的な経済運営の路線を決める党中央委員会第3回全体会議(3中全会)を開く兆しをみせていない。3中全会は、共産党の幹部を意味する中央委員、中央候補委員ら350人以上が、首都・北京に集合する大会議だ。
世界の誰がみても深刻な状況にある中国経済。習政権は、路線転換によって状況を改善する努力を諦めてしまったの…
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『世界の誰がみても深刻な状況にある中国経済。習政権は、路線転換によって状況を改善する努力を諦めてしまったのか。それは少し違う。国際的にも注目度が高い3中全会を早期に開きたくても、開けない理由があるのだ。
10年前の3中全会確約は反故
「最も重要な3中全会をいまだ開かない、いや、開けないのは、ちょうど10年前だった同様の3中全会で決めた重要事項が、その後の闘い(権力闘争を指す)もあって、実現できない経緯に関係している。この不況を乗り切る策は、なかなか出てこない」
「10年前、3中全会の方向性をけん引したひとりは、(亡くなった前首相の)李克強(リー・クォーチャン)だ。皆、忘れてしまったが、決めた路線は、いわゆる『リコノミクス』だった」
中国が「改革・開放」に踏み出した後、その経済政策を内外から40年ほど追いかけてきたベテラン識者2人が振り返る。経緯を理解するには、まず10年前の3中全会で何が決まったのか思い起こす必要がある。
習近平国家主席(右)と当時の李克強首相
それは2013年11月9日に開幕した。 前年の共産党大会で習と李克強がナンバー1、2のコンビを組む新たな指導体制が始動。その後、10年続くはずの経済路線を決定する会議が3中全会だった。
公表された決定事項を改めて眺めると「資源配分では市場に決定的な役割を担わせる」という画期的な表現が光る。当時の公式報道の見出しでは「3中全会は経済体制改革に焦点を当て、市場(メカニズム)の決定的な役割を強調した」と高らかにうたっていた。
もう少し説明すると「中央政府の管理を減らす構造改革」「民間経済、民間企業の育成」に重点があった。そして、より大きな方向性として示したのは、長く非効率性が問題となっていた国有企業の改革推進である。
10年前の3中全会は、世界でどう受け止められたのか。当時の海外報道から、目に付く識者コメントを引用したい。「習政権が3中全会で打ち出した市場化に向けた改革が特長の政策は、すなわち李克強首相による『リコノミクス』だ。それは(内外で)好評を得ている」
中国中央テレビが2日放映した、中国の李克強前首相の告別式の映像=共同
今から振り返ると隔世の感がある。李克強は、もうこの世にいない。68歳の若さにして上海で急死した。当時、人口に膾炙(かいしゃ)した「リコノミクス」。しかし、そんな言葉が存在していたことを覚えている人さえ少なくなった。
その後、中国の経済路線は、公表された3中全会決定事項の全文に書き込まれていた方向性と全く逆に進んだ。「資源配分で市場に決定的な役割を担わせる」という画期的な方針は挫折した。約束は反故(ほご)にされたのだ。
なぜなのか。中国共産党内の権力闘争という側面から分析すると「市場メカニズムの決定的な役割」を主張した李克強が、その後の政策実行で主導権をまったく発揮できなかったことに尽きる。
国有企業改革の掛け声倒れは、その後、推し進められた国有鉄鋼大手の宝鋼集団(上海)と武漢鋼鉄集団(湖北省)という2大強者の経営統合でも明らかだ。「供給側改革」の名の下、進められた統合の結果はさらなる供給過剰だった。「大きいことは、よいことだ」という考え方の負の側面である。
「市場が決定的役割」というリコノミクス消滅
経済政策の司令塔であるべき当時の首相、李克強は、なお3中全会で決めた国有企業改革にこだわっていた。象徴するのが「スリムで健康体の国有企業を」という発言だ。李克強は傍観していたわけではない。国有企業の巨大化に抵抗する発信をしていたのだ。リコノミクスの根幹が崩れゆくのは見るに堪えなかった。
