北戴河に「第三の男」 習政権は鄧小平長男に引導で反撃

北戴河に「第三の男」 習政権は鄧小平長男に引導で反撃
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFE190TR0Z10C23A9000000/

『「今年の夏の海辺(北戴河会議)には『第三の男』がいた。この人物も軍長老と同じように、(中国共産党総書記の習近平=シー・ジンピン=が主導する)現指導部への意見表明は、(元国家副主席の)曽慶紅に任せていた」

「(外相だった)秦剛の解任、(行方不明の国防相、李尚福の問題など)軍の異変だけにとらわれていると、本質を見失ってしまう。最大の問題は夏に起きた一連の事件の全体像と力学の変化だ」

中国の内部事情に…

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『中国の内部事情に通じる人物らの指摘である。「第三の男」は、第2次大戦と戦後を経験した人々にとって印象深い大ヒット映画のタイトルだ。

大戦の直後、英国、米国、ソ連、フランスが分割管理するウィーンを舞台に、戦中の闇をあぶり出すミステリーには、オーソン・ウェルズが出演している。河北省北戴河の現場にも複雑な中国政界の力学を読み解く鍵を握る第三の男がいたのである。

「第一の男」は、はじめにこのコラムで言及した力ある長老で84歳の曽慶紅である。元国家主席の江沢民(故人、ジアン・ズォーミン)の懐刀といわれた。「第二の男」は94歳になった軍長老の遅浩田。朝鮮戦争の激戦地で米軍と戦った輝かしい軍歴があり、歴戦の中で受けた銃弾が体内にいまだ残っていると噂される。

北戴河が最も緊迫したクライマックスには、あまたの長老らの声を代表する3人だけが現れた。3人目の出席者を意味する「第三の男」の名は、張徳江(76)。他の2人と違い2012年からの習近平第1期体制を支えた7人の共産党政治局常務委員会のメンバーだ。序列は当時の首相の李克強(リー・クォーチャン、68)に次ぐ3位である。

「第三の男」は張徳江氏、主要3派閥が登場

左から、全人代閉幕式で演説する当時の張徳江委員長(2017年3月15日、北京)、北戴河会議にも現れた曽慶紅・元国家副主席(2012年11月8日、北京)、軍長老の遅浩田氏(1998年3月26日、北京)

張徳江は目立たない存在で、対外的に名も売れていない。だが全法律案を通す際、司令塔になる全国人民代表大会常務委員長の地位にいた実力者だ。漢民族だが、中国東北部の吉林省延辺で朝鮮語を学び、北朝鮮の金日成総合大学に留学した変わり種。控えめな性格でバランス感覚もある。上司は安心して使える。

手腕が発揮されたのは、12年に重慶市トップだった薄熙来が失脚した後、騒然としていた現場を収拾するため送り込まれた際だ。副首相のまま重慶市共産党委員会書記を兼任している。

下に掲げた親しげに話す写真が示すように、現役時代の張徳江は、習との関係も良いとみられていた。それは、そのはずである。浙江省トップだった習の前任者は、張徳江だ。2人は引き継ぎをした旧知の間柄だった。

習近平国家主席㊨と話す当時の張徳江・全人代常務委員長(2017年3月8日、北京の人民大会堂)=小高顕撮影

問題は、ここからだ。張徳江は、北戴河に現れなかった2人の力ある長老と極めて親しい。ひとりは、かつての最高実力者、鄧小平(故人)の長男で、中国の身体障害者連合会という大きな組織を仕切ってきた鄧樸方(79)である。

鄧樸方は、文化大革命の時代、父が打倒された影響で理不尽な迫害に遭った。追い込まれて高所から飛び降りた際、脊椎に大けがを負い、身体障害者となったのだ。以来、車椅子に乗る悲劇の主人公でもある。

鄧小平氏の子息で身体障害者団体を仕切ってきた鄧樸方氏(中国中央テレビの映像から)
張徳江のもうひとりの盟友は、やはり習第1期体制で序列4位だった兪正声(78)。当時の全国政治協商会議主席である。鄧樸方と兪正声は、日本との縁もある。鄧小平が打ち出した「改革・開放」の初期だった1985年に来日。当時の首相、中曽根康弘(故人)と旧首相官邸で会談し記録が残っている。

その際、鄧樸方の秘書として車椅子を持ち上げ、まだバリアフリーではない旧首相官邸の赤じゅうたんが敷かれた階段を一段一段、上ったのが、若き兪正声。鄧小平一族との親交が特別に深い温厚な人物だ。

兪正声もまた革命時代に活躍した幹部の子弟を指す「紅二代」である。張徳江と鄧樸方、そして兪正声は長老グループ内で一定の発言力を持つ知られざる「第三の勢力」だ。

張徳江は江沢民系とされてきたが、実は鄧樸方、兪正声との縁から、より鄧小平ファミリーに近い。江沢民の最側近で「紅二代」の曽慶紅一派とも違う。習に代表される紅二代は、決して一枚岩ではない。様々な系列があり、それぞれの関係も微妙だ。

