iPadであなたはもっと馬鹿になる
https://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2010/05/i_1.php

 ※ 『 では、私たちがしていないことは? それは「考える」こと。情報を処理してはいるが、考えてはいない。2つは別物だ。』

 ※ これは全く、その通りだろう…。

 ※ 「非常に忙しいゾンビ」は、そこかしこに見られるようになった…。

 ※ これが、2010年の記事だから、それから10年以上経過して、事態は、ますます悪化している…。

 ※ ただ、言い訳めいたことを言わせてもらえば、「考えても、空しい…。」「考えても、無駄…。」という感じが、浸透してしまった節(ふし)もあるんじゃないか…。

 ※ 世界や社会の数々の「不条理」「憤る話し」に対して、「考えること」「知力を振りしぼること」で解決し、立ち向かおうと試みても、「無力感」のみ漂うような「世の中」になってしまっているんじゃないか…。

 ※ 「もっと馬鹿になる」ことで、「心が傷ついて」「破壊される」のを回避している…、という節もあるのでは…。

『2010年5月13日(木)15時59分 ダニエル・ライオンズ(テクノロジー担当)

iPodやiPadをはじめとするデジタル機器のせいで「情報は人々に力を与えたり人々を(抑圧から)解放する道具ではなく、気分転換や気晴らし、娯楽の道具になった」。

 5月9日にハンプトン大学(バージニア州)の卒業式に列席したバラク・オバマ大統領のこんなスピーチが、熱い議論を巻き起こしている。

 オバマといえば、携帯情報端末ブラックベリーを愛用するテクノロジー大好き人間だったはず。それだけに、そんなクールなイメージをぶち壊す発言に批判が集まっている。

 こんなことは言いたくないが、オバマの指摘はもっともだ。私なら、フェースブックやツイッターなどのサイトも「気晴らし」リストに入れる。さらに、デジタル機器は「人々を解放する」どころか、人間を奴隷化しているだけだと思う。ITジャーナリストにあるまじき発言に思われるかもしれないが、まあ聞いてほしい。

 かつてコンピュータは、時間を節約するためのツールとされていた。だが、現実は正反対のようだ。インターネットのせいで、私たちは何もしないまま時間を浪費している。
「非常に忙しいゾンビ」になった

 私たちの周囲にはかつてないほど情報があふれ、そこから逃れることはできない。デスクの上にも、ポケットの中にも、カフェのテーブルにもコンピュータがある今、情報はまるで空気に乗って私たちの周りを漂っているようだ。

 それなのに、自分がどんどんばかになっている気がしてならない。実際、平均すれば、われわれは上の世代より無知なのではないか。

 アップルストアに並ぶ長蛇の列や、歩きながら携帯電話をのぞきこむ人々。人類はゾンビになってしまった。

 「いや、非常に忙しいゾンビだ」という弁明が聞こえてきそうだ。メールを読み、ツイッターでつぶやきながら、他人のツイートに返信する。アプリをダウンロードし、写真をアップロードする。フェースブックを更新し、世界中が自分のことを気にしているような気になって、好きなものや嫌いなものを世界に向けて発信する。

 では、私たちがしていないことは? それは「考える」こと。情報を処理してはいるが、考えてはいない。2つは別物だ。

 要はデジタルツールを触りながら、ダラダラしているだけ。リンクをクリックしては、自己顕示欲の強い愚か者や評論家、広報やマーケティングの担当者らが垂れ流す無意味なゴミの激流をかき分けている。

 例えば、フェースブックで大人気の農場系ソーシャルゲーム「ファームビル」。多くの人がこの手のアプリにはまり、バーチャルなガーデニング用品に多額のカネを払う。あるいは、位置情報付きSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の「フォースクエア」。ランチを食べている場所を友人に知らせたり、その店の「常連度」を競う仕掛けによって、現実世界までビデオゲーム化してしまった。

ペイリン人気は人類の退化のせい

 一方、現実世界では保守派キャスターのグレン・ベックは大物テレビコメンテーターの座にのし上がり、サラ・ペイリンは次期大統領選の本命候補と目される。これは偶然だろうか。

 とんでもない。自分の周りを通り過ぎる騒音とくだらない情報に圧倒されて、私たちの神経は麻痺してしまった。アメリカはネットに操られた愚か者の国になり、ばかげたことに対する感度は鈍くなる一方だ。

 ベックとペイリンの人気ぶりは、こうした人類の退化の必然的な結末といえる。今のわれわれには、彼らのような人間がちょうどいい。彼らを生み出したのは、われわれなのだ。』

『私たちの手には、情報伝達の新たなシステムとツールがある。問題は、伝達手段に気を取られるあまり、何が実際に伝えられているかという視点を失ったことだ。

 悲しいことに、近い将来、事態が変化するとは思えない。変化があるとしても、それはさらに悪い方向への変化だろう。』