北戴河会議の裏にいた李克強氏 謎残る突然死の危うさ

北戴河会議の裏にいた李克強氏 謎残る突然死の危うさ
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFE262II0W3A021C2000000/

『「異様な事件が起きた(2022年の中国共産)党大会、(23年夏の)北戴河(会議)に続く、複雑な政治劇の第3幕が(まだ68歳だった前首相の)李克強(リー・クォーチャン)の突然死、上海での客死という思いも寄らない出来事から今、始まろうとしている」。中国要人の執務地である北京・中南海の事情を知る人物の声である。

中国軍ににらみを利かせる長老で元国防相の遅浩田(94)が、元国家副主席、曽慶紅(84)の隣…

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『中国軍ににらみを利かせる長老で元国防相の遅浩田(94)が、元国家副主席、曽慶紅(84)の隣に無言で控えていた今夏の北戴河会議。河北省の海浜保養地の集いで共産党総書記、習近平(シー·ジンピン、70)が率いる現指導部は、長老を代表する曽慶紅から「これ以上、混乱させるべきではない」という趣旨の諫言(かんげん)を受けた。

この厳しい諫言を受けて、習が現首相の李強(リー・チャン、64)ら現役指導部の面々を叱咤(しった)激励した詳しい経緯は、過去3回、このコラムで取り上げた。この秘められたドラマチックな政治劇には、意外すぎる続きがあった。

右から遅浩田・元国防相、曽慶紅・元国家副主席、張徳江・元全国人民代表大会常務委員長

李克強前首相は北戴河に間接関与

第3幕の陰の主役は、故人である李克強だ。「李克強は(突然)死の2カ月余り前に開かれた海辺の会議(北戴河会議を指す)に間接的とはいえ、それなりに関わっている」というのが、冒頭で紹介した人物の指摘だ。

李克強は北戴河入りしたわけではない。だが曽慶紅が代表する形で現指導部にぶつけられた諫言には、李克強の考え方も反映されていたと考えられる。なぜなら、長老グループは、未曽有の中国共産党の危機に際し、様々な手段で幅広く重鎮から有用な意見を募った。曽慶紅、遅浩田ら代表者3人は「総意」を携えて北戴河入りしたのだ。

今となっては、李克強が具体的にどんな考えを伝えていたのかは、やぶの中だ。だが現役だった22年夏の北戴河会議後には、広東省深圳に現れ「黄河と長江が逆流することはない」と強調していた。「改革・開放」路線は不変と言いたかったのだ。

李克強には、最高実力者だった鄧小平の時代から、兄のように慕った前国家主席の胡錦濤(フー・ジンタオ、80)まで確固として続いた改革・開放の正統な継承者という自負があった。それなら今夏の北戴河会議の前にも、同趣旨の話を伝えてほしいと依頼したと考えるのが自然だ。

気迫にあふれていた生前の李克強氏(2019年3月の北京での記者会見) =AP
非「習派」の重鎮、李克強の突然死は一見、習のさらなる権力固めに有利にみえる。だが話はそう簡単ではない。問題は1億人近い中国共産党員ではなく、一般国民、とりわけ若者らが、李克強の突然死をどう考えるかだ。

中国政治では通常、あり得ないことが頻繁に起きてきた。典型例は、先の党大会閉会式で習の隣に座る胡錦濤が、衆人環視の下、会場から腕を捕まれて連れ出された「宮廷政治劇」だ。そして記憶に新しいのは、中国外相、国防相の突然の連続解任。いずれも中国の一般国民が納得できる形で真相、原因が明かされていない。

第20回中国共産党大会の閉会式で、退席する胡錦濤前国家主席(左から2人目)に肩を触れられる李克強前首相(手前左)。手前右は習近平国家主席(2022年10月、北京の人民大会堂)=共同

李克強の上海での突然死はどうか。中国の最高指導部経験者への医療は手厚い。どこに行くにも24時間、医師、看護師、ボディーガード、秘書が付き添い、毎日欠かず数回の健康チェックがある。チームを組んでの完璧な健康管理、医療提供は本人が死ぬまで続く。

現役、引退者を問わず全指導者らの健康管理を統括するのは、習ら指導者らが関わる仕事の事務を取り仕切る共産党中央弁公庁だ。現トップは、習側近で党政治局常務委員の蔡奇(ツァイ・チー、67)。そこから中央保健委員会に細かな指示が出る。

完璧な体制ゆえに最近、中国の指導層、引退者が60、70代で急死する例はほぼなかった。大半が90歳前後までは生きる。「他国ならありえない特権にあずかれるからこそ、共産党員は国家指導者級をめざす」(党関係者)

引退した長老としては最も若い68歳の李克強。8月末には世界遺産、敦煌の莫高窟の階段を軽快に上り下りする元気な姿を見せていた。その突然死は「突発的な心臓の病で、懸命の治療のかいもなく……」とされている。だが心臓治療で中国最先端の技術と医師陣を誇る上海の有名病院に運ばれた形跡もない。なぜなのか。謎は残る。

