インドの古典文明

第1節 インドの古典文明
https://y-history.net/wh_note/note_0201.html

 ※ 今日は、こんな所で…。

『ア.インドの風土と人びと

※インド世界=南アジア 現在のインド、パキスタン、バングラデシュ、ネパール、ブータン、
  スリランカなどを含む。北側にヒマラヤ山脈、南部にインド洋が広がる。

※北部のa アーリヤ 文化圏と南部のb ドラヴィダ 文化圏に分かれる。
 さらに、多くの民族、言語、宗教が共存している。

※気候:c モンスーン 気候帯 雨期と乾期がある。夏は南西風、冬は北東風が卓越する。
Text p.59

インダス文明 (緑色部分がインダス文明遺跡の分布範囲)

インダス文明地図

  インドの重要地名
  a インダス 川
  b ガンジス 川
  c パンジャーブ 地方
  d カイバル 峠
  e ハラッパー 
  f モエンジョ=ダーロ 
  g ドーラーヴィーラー 
  h ロータル 

イ.インド文明の形成

A インダス文明  前2300頃 a インダス川 流域に都市文明成立。

・主要遺跡 b モエンジョ=ダーロ  中流のシンド地方(パキスタン)
      c ハラッパー  上流のd パンジャーブ 地方(パキスタン)
     他に ロータル ・ ドーラーヴィーラー (いずれもインド西部)などがある。
・人種 e ドラヴィダ人 (イラン方面から移住したものと思われる) 説が有力。
・特徴 都市計画:特にf 沐浴場 (宗教的沐浴に使用)などの煉瓦造りの都市を建造。
    農業:大麦・小麦を常食とする(保存用の穀物倉)。綿花を世界で最初に栽培。
    文字の使用:象形文字をg 印章 に使用=hインダス文字 は未解読である。
    土器の使用:ろくろを使用したi 彩文土器 。

インダス文字

b モエンジョ=ダーロ 出土の
牛の印章。上部は未解読の文字。

 補足 メソポタミア文明との関係

B 前1800年ごろ 衰退
・インダス川流域の都市文明が急速に衰える。原因は不明。→ 補足
・インダス文明の意義:a インド文明の源流 となる。
  ※後のインドの主要な宗教となるb ヒンドゥー教 の主神シヴァ神の原型や、
   神聖視される牛の像などが見つかっている。

ウ.アーリヤ人の侵入とガンジス川流域への移動

A アーリヤ人 の侵入 前1500年頃 西北からカイバル峠を越えa パンジャーブ 地方に侵入。

  b インド=ヨーロッパ 語族。部族単位の半農半牧生活を営む。牛を神聖な動物とする。

 自然崇拝:雷、太陽などにささげた賛歌と儀礼を記した聖典をc ヴェーダ という。
 その最古の賛歌集がd 「リグ=ヴェーダ」 (前1200~1000年頃までに作成)

Text p.60

B ガンジス川流域への移動   前1000年頃、a 鉄製 の農具・武具の使用。
   →b ガンジス川 流域に進出。生産力が高まり、定住農耕社会を形成。

  その過程で、階級が形成され、固定された身分となる。

C カースト制社会の成立   アーリヤ人の征服過程で形成された身分制度。
・a ヴァルナ制 :「色」を意味し、「種姓」と訳す。次の4つの基本身分からなる。
  支配階紋  b バラモン :司祭      c クシャトリヤ :武士
  生産階級  d ヴァイシャ :農民・牧畜民  e シュードラ :隷属民
  → 後に商業の発達、人口の増加に伴い被差別民であるf 不可触民 が生まれる。
 ・それに伴う変化 d ヴァイシャ は次第にg 商人 を、
          e シュードラ は次第にh 農民・牧畜民 を指すようになった。
・i カースト集団 (インドではj ジャーティ と言われる)の形成:
  意味=k 信仰や職業で結びついた世襲的な集団。 
  → 結婚や食事などの日常的な交際が制限された。
・l カースト制度 :ポルトガル人が4種姓を、「血統」を意味するカスタと呼んだことに由来する。
  現在では4種姓を意味するa ヴァルナ制 と、血統集団であるj ジャーティ が
  結びついて形成されたインド独特の社会制度を指している。
  → 現在は法律で禁止されているが、さまざまな影響を残している。

