消費国、再びエネルギー敗戦 石油危機50年の教訓どこへ
編集委員 岐部秀光
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK020S40S3A001C2000000/
『1973年の第1次石油危機は産油国が政治的な目的のために資源を武器として使ったはじめての成功例とされる。その衝撃から50年を経たが、石油の政治利用は今も止まらない。脱炭素とインフレ克服の難題に直面する消費国にとっては、再びの「エネルギー敗戦」の様相を呈している。
日本を慌てさせた「革命」
50年前の10月6日、第4次中東戦争が始まり、それとともに強まったアラブの外交攻勢は「10月革命」と呼ばれた。イスラエルをパレスチナの占領地から撤退させるためアラブ産油国は、輸出制限によって各国に中東政策の転換を迫った。
1973年10月、第4次中東戦争でスエズ運河にかかる舟橋を渡るエジプト軍=AP
慌てた日本はパレスチナ支持を表明し、産油国に経済協力を約束してまわった。「油乞い」と呼ばれた日本の外交は信頼をそこね、米国との関係が緊張するという代償を支払わされた。産油国が手にした果実の大きさをみれば、「革命」の名も誇張とはいえない。
「市場の客観的条件を変える必要がある」。こう述べたのは当時のキッシンジャー米国務長官だ。「オイルパワー」を封じるため、国際連携や包括的なエネルギー政策の重要性を説き、74年の国際エネルギー機関(IEA)の創設につながった。
強まる石油の政治利用
それから50年。産油国による石油の政治利用はむしろ強まっている。ウクライナに攻め入ったロシアのプーチン大統領は、天然ガスの蛇口を欧州への圧力装置としてあからさまに用いた。サウジアラビアの実力者ムハンマド皇太子は石油の供給を米国への揺さぶりに使っている。
化石燃料を戦略商品ではなく、普通の貿易財に変えたいという消費国の願いは水泡に帰した。どうしてこうなったのか。
消費国にはふたつの失敗があったと考えられる。脱炭素政策の混乱によってエネルギー移行期における化石燃料の価値そのものを高めてしまったこと。もうひとつは補助金による市場介入で、石油の戦略商品としての性質を強めてしまったことだ。
「オイルパワー」の封じ込めは実現せず、石油は特別な商品に…
まずは脱炭素をめぐる混乱。化石燃料の使用を確実に減らしていくためには、現実的な目標とそこに向けた協力が欠かせない。世界の平均気温の上昇を産業革命前と比べて1.5度以内に抑える「パリ協定」の目標の達成は「もはや不可能」と考える専門家は多い。しかし、あやまったシグナルになることをおそれるリーダーたちはこの看板をおろせずにいる。
大目標がまちがっているかもしれないので、それに従う国や企業は現実的な脱炭素の計画をつくるのが難しい。うわべだけの環境対応策「グリーンウオッシング」も横行した。欧米の民間石油会社が化石燃料への投資でブレーキを踏んだ結果、中東の産油国の市場支配力が高まった。
次に補助金。国際通貨基金(IMF)によると、世界各国の化石燃料に対する補助金は間接コストも含めて2022年に過去最高の約7兆ドル(約1000兆円)となった。弱者保護などを名目とした補助金は、まわりまわって企業や消費者の化石燃料への依存を強めた。IMFの報告は「非効率な燃料補助金を撤廃し、より目的を絞った社会政策や減税、生産的な投資にまわすべきだ」と訴えた。
エネルギー転換への政治決断
石油危機の際、米経済学者のミルトン・フリードマン氏は「危機をつくりだしたのは政府にほかならない」と述べ、石油関連財の価格統制こそが高騰の本当の原因だと指摘した。石油を特別な商品たらしめたのは、ほかならぬ消費国の側であったという説だ。
脱炭素社会に向けた新エネルギーの開発や理想的なエネルギーミックスを実現するうえで切り札と期待されるのは「カーボンプライシング(炭素の値付け)」だ。価格メカニズムを通じて省エネや産業転換を促す合理的なアイデアだ。残念ながら、多くの政治家が、これを炭素税によって資金を集め「グリーン投資」としてばらまく手法に曲解しようとしている。
英調査会社エナジー・アスペクツのリチャード・ブロンズ氏は「エネルギー安全保障を維持しながら急速なエネルギー転換を進めるのは割高であるだけでなく、困難な選択も伴う。問題は世界各国の政治家が国内、国外で難しい決断を下し、それを有権者にきちんと説明できるかどうかだ」と話す。
「座礁資産」に早晩、転じるとみられた石油は、去り際に「オイルパワー」の猛威をふたたび振るっている。われわれは、もうしばらく戦略商品としての石油と付き合わざるを得ない。
Nikkei Views
編集委員が日々のニュースを取り上げ、独自の切り口で分析します。 』