「国有企業をより大きく」という強行された政策は、淘汰されるべき「ゾンビ企業」の生き残りにつながった。一方、民間企業への強烈な圧力は、その後、民間IT(情報技術)大手であるアリババ集団への「いじめ」とさえいえる政策でいっそう鮮明になった。「習・李」コンビ2期目の2020年からの動きである。
2日、北京での告別式で李克強夫人(左)に哀悼の意を伝える習近平国家主席(中央)=新華社・ AP
この10年の流れをつぶさに分析すれば、明らかなことがある。「中国共産党が全会一致で決めた経済面の決定事項でさえ、まったく実行されず、意味をなさないこともある」という厳然とした事実だ。
そして今、中国経済に未曽有の危機が訪れている。不動産開発大手、中国恒大集団などが経営危機に陥る今、3中全会の開催時期の決定は極めて難しい。なぜなら、中国社会を揺るがす大きな経済問題に対処する抜本策が存在しないからだ。
たとえ3中全会を拙速に開いても、内外から評価される効果的な具体策を打ち出せないまま閉幕してしまえば、中国経済への失望感が一段と広がってしまう。これでは、開催の意味がなく、逆効果になりかねない。
政治的にも、習自らの主導でこの3月、副首相級の国務委員兼国防相に抜てきされたとみられる李尚福が、理由不明のまま解任された。国防面の対外折衝も担う重職である国防相の後任は空席のままだ。
混迷は外交面も似ている。先に失脚が確定した秦剛を巡る問題である。解任された国務委員・外相のポストのうち、外相部分だけは、前任者である王毅(ワン・イー)が急きょ、兼任したが、不正常さは否めない。
中国の経済、外交・安全保障が揺れ続ける中、3中全会にいわば「素手」で臨むなら、不安定感が浮き彫りになりかねない。習政権が慎重にならざるを得ないのは理解できる。
一方、努力も続いている。まず、10月末、共産党主導による「中央金融工作会議」を2日間、開いた。不動産金融が大問題になるなか、金融システムの安定、銀行の健全性の維持がテーマだった。
李克強が政権ナンバー2だった時代までは、専門的な金融政策は国務院(政府)が仕切る行政主導の色が強かった。その象徴が、5年に一度開く「全国金融工作会議」の開催だ。
ところが李克強が最高指導部と党中央委員から外れた22年共産党大会の後は、これまでの慣例を無視して開催見送りに。そして1年後の今、党主導の会議に改組して開催した。金融問題の全てを仕切るキーマンは、習側近の副首相、何立峰(ハァ・リーファン)に変わった。習と何立峰は、習が福建省アモイの副市長だった1980年代に遡る古い付き合いである。
何立峰副首相=ロイター
習政権は「課題の多い金融問題は政治的にも極めて重要であり、共産党が主導し、しかも習側近が直接仕切らなければ危機を乗り切れない」(中国の金融関係者)と考えているフシがある。併せて、国債を1兆元(約20兆5000億円)増発する政府の方針が認められたのも、同じ目的である。
米APEC帰国後開催も
10月末、共産党が開いた政治局会議では日程を発表できなかった3中全会だが、仮に習が11月半ば、米サンフランシスコで開くアジア太平洋経済協力会議(APEC)に出席する場合、帰国後のどこかの時点で開く選択肢はある。
訪米で米大統領のバイデンと対等に渡り合い、中国側として一定の成果を誇れる情勢になれば、地合いは少し良くなる。少なくても中国の外交だけは「成果をあげている」と内外に説明できるからだ。
年末の12月は、通常、年に1度開く中央経済工作会議の季節だ。こちらは、来年の経済運営の方向性を決める会議だ。それならば「3中全会と中央経済工作会議を連動させて開くような新しい形もないとはいえない」。これは習政権の経済政策に通じる関係者の推測である。
習への権力集中が過度に進んだことで、過去の政治日程を巡る慣例は、まったく参考にならない時代に入っている。意表を突いて重大発表がある可能性はいつでもある。いつかは開かれるはずの3中全会。そこで「リコノミクス」の根幹だった「市場が決定的な役割」という表現がどう扱われるのかにも注目したい。(敬称略)
中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。
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