D ヴェーダ時代  前1200年ごろ~前6世紀ごろまで
・アーリヤ人の宗教=a バラモン教 
 司祭者b バラモン が祭礼などの儀式を司る。
  → ヴァルナとジャーティによる社会秩序と結びついて権威を持ち祭政一致の政治を行う。
  = c ヴェーダ が創られた時代の意味でヴェーダ時代という。
補足 インドの言語
Text p.61

エ.都市国家の成長と新しい宗教の展開

A 都市国家の成長    前6世紀 経済の中心がガンジス川中・下流域に移る。

・ガンジス川流域に、城壁を持つ都市国家が成立。
 ラージャ(王)が支配する16ヶ国に統合される。

・前6世紀 a コーサラ国 が有力となる。続いてb マガダ国 が台頭。
  → クシャトリヤ(武士)やヴァイシャ(商人)の台頭 → バラモンの権威の動揺。

B 仏教 の成立 前6~5世紀 a ガウタマ=シッダールタ が始める。
・b シャカ 族のクシャトリヤ出身。
  形式化したバラモン教の儀式やヴェーダ祭式、ヴァルナ制などを否定し人間の解放を目指す。
  煩悩を断ち、正しい修行を行うことによって輪廻転生から解脱し、生老病死の苦しみから
  逃れると教え、さらに人間の平等と慈悲の心を説いた。悟りを開き、c ブッダ と言われる。
 → クシャトリヤとヴァイシャに多くの信者を得る。


C ジャイナ教 の成立 前6~5世紀 a ヴァルダマーナ が始祖。
・インド北東部のクシャトリ出身。悟りを開いてマハーヴィーラ(偉大な勇者の意味)と言われる。
  仏教と同じく、バラモン教の祭式やヴェーダ聖典の権威を否定
 → 徹底した不殺生主義と厳しい戒律を定める。 → 商人層に信者を得る。

D バラモン教の改革   a ウパニシャッド哲学 の成立(「奥義書」の意味)。
   従来の祭式至上主義を改め、内面の思索を重視。
 補足:生物はその行為によって永久に生まれ変わりを繰り返す(輪廻)が、宇宙の根源を意味する
 ▲b ブラフマン (梵=普遍)と生命の根源を意味するc アートマン (我=自己)
  を一致させること(梵我一如)によって、精神の自由を得て輪廻から解脱することが出来る、と説く。

E ヒンドゥー教 の萌芽 バラモン教に民間信仰が融合し、仏教・ジャイナ教の影響も受ける。
  ヴェーダの神々にかわり、シヴァ神やヴィシュヌ神を主神とするようになる。
  → 4世紀のグプタ朝時代までにE ヒンドゥー教 が形成される。(後出)

オ.統一国家の成立

A アレクサンドロス大王の侵入  
・前327年 インド北西部のインダス川流域に侵入。
 インダス川流域にギリシャ系政権が成立。
 ガンジス川流域ではa マガダ国 がb ナンダ朝 のもとで有力になる。
 → インド統一の契機となる。

Text p.62

B マウリヤ朝  の統一。
・前317年頃、マガダ国でナンダ朝に代わりa チャンドラグプタ王 となる。
 都b パータリプトラ (現在のパトナ)。
 → インダス流域に進出。ギリシア人勢力(c セレウコス朝シリア )を一掃し、
   パンジャーブ地方から現在のアフガニスタン南西部まで支配を及ぼす。
 ▲宰相カウティリヤには『アルタ=シャーストラ』(実利論)が残されている。


C アショーカ王   前3世紀半ば マウリヤ朝の最盛期となる。
・a デカン高原 の東南部、カリンガ国を征服。 
 → 最南端部を除くインドア大陸のほぼ全域を支配。
・征服戦争の殺戮を反省し、b 仏教 を篤く信仰するようになる。
 → c ダルマ (法)による統治に転換する。
・全土にd 磨崖碑 ・e 石柱碑 をつくり勅令を刻む。サールナートのものが有名。
 = 多くはブラーフミー文字が用いられ、周辺部ではその地域の文字が使われている。
・第3回目のf 仏典結集 を援助。
・g ストゥーパ(仏塔) を各地に建立(代表例がサーンチー)。
・インド西北部や、h スリランカ などに仏教を伝える。
 → 官僚組織・軍隊の維持のための財政困難、バラモン層の反発などにより衰退。

アショカ王石柱
サールナートのe 石柱碑 。

マウリヤ朝と仏教

マウリヤ朝仏教地図 マウリヤ朝までの仏教関係の重要地名
 (b~eは仏教の4大聖地)
a パータリプトラ 
b 悟りをひらいたブッダガヤ
c 生まれたカピラヴァストゥ
d 入滅したクシナガラ
e 最初の説法をしたサールナート
f ストゥーパのあるサーンチー
● g 磨崖碑 の分布

■ h 石柱碑 の分布

サーンチーのストゥーパ
  サーンチーのg ストゥーパ(仏塔) 

カ.クシャーナ朝とサータヴァーハナ朝

A ヘレニズム  の影響
 前2世紀、a バクトリア からギリシア系勢力が侵入、ヘレニズム文化をもたらす。
 → 前2世紀後半、ギリシア人の王▲メナンドロス、北西インドを支配。

・イラン系遊牧民の侵入

・前2世紀中ごろa 大月氏 (イラン系か)、匈奴に追われ西方に逃れる。
  → アム川上流に国家建設。 → バクトリアに侵入、トハラを征服。

・前1世紀 中央アジアのイラン系遊牧民の▲サカ族、大月氏に押され北西インドに移住。

 同じくイラン系のパルティアもイラン東部からインド西部に侵入。
Text p.63

・紀元後1世紀 b クシャーナ人 (イラン系か)、はじめ大月氏の支配を受ける。
  → 自立してバクトリアを支配。さらに西トルキスタンからインド北西部を支配。

B クシャーナ朝   現在のアフガニスタン、パキスタン、インド北西部を支配。

・2世紀中頃 a カニシカ王 のとき、全盛期となる。
  → 仏教(この頃成立したb 大乗仏教 )を保護。仏典結集を続ける。
  c ガンダーラ 地方のプルシャプラ(現ペシャワール)が都。
  d ローマとの交易 が盛んになる → 大量の金貨の鋳造。

C 大乗仏教 の成立 クシャーナ朝時代の仏教の革新

 紀元前後、a 大乗仏教 が起こる。大乗とは大きな乗り物の意味。
  その教義:b 個人の救済に留まらず、広く衆生を救済することをめざす。 

 2~3世紀 ▲c ナーガルジュナ(竜樹) が理論を確立。
   → 中央アジア → 中国 → 朝鮮・日本に伝わり、北伝仏教とも言う。

 大乗仏教側は、従来の個人の救済を目的とする仏教を蔑称としてd 小乗仏教  と呼んだ。
   = 最も保守的な長老を意味する部派の名から、e 上座部 仏教とも言う。
   → スリランカで発達し、11世紀に東南アジアに広がり、南伝仏教という。
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 大乗仏教の運動の中から、出家をせずに修行するf 菩薩信仰 がひろまる。

・補足:仏教経典の言語

D ガンダーラ美術   a ヘレニズム の影響のもと、ギリシア彫刻に似せて、
   b 仏像 をつくるようになる。(本来は仏教も偶像崇拝は否定されていた。) 
   ▲バーミヤン仏教遺跡も有名。インド独自のマトゥラー美術も存在した。
   → 大乗仏教とともに中央アジアを経て中国・日本に伝わる。 

3世紀 西方のササン朝ペルシアの侵入を受け、衰える。北インド分裂。

★補足 南インド 前1世紀~後3世紀

 デカン高原:a サータヴァーハナ朝  ドラヴィダ系アーンドラ族の王朝。
       都プラティシュターナ(現パイタン)

  ・アーリヤ文化を受容し、バラモン教・仏教・ジャイナ教が広まる。

 インド南端:ドラヴィダ系b タミル人 の国家
        チョーラ朝・パーンディヤ朝・チェーラ朝の三国家が存在(後出)

・インド洋交易圏 これらの南インド諸国は、ローマ帝国とのc 季節風貿易 を行う。
  → インドからは香料や象牙など奢侈品が輸出され、ローマからは金貨がもたらされる。

クシャーナ朝とサータヴァーハナ朝 (緑色部分がクシャーナ朝、点々部分がサータヴァーハナ朝)

マウリヤ朝仏教地図

  両朝の都と仏教関係の重要地名
  (グプタ朝以降に続く)
  a プルシャプラ 
  b プラティシュターナ 
  c アジャンター 
  d エローラ 
  e マトゥラー 
  f カナウジ 

キ.インド古典文化の黄金期

A グプタ朝  4世紀 ガンジス中・下流から興り、北インドを支配。
  最初の王チャンドラグプタ1世、「大王の王」を称す。都はパータリプトラ。
  中央の直轄領・地方の臣下の領地・周辺の属領からなる分権的統治が特徴。
  バラモンをふたたび重用 バラモンのことばのa サンスクリット語 を公用語とする。
  → 王から徴税権を認められた村落を領主として支配。

B ヒンドゥー教 の定着 バラモン教から発展し、仏教などの要素も取り入れる。
・三大神 ブラフマー神(創造神)・a シヴァ神 (破壊神)・b ヴィシュヌ神 (世界維持神)

 特色 ・c ブラフマ、シヴァ、ヴィシュヌの三大神を中心とした多神教である。 
    ・d 特定の教祖、教義・聖典が無い。 
    ・e カースト制度とともに長くインド人の社会の土台となっている。 

・補足:その他の特徴

Text p.65

・f 『マヌ法典』  前2世紀~2世紀に編纂。4ヴァルナなどの守るべき規範を定めた。
・サンスクリット文学  二大叙事詩 g 『マハーバーラタ』 ※・h 『ラーマーヤナ』 ※※
  ※この一部の『ヴァガバッド=ギーター』は後に特にて重んじられる。
  ※※コーサラ国の王子ラーマを主人公とする英雄叙事詩。

  宮廷詩人i カーリダーサ の書いた戯曲『シャクンタラー』。

・医学・数学・天文学などの発達、十進法・j ゼロの概念 など。
 → ササン朝を経てイスラム世界に影響を与え、さらにヨーロッパに伝えられる。

・美術 k グプタ様式  仏像彫刻を中心とした美術様式。
  代表例 l アジャンター石窟寺院  デカン高原西北部に造営された。
  特色 m ヘレニズムの影響を受けたガンダーラ様式から脱しインド文化の独自性を強めた。 
 → 日本の法隆寺金堂壁画(7世紀の白鳳文化期)にも影響が見られる。

・補足:仏像彫刻の変遷

C チャンドラグプタ2世   4~5世紀初め グプタ朝の全盛期となる。
 → 地中海方面・西アジア・中国を結ぶ経済活動活発になる。大量の貨幣が造られる。
・中国の東晋の僧a 法顕 がインドを訪問。中国で超日王として知られる。

  ローマ帝国衰退 → 交易の衰退 → 遊牧民のb エフタル が西北から侵入 →
  さらに地方勢力が台頭し、6世紀半ばに滅亡する。

D ヴァルダナ朝  7世紀初めa ハルシャ王 が起こし、北インドを支配。都はカナウジ。 
・支配層ではヒンドゥー教が有力であったが、仏教とジャイナ教もともに保護される。
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  → 中国の唐と交渉が盛んになる。