7番目での最高指導部入りを予想した兪正声氏
兪正声には、出色のエピソードがある。2012年の共産党大会を前に、30年以上もの長い間、親交があった遠来の親友にこう言い放った。「見ていなさい。7番目で(最高指導部である政治局常務委員会メンバーに)入ってみせるからね」と。

全国政治協商会議で活動報告する当時の兪正声主席(2016年3月3日、北京)=小高顕撮影
不思議に思った親友が「(末席の)9番目じゃないんですか」と問い直すと、「いや、7番目ですよ」と自信ありげに答えた。そこには重大な意味が隠れていた。当時、9人だった政治局常務委のメンバー数が7人に削減される流れを暗示。その末席には座れるという示唆だった。

大幅遅れの開催になった12年党大会。習をトップとした人事の結果は、なんと兪正声が序列4位。本人予想さえ大きく外れる大抜てきとなった。鄧小平ファミリーとのつながり、とりわけ鄧樸方との縁の深さも絡む異例の人事だった。

人事差配のキーマンは長老、江沢民。「兪正声はいい。素晴らしい」と人前であえてほめたこともある。江沢民には、兪正声を大事にすべき理由があった。序列4位に押し込むことで、1989年の天安門事件後、自らを党総書記に引き上げてくれた鄧小平のファミリーに格別の配慮をしたのだ。

張徳江の序列が、兪正声より1つ上の3位だったのは、江沢民にとって最も安心できる人物だからだ。現役の党総書記、国家主席だった胡錦濤(フー・ジンタオ、80)が力を発揮した形跡はみえない。

兪正声は、習の第1期体制で各派の均衡を保つ役割を果たした。「俺はバランサー役になるんだ」。これも、兪正声が自ら、先に紹介した30年以上の親交があった遠来の親友に語った言葉である。

一方、兪正声がこの夏、北戴河会議の現場に来なかったのは、鄧小平ファミリーとの距離があまりに近く、習サイドから強く警戒されていたからでもある。兪正声も、ここは出しゃばらず、曽慶紅と張徳江に託したのである。

張徳江と兪正声は、鄧小平の長男ら鄧ファミリーの力も借りて、政界のスターダムに駆け上がった。2021年の共産党100年記念大会、22年党大会で「鄧小平超え」を醸し出した習の姿勢に懐疑的なまなざしを向けがちなのは致し方ない。習サイドが、あなどれない第三の勢力である彼らの動向を常に気にするのも当然だ。

鄧樸方は5年前、公の会議の場で習を暗に批判する問題発言をしている。「我々は自分たちの能力を知り、尊大になってはいけない。むやみに卑下すべきでもない。国情を考え、社会主義初級段階にある実情から出発して一切を計画すべきだ」

個人崇拝的な雰囲気まで醸し出していた習の尊大さを戒めたと解釈された言葉は、すぐに波紋を広げた。当時、中国の主要メディアが意味深な言葉を伝えなかったのも、危うさを読み取ったからである。

北戴河後、引退した車椅子に乗る鄧樸方氏に大拍手

北戴河会議後の9月19日、その鄧樸方に異変があった。5年に一度開く身体障害者の代表を集めた全国会議で、その組織の名誉会長から降りる人事が決まったのだ。北京の人民大会堂で開かれた大会に、完全引退への道がみえていた鄧樸方が現れた際、会場からは別れを惜しむ、ひときわ大きな拍手が巻き起こった。

これは、列席した習ら現役指導部メンバーの見守るなかでの出来事だ。後任には、習に近い人物が就いた。鄧樸方への大きな拍手は、「習の手法への批判も含んでいる」という解説も一部で出ていた。

話を北戴河に戻す。つまり、長老らは北京郊外で事前協議の会議を半ば公然と開いたうえで、3人の長老代表格だけを北戴河のヤマ場の舞台に送った。ここには現在の中国政局の険峻(けんしゅん)さがにじむ。習政権への圧力でもあった。

その習は23日、浙江省の杭州にいた。アジア大会開会式のためである。杭州は、この夏、北戴河にいた張徳江が、習の前任として浙江省トップを務めた際、住んでいた地でもある。その直前の19日、鄧小平の長男が完全引退した。

北京では「(習政権から事実上の引退勧告を意味する)圧力がずっとあり、完全引退に追い込まれたという解釈ができる」とささやかれている。仮に鄧樸方の完全引退が、前から決まっていた既定路線だったとしても、いわば長老から厳しい諫言(かんげん)を受けた習サイドによる反撃の一つとみることもできる。

この一手と、今も続く軍内粛清で、習サイドが長老の世界で力を持つ紅二代と軍をひとまず抑え込んだといえるのか。それはなお不明だ。夏を起点とする一連の力比べの中間決算が判明するのは、10月にも開くはずの共産党の重要会議、中央委員会第3回全体会議(3中全会)だ。 本来、大問題が山積する経済の路線を論ずる場である。

中国・杭州でのアジア大会開会式で手を挙げる習近平国家主席(中国国営中央テレビの映像から)

目下、世界の視線は、いまだ行方不明の国防相、李尚福に注がれている。今後の中国の政治、経済、外交・安全保障を左右する政局を論じる際、最も重要なのは、北戴河のクライマックスの雰囲気だ。「第三の男」の存在は、それを解き明かす一つの鍵になる。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。
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