歴史と神話が渾然一体 ヒンドゥー教至上主義で摩擦も

歴史と神話が渾然一体 ヒンドゥー教至上主義で摩擦も
映画でみる 大国インドの素顔(1) インド映画研究家・高倉嘉男
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD301C90Q3A530C2000000/

『中国を抜き人口世界一となる見込みのインドは、映画製作本数が最も多い映画大国でもある。成長の一方、社会構造や人々の暮らしはどうなっているのか。2001〜13年にニューデリーに滞在した経験を持つ高倉嘉男氏が日本でも公開された映画を通して解説する。

時代劇映画は映画の花形だ。インドにも古代や中世の歴史的人物や事件を題材にした時代劇映画は多い。実力と経験のある監督が潤沢な製作費とスター俳優を使って壮大なス…

この記事は会員限定です。登録すると続きをお読みいただけます。』

『実力と経験のある監督が潤沢な製作費とスター俳優を使って壮大なスケールで作り上げるのが一般的で、話題作になりやすい。

ただ、インドでは歴史と神話の境目が曖昧で、実在する英雄が神格化されたり、歴史的事件が詩人の手や民間伝承を経ることで神話と化したりする。神話になるとそれは宗教と一体化し、信仰者が現れる。さらに、インド刑法は他者の宗教感情を侵害することを禁止している。これらの理由から、インドでは歴史的な人物や事件の映画化には他国に比べてより慎重さが求められる。

「パドマーワト 女神の誕生」(2018年)は、歴史と神話が渾然一体(こんぜんいったい)となった中世の物語を映画化したものだ。この映画に見出(みいだ)される歴史的事実は、デリーに樹立したイスラーム教王朝の為政者アラーウッディーンが、インド西部チットールにあったヒンドゥー教の王国を1303年に攻め滅ぼしたという点だけであり、それ以外の部分は伝承に拠(よ)るところが大きい。

その伝承の一つが王妃パドマーワティの存在である。伝承によるとアラーウッディーンは、チットール王国ラタン王の妻パドマーワティの美貌を聞きつけ、横取りするためにチットールを攻めたとされるが、歴史学者は概(おおむ)ねパドマーワティの実在ごと、この逸話を否定している。「パドマーワト」はそのパドマーワティを主人公にしている。

パドマーワティは、単に絶世の美女であるのみならず、勇敢な女傑でもあった。姦計(かんけい)によりアラーウッディーンに囚(とら)われたラタン王をデリーまで乗り込んで救出しただけでなく、報復戦の中でラタン王が戦死し、敗色が濃厚になると、アラーウッディーンによる凌辱(りょうじょく)を潔しとせず、王宮の女性たちと共に自ら火の中に身を投じて殉死した。

中世インドでは、ラージプート(尚武の支配者層)の女性たちが敗戦時に集団自殺した例がいくつも記録されており、これはジョーハルと呼ばれた。また、夫に先立たれた妻が火葬の炎の中に飛び込んで焼身自殺するサティー(寡婦殉死)も最近まで長らく横行していた。ジョーハルやサティーを行った女性は女神として神格化されて寺院に祀(まつ)られた。ただし、サティーの実行や美化は既に法律で禁じられている。

歴史的にはパドマーワティも実在しなければ、チットール陥落時にジョーハルが行われた記録もない。だが、パドマーワティはジョーハルを象徴する女神として民間信仰の対象になった。「パドマーワト」に対しては、サティーの美化との批判もあったのだが、それよりも多かったのは、パドマーワティを低俗に描写しているというものであった。憤ったラージプートの過激派団体は「パドマーワト」のセットを破壊するなど暴力行為に出たし、主演女優ディーピカー・パードゥコーンに殺害予告も届いた。公開前には上映禁止の訴訟も行われた。この大ヒット映画は、そのような数々のトラブルを乗り越えて製作され公開された。

インドでは2014年からヒンドゥー教至上主義を掲げるインド人民党(BJP)が中央の政治を握っている。それとの関連か、以来、ヒンドゥー教徒英雄の映画・ドラマ化が盛んになり、中にはBJPの党是を喧伝(けんでん)するようなプロパガンダ映画も目立つようになった。そのような映画では、「パドマーワト」のように、悪役がイスラーム教徒になることが多く、宗教融和によくない影響をもたらしている。それに加えて、過激化したヒンドゥー教徒たちの気に障るような描写をした監督や俳優は暴力や脅迫の対象になる。映画製作者にとっては非常に難しい時代だ。

架空の王国の内紛を描く「バーフバリ 伝説誕生」(C)Capital Pictures/amanaimages
ただ、日本でも大ヒットした「バーフバリ」シリーズ(15、17年)は、近年のインドにおける歴史や宗教の問題をうまく回避して作り上げられた映画だと感じる。イスラーム教勢力の侵攻を受ける前の、古代から中世に掛けての「ヒンドゥー教黄金時代」を時間軸にしながら、実在しない架空の王国の内紛を、架空の登場人物と共に描写した。全てフィクションなので文句を言う人はいない。だが、ヒンドゥー教的な世界観は維持されており、ヒンドゥー教徒の観客は高揚感と共に受け入れることもできる。

BJPが中央で政権を握っている間は、実在する歴史的英雄の映画化はプロパガンダ映画を除けば安全ではない。時代劇映画を作ろうと思ったら、「バーフバリ」の手法に倣うしかなさそうだ。

たかくら・よしお 1978年生まれ。インド映画研究家、豊橋中央高校校長。インドのジャワーハルラール・ネルー大学でヒンディー語の博士号を取得。共著に「新たなるインド映画の世界」。インド映画への出演経験も。』