「社会主義のために死ぬ」人材を望む習近平
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/31592
『習近平政権は「共同富裕」を掲げて、社会主義的・愛国主義的な道徳心を植え付け直そうとしている。もっとも、当面は荒療治続きのようで、さまざまな動揺が伝えられる。
2021年夏、中国では営利目的の学習塾や外国語教室の設立・運営が全面的に禁止され、高度成長の終焉により就職活動に苦しむ大学生の塾講師としての活路が狭められた。このとき、国家は小中学生の宿題の時間にも制約をつけ、より多くの時間を運動や家事手伝いに振り向けるよう要求した。
党の指導のもと奮闘する人々(遼寧省瀋陽市・中山広場で、筆者撮影)
一方、中国には、技能・技術習得的機能を帯びた専科大学が多数あるが、中国共産党(以下、中共)は最近、これらを職業技能学校と統合のうえ高等専門学校に転換しようとしている。しかしその結果、本科大学と同等の学位を得られなくなることを知った学生の間に衝撃が走り、21年6月には南京師範大学で大規模デモが発生して鎮圧された。
また中共は、就職状況の悪化と「寝そべり族」に象徴される若年層の積極性の危機に焦りを抱き、辺境地域・農村地域での就職を大いに斡旋している。それはある意味、文革時代の「上山下郷」、すなわち学生や知識人は困難な環境で働く農民に学んで精神を鍛え直すよう求められた運動に似ているが、別の角度から見れば、大卒者が少ない地域での経済発展を促進するための人材確保目的もあろう。問題は、これまでの高度成長のもとで育った一人っ子学生の就職観と必ずしもマッチングしないという点にある。
愛国主義教育の実態
そして中共は学校教育全体にも照準を定め、昨年からは全学生必修の思想・政治課目の場を、「外部勢力」の影響と闘い、習近平新時代の道徳・労働・奮闘精神を錬成するための一大主戦場と見立てている。
例えば中華人民共和国教育部は「青春を第20回党大会に捧げよう!強国に我ありと自負を抱こう!」「小さな我を大きな我(=国家・中華民族全体)に融け入らせ、青春を祖国に捧げよう!」といったスローガンを掲げた。その裏の狙いの一つは、党大会の前後において「誤った思想」が学内で流布するのを厳しく防ぐためであった (中華人民共和国教育部HP「教育部思想政治工作司2022年工作要点」)。
しかしこの程度では、「白紙運動」に至るような若者の苦境には有効に作用しなかったといえる。しかも習近平政権自身、これまでのスローガンと型通りの政治教育が、教師にとっても学生にとっても中途半端で表面的なものに過ぎなかったのではないかと強く疑っている。
そこで習近平政権が強く求めているのが、「大きな教室・教師・プラットフォーム」に依拠した「大思政課(大きな思想・政治課目)」の構築である。これはすなわち学校の授業と、各種の愛国・革命・記念館・展覧館・老幹部・科学者・労働模範といった存在を強く結びつけ、より生き生きとした、実践的で印象に残る講義・授業を通じて、青少年を真に社会主義建設の後継者にふさわしい存在として養成する、というものである(中華人民共和国教育部HP「全面推進“大思政課”建設」)。
これはある意味、人民公社が工業・農業・商業・学校・軍事の一体化による「社会主義の大きな学校」と顕彰されたことの再来かも知れないが、職業体験やさまざまな見学を通じて社会性を磨くという発想はもちろん日本にもあるため、問題はその中身である。』
『昨年10月、習近平氏は中共第20回党大会の場で、中国ナショナリズムの立役者である清末・民国期の思想家・梁啓超の「少年中国説」を持ち出し、「青年が強くなれば国家も強くなる」と強調した。この文章自体は、中国人であれば誰でもこれまでの教育を通じて知っている。中国はこれから国民国家を創る若々しさを秘めているという点で、実は老帝国ではなく少年のような国家であり、今後の世代が発奮して強さを求めれば、中国は必ず欧米日を凌駕できると説く。