歴史を動かす一般人が信じる「真相」

「中国の歴史が動く時、重要な意味を持つのは、今後も絶対に明かされることがない『事実関係』ではない。それよりも、多くの一般人が信じる『真相』が大事なのだ。いわゆる『陰謀論』を信じる人々が、かなり多いのは気になる」

中国政治を内外から長く観察してきた識者の卓見である。確かに中国の人々は、共産党・政府から最も重要な真実を知らされることはない。その環境に慣らされているのだ。だからこそ自らの力で信じられそうな情報を広く集める。それが習慣化した防衛反応だ。

別の信頼できる中国政治関係者が語った次の言葉は、李克強死後の中国の政治・社会を理解する上でさらに意味深い。「(中国の)政治構造上、最も重要なのは、習にとって李克強は『永遠のライバル』だったという代えがたい事実である」

これは李克強の完全引退後も変わらぬ構造だった。いや、むしろ習政権が経済、外交・安全保障面で未曽有の苦境にある今だからこそ、潔く完全引退したライバル、李克強の存在がクローズアップされていたともいえる。

「万一、習が意外なことで予想外に早く退かざるをえない時、代わって浮上するのは、まだ若い李克強その人だろう……」

この問題を考える時、思い起こすべきは、胡錦濤の後継者を選抜した07年共産党大会である。下馬評では、後継者の第1候補は胡錦濤側近の李克強。共産主義青年団(共青団)のホープだ。そして第2候補が習。こちらは革命時代の幹部の師弟である紅二代、太子党の利益を代表していた。

ところが07年党大会の最高指導部人事では、下馬評が覆された。習の党内序列が李克強より上だったのだ。立場は逆転した。それでも16年後の現在まで、習が李克強への警戒心を解くことはひとときもなかった。

習より2歳若い「永遠のライバル」、李克強が、なぜか今、都合よく死んでしまった。明かされることのない真実とは別に、一般民衆が陰謀論に傾く下地は十分ある。危うい構造である。李克強の遺体は、死亡当日、何の報道もない中、専用機で上海から北京に運ばれた。

「火葬は11月2日に」。10月31日午前になって中国国営メディアが簡単にそう伝えた。告別式、追悼大会など今後の日程は不明だ。習政権は、人気ある好漢の突然死をどう扱うべきか苦慮している。各地の大学当局に李克強の勝手な追悼活動を制限する通知が届いているのも、これを証明している。

「天は見ている」、民主化運動の地で追悼

案の定、全国各地で李克強追悼の人の波が起きている。北京大学への入学前、李克強が少年期を過ごした故郷、安徽省の中心地、合肥。中心部に残る李克強が住んでいたアパート旧居前は10月28日、黄と白の菊を白い紙で包んだ花束で埋まった。追悼に向かう人の列が延々と続く。当局は警備人員を多数配置し、ビリピリしている。

李克強氏がかつて住んでいた場所には花束がうずたかく積まれていた(安徽省合肥、10月28日)

なぜなら、ここ合肥の中国科学技術大学では、1989年の天安門事件に先立つ86年末、民主化を求める学生デモが起き、その波は全国に広がった。李克強と同じ共青団出身だった当時の共産党総書記、胡耀邦は学生デモへの対処の甘さを保守派から理不尽に追及され、翌87年1月、失脚に追い込まれる。

中国共産党内の激しい権力闘争の結果だった。そして2年後、胡耀邦は会議中に倒れて「憤死」。その追悼が天安門事件の引き金をひいた。意外だが、この経緯は習の人生に関係がある。87年1月の胡耀邦解任を最終決断した鄧小平のやり方に断固反対し、抵抗した人物がいた。習近平の父、習仲勲だ。

筋を押し通す「一言居士」だった習仲勲は、胡耀邦解任を決める政治局メンバーらの会議開催を阻むため、文字通り体を張った。「習仲勲同志は(北京の)人民大会堂に長く立て籠もる単独ストライキで鄧小平に盾突いた。実際、会議開催は10日以上遅れたんだ。だが、仲勲はその無理もたたって体を壊してしまった」。これは当時の経緯を知る引退した幹部の証言だ。

李克強追悼の人波は、かつて省トップを務めた河南省鄭州でも。「人が何をしているのか、天は(きちんと)見ている。蒼天(そうてん)には眼があるのだ」。鄭州の現場には、李克強が今春の首相退任時、幹部らに言い残した「習への批判」ともとれる言葉が添えられていた。あまりにも敏感な内容のため当時、公式報道されなかった。

白紙を掲げて抗議する中国の若者たち(2022年11月27日、北京)=ロイター

白紙運動1周年と重なる追悼行事の危うさ

習政権は、この危うい情勢を踏まえつつ、李克強の追悼行事の時機、警備体制を考える必要がある。とりわけ、この11月は、ちょうど1年前、習政権による厳しい「ゼロコロナ」政策に怒る若者が各地の街頭で抗議の白い紙を掲げた「白紙運動」から1周年という微妙な時期でもある。

そう。天の眼は、常に見ているのだ。大学を卒業しても仕事に就けず、不満を持つ若者らが、この李克強の珠玉の「遺言」の意味をどう考えるのか。それが、今後の中国の政治、社会情勢のカギを握っている。(敬称略)』