・唐僧の渡来
 7世紀前半 b 玄奘 が来てc ナーランダー学院 で学ぶ。『大唐西域記』を著す。
 7世紀後半 d 義浄 インドを訪れ、『南海寄帰内法伝』を著す。

・王の死(647年)の後、分裂し衰退、地方政権が乱立する。

・ビザンツ帝国、ササン朝の衰退 → 交易の減少 → 商業活動の不振 → 都市が衰退。

5~7世紀のインド

5~7世紀のインド
  A グプタ朝 の領域
  B エフタル の進路と最大領域
  C ヴァルダナ朝 の領域

 重要地名
  a パータリプトラ 
  b カナウジ 
  c マトゥラー 
  d サーンチー 
  e アジャンター 
  f エローラ 
  g サールナート (ベナレス)
  h ナーランダー学院 

E 仏教 の衰退
 大乗仏教の中にヒンドゥー教の影響を受け、▲a 密教 が生まれる。

・6世紀、南インドにヒンドゥー教のb バクティ運動 おこる。
  = c 最高神に対する愛を込めた絶対的な帰依(献身)を説くヒンドゥー教の改革運動。 
 → 仏教やジャイナ教を激しく攻撃し民衆に受け入れられる。14~15世紀には北インドに広がる。

 → 仏教は、ベンガル地方の地方政権(パーラ朝)のもとで最後の繁栄期を迎えるがその後衰退。

・解説:インドでの仏教衰退の要因と背景

F▲ ラージプート時代 
・北インドでの、ヴァルダナ朝滅亡後の8~13世紀のデリー=スルタン王朝成立までをいう。
 a ラージプート とは、サンスクリットの王子の意味。クシャトリヤの出身と称するカースト集団。
  → いくつもの勢力に分かれ、互いに抗争をくり返す。

    この間、北西からb イスラーム勢力のインド侵攻 が始まる。

★補足 ▲8~10世紀 ヴァルダナ朝滅亡からイスラーム化するまでの北インド

 ・北インド西部 8世紀から、プラティーハーラ朝(都カナウジ):ラージプート諸国の一つ。
  → 10世紀以降はチャーハマーナ朝が支配。

 ・北インド東部のベンガル地方 c パーラ朝 :非ラージプート。
  → ナーランダ僧院を復興するなど仏教(密教)を保護した最後の王朝となる。

ク.南インドの王朝

8~10世紀 a ドラヴィダ人 系のb タミル人 が独自な世界を形成。
  タミル語の文芸活動(サングム)が盛んであった。

・c バクティ運動 も吟遊詩人の活動によって南インドに広がる。
 タミル商人、東南アジアから中国に進出、香辛料貿易を展開。

・▲デカン高原
 6世紀中ごろ、チャールキヤ朝:ドラヴィダ系王朝。ハルシャ=ヴァルダナの南進軍を阻止。
 → 8世紀中ごろ、ラーシュトラクータ朝:エローラ石窟寺院の開削。
 → 10世紀中ごろ、再びチャールキヤ朝が栄える。

・インド最南端地域
 ▲パッラヴァ朝:3~9世紀 南部東岸を支配、北のチャールキヤ朝と争い、南のチョーラ朝に滅ぼされる。

 d チョーラ朝 :前3~13世紀 ドラヴィダ系タミル人の国家。
  → 10~11世紀に全盛期となり、シュリヴィジャヤ王国に軍事遠征、中国(宋)に使節を派遣。
 ▲チェーラ朝:前3~13世紀 タミル人国家。インド南端西岸のケーララ地方に存続。
 ▲パーンディヤ朝:前3~14世紀 タミル人国家。マウリヤ朝に併合されず。
  → 紀元前後にはローマとも交易。14世紀、北インドのイスラーム教国ハルジー朝に滅ぼされる。

・▲セイロン島(現スリランカ)
 アーリヤ系のe シンハラ王国 が14世紀ごろまで存在。
 → 上座部仏教を受容、発展させる。インド洋交易で活躍。
 → 後にタミル人が移住、シンハラ人との対立起こる。 → 現在のタミル人問題につながる。』