そして習近平氏は党大会が終わると、新たな党中央メンバーを伴って黄土高原の革命聖地・陝西省延安を訪れ、次いで河南省の用水路「紅旗渠」を訪れた。紅旗渠は1960年代、河南省北西部の慢性的な水不足解消のため、人々が「自力更生・艱苦奮闘」の精神による人海戦術に打って出て、多数の犠牲者を出しながら険しい山岳地帯に約70キロメートルの水路を掘ったものであり、中国革命史・社会主義建設史にとって記念すべき遺産とされる。
そこで外界は「改革開放の最先端地に背を向けた習近平中国の今後は尻すぼみになるのではないか」という疑念を抱いたものの、筆者の見るところ習近平氏は今や、発展を云々するよりもまずは人心こそ最優先だと考え、自ら「大思政課」を実践したということになる。
そして習近平氏は、「新時代の紅旗渠精神」として次のように喝破した。
「社会主義とは、頑張り抜き、やり抜き、命と引き換えに実現するものだ! 過去においてそうであったのみならず、(習近平)新時代においてもそうである」(中華人民共和国教育部HP「進一歩激励青少年矢志奮闘、投身強国目標推進民族復興」。太字は筆者=平野による)。
〝英雄〟雷鋒に学ぶボランティア精神
このような「最高指示」を踏まえて、中国教育部は昨年11月、小中学校 (日本の高校を含む)向けの「大思政課」建設方針を発表した。これは、語文(国語)・歴史に加えて体育・美育・労働教育に力点を置くことによって、「習近平新時代の新思想を学んで良き後継者となること」「小学から党史を学んで永遠に党と歩むこと」「英雄をたたえて率先して先鋒を務めること」「中華の伝統的な美徳を大いに弘めること」を強調する(中華人民共和国教育部HP「教育部関於進一歩加強新時代中小学思政課建設的意見」)。
では、その「英雄」「先鋒」とは何者か。中国人であれば真っ先に思いつくのは雷鋒という人物である。実際、教育部は今年3月になると「新時代の《雷鋒》に学ぶ活動方針」を発表した。
遼寧省撫順市・雷鋒紀念館の雷鋒像(筆者撮影)
雷鋒は湖南省の貧しい農民出身の解放軍人であり、軍人として優良であったのみならず、わずかな給与や余暇を人助けのために使い、遼寧省撫順市の人民代表大会代表にもなった「労働模範」であったが、1962年、運転中の軍用車が倒木の直撃を受けて死去した。毛沢東は、雷鋒の享年わずか23歳の生涯を「無私の奉仕の精神を代表するもの」と位置付けて、「雷鋒同志に学べ」と顕彰した。
以来中共は、不正の気風を改め「社会主義精神文明建設」を盛り上げるキャンペーンを展開する際には、事あるごとに雷鋒の名を持ち出すほか、雷鋒は今日の中国でも一般的に非の打ちどころのない「良い人」の代表と思われている。
そこで習近平氏は、改めて雷鋒を習近平新時代におけるボランティア精神の象徴として顕彰し、「誰もが平凡な生活の中で雷鋒の崇高な理念・道徳・信念を体現せよ」と強調したことで、雷鋒は「大思政課」の基軸となった(中華人民共和国教育部HP「教育部印発《教育系統関於新時代学習弘揚雷鋒精神、深入開展学雷鋒活動的実施方案》的通知」)。
』
『筆者のみるところ、ボランティア精神の拡大・浸透という目標は、若者にもそれなりに切実なものとして受け入れられる可能性がある。なぜなら、過酷なロックダウンの際に人々が生き延びた一つの原動力は「社区」の隣近所における相互扶助だったからである。しかし同時に、既に中国の人々は「これで何度目なのか」というほど雷鋒のことを知りすぎているため、新たな「学習」のうねりがどの程度の功を奏するのか測り難い。
そこで習近平政権は、将来に向けて「大思政課」を真に実効的なものとするためにも、そもそも幼児教育を国家の強い統制のもとに置き、小学校以後の政治・体育・徳育教育を心から受け入れられるような幼稚園児を育てなければならないと考えるようになった。
幼児期から「後継者を養成する」
もともと中国には一応、幼児教育のガイドラインとして、教育部が2012年に公布した『3〜6歳 児童学習与 (と) 発展指南』というものがある。そこでは大まかな方針として「幼児の心身の全面的なバランスある発展を促進し、一面的な発展を追求してはならない」「幼児のそれぞれの発達を重視し、いたずらに他の子供と比較してはならない」「幼児の直接の経験や遊戯などを重視し、選抜してエリート教育をしてはならない」といった方針を掲げてきた。
しかし中国では、学校教育の非常に大きなエネルギーが全国統一大学入試「高考」でのより高い得点と、高い経済社会的地位の獲得による成功のために注がれ、子供をより学力の高い高中(高校)、初中(中学)へ入れようとする競争は熾烈を極めてきた。そして「孟母三遷」の言葉通り、より高学力の学校がある学区に転居する動きも旺盛で、マンション価格もそれに応じて高騰するという副作用もあった。
この種の競争はついに幼稚園段階にまで波及し、幼稚園段階で小学校レベルの教育を行い、かつ子供同士の競争を促すような幼稚園の人気が高まり、入園難や入園費の高騰も招いていた(中国経済網2023年8月29日「学前教育法草案、亮点不止在幼稚園“小学化”」)。
そこで去る8月28日、「治安管理処罰法」改正案と並んで全人代に草案が示された「学前教育法」は、上記『指南』の精神を立法化することによって、この種の風潮を完全に根絶しようとしている。例えば次のようにいう。
「学前教育は、単に小学校入学前に子供の知識や能力を高めるものではない。大卒に至るまでの国民教育体系の全体像の中に位置づけられる、重要な社会公益事業である」(第三条)
「幼児の心の中に、年齢相応の智力に対応した道徳心・基礎体力・審美眼・労働を愛する心を植え付け、将来の《中華民族の偉大な復興》を実現するための後継者を養成する」(第四条)
そのうえで同法は、今後の学前教育=幼児教育は国家主導で、各級の政府が設立する、家庭環境の如何に関係なく幼児を受け入れるような「普恵性幼稚園」を主軸とすることをうたうとともに、いかなる個人・団体であれ、営利的な民営幼稚園を設立してはならないとする。また、学前教育は遊戯を中心として、幼児の全般的な発達を促すものでなければならないとし、小学校段階の教育内容の伝授や、テストによって幼児どうしの比較・優劣をつけることを厳禁する。
では、ここでいう「遊戯」とはどのようなものか。もちろんその少なくない部分は日本の幼稚園と同様かも知れないが、例えば動画配信サイト「bilibili」を見れば、幼稚園児が紅軍ないし人民解放軍の兵士の格好をして、雷鋒に学んで党と国家に忠実な子供であることを誓い踊るシーンはいくらでも出てくる。
一方、小学校レベルの教育を禁じる結果、幼稚園児は絵本を読むのに十分な漢字やピンイン(ラテン文字で華語の読み方を示したもの)を学べないという可能性がある。そこで、幼稚園の教員が子供に絵本を読んで聞かせる必要性が増すと思われる中、愛国主義教育的な内容がますます徳育の名において幼児の心に深く入り込むことになろう。
この結果今後の中国では、これまで以上に幼児期から純粋に愛国主義教育に染まった人々が拡大再生産されることは疑いない。そして日本との関係では、庶民から外交当局に至るまで、抗日英雄のように「機転を効かせて日本を懲らしめ正す」という類の発想が、中長期的にいっそう強まることになろう。これもまた、習近平新時代の中国が抱える複雑な現実の帰結である。』