藤井聡太七冠誕生 七冠・羽生善治の壮大な仕掛けが結実
大崎善生氏(作家、元「将棋世界」編集長)寄稿
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD2989U0Z20C23A5000000/
※ 『それから羽生はあることに徹底した。タイトル戦や研究会や棋士としてのイベントや行事の合間を縫うように、ひたすら将棋の定跡書を書き連ねたのである。
タイトル戦が混み合うときは、まるで自分がどこにいて何をやっているのかさえも不確かになる。そんな極限状態のスケジュールの中においても、定跡の一手一手を地道に系統立てて書き連ねていくという気の遠くなる作業を、羽生はただの一度も手を抜くことをせずに続けた。体力的にぎりぎりの状況にあっても必ず自力で一字一句を書き連ねていく。』
※ 『自分が今ある不確かな定跡体系を系統立てて書き連ねることによって、いつかそれに反応したより強力な棋士が出来上がるのではないか。そしてそのことこそが、将棋の本質に向かうということにつながっていくのではないか。』
※ 『日本中の将棋好きの指導者たちが呼応した。
羽生の書く月刊誌の定跡講座を、コピーし貼り付け一字一句を子どもたちに伝えていった。藤井を幼稚園時代から指導した講師もまたそういう一人である。彼の教えは徹底していた。
自分が何かを教えるのではなく羽生の残した言葉の一行一句を子どもたちの体に染み込ませ、血と肉とすること。羽生の定跡書は何冊も何冊も切り刻まれ、コピーされ子どもたちの頭脳に体の一部となり浸透していく。丸ごと記憶する。それが何よりも大切なことだった。
今現在の藤井聡太の戦いを見ていて、どういうわけか羽生がかつて成し遂げたことを見ているような興奮が沸いてこない。何かすべては羽生という天才が仕掛けた想定通りのことのように思えてならないのである。』…。
※ スゲー話しだな…。
※ まあ、「偉業」なんてものは、そういう「地道なことの積み重ね」の延長線上にしか、起こり得ないものなんだろう…。
『将棋の藤井聡太六冠(20)が1日、最年少で名人のタイトルを奪取し七冠を達成した。七冠は羽生善治九段(52)に次いで史上2人目の快挙で、全八冠独占まで残るタイトルは王座のみ。七冠の意義について、両者を知る元「将棋世界」編集長で作家の大崎善生氏に寄稿してもらった。
私はいつからかこのように考えるようになっていた。
藤井聡太という棋士の存在、その姿はある一人の稀有(けう)な天才が作り出した、一つの実験の…
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『藤井聡太という棋士の存在、その姿はある一人の稀有(けう)な天才が作り出した、一つの実験の結果であり理想像なのではないかと。その天才の描いた想像の線の上に藤井聡太は、やはりそれが必然であるかのように忽然(こつぜん)と存在した。
これから藤井が挑むであろう八冠全冠制覇という大偉業、しかしそれすらもある意味では、その天才にとっては一つの十分に想定内の出来事に過ぎないのではないか。
時代は27年前に遡る。
1996年、冬。羽生善治というたった一人のやせ細った青年が、絶対にあり得ないと言われていた大偉業を成し遂げた。七冠完全制覇。その達成はまるで海が割れていