田中龍作ジャーナル | 田中はなぜ貧困を憎むのか
https://tanakaryusaku.jp/2023/09/00029484
※ 『生活困窮者の食はボランティアの炊き出しで維持されている。衣もボランティアが無料配布する。』…。
※ 『社会保障が崩壊しつつあるこの国で』…。
※ 「生活困窮者支援のボランティア」…、「社会保障」…。
※ そこに、「国費」は投入されていないのか?
※ 「国費」とは、自分の食い扶持は、自分で稼ぎ出して、その上、国家に「税金納めている一般国民」から徴収した「国税、地方税」のことだぞ…。
※ おまけに、「共助」が建前だから、「健康保険税」「介護保険税」までむしり取られている…。
※ この世から、「貧困」や「戦争」が無くなることを願わない人なんて、いないよ…。
※ しかし、願ったり、祈ったりするだけで、「世の中変わる」ものでも無いだろう…。



『20年も前のこと。女房が家計を助けるためにWワークをすることになった。一か月も経たないうちに過労で持病が悪化し、救急車で運ばれる事態となった。一命は取り留めた。だが子供の頃の辛い記憶が蘇った―
小学校3年の時、同じクラスに恐ろしいほど貧乏な家の子がいた。真冬でも下着を付けてこないほどだった。付ける下着がなかったのである。
彼女は風邪をこじらせてあっけなく死んだ。病院にかかるカネがなかったのか。生活保護はどうなっていたのか。学級担任の先生は説明してくれなかった。
学級担任は、貧困家庭にあって勉強ができない子どもには鉛筆や消しゴムを買い与えてあげていた。彼女が死んだ理由を説明してくれなかったのは、よほどの事情があったのだろう。
憲法25条で保障された「健康で文化的な最低限度の生活」がいま崩れている。
病気になっても病院にかかれない人々は数えきれない。
生活困窮者の食はボランティアの炊き出しで維持されている。衣もボランティアが無料配布する。現状は田中がこの間、リポートしてきた通りだ。
人々は無料配布される衣料の中から好きな物を選び持ち帰った。=都内 撮影:田中龍作=
『火垂るの墓』(原作:野坂昭如)は、太平洋戦争で両親を失った兄妹の防空壕での生活を描く。二人は日々の食事にありつくこともできない。栄養失調になった妹の節子は医者にかかることもできず、静かに息をひきとる。実話だ。野坂の経験談だ。
映画を観るたび、原作を読むたび、節子が女房に思えて、田中は嗚咽する。
戦争は大量の貧困を作り出す。攻め込んでくる側の国民も貧しくなるが、侵略された方の国民はさらに貧しくなる。
社会保障が崩壊しつつあるこの国で、経団連と自民党は戦争に突き進もうとする。新聞テレビは追随し戦争を煽り始めるだろう。戦前戦中と同様だ。
命を軽んじる政治が大手を振ってまかり通る。貧困に陥れば人は簡単に病気になり、運が悪ければ死ぬ。戦争になれば運が悪くなくても死ぬ。それも大量に。
極貧のなかで風邪をこじらせて死んでいったクラスメート。Wワークで死にかけた女房。2度と見たくない光景だ。
田中が戦争と貧困を憎む理由である。
衣料配布の開始を待つ人々。=都内 撮影:田中龍作=
~終わり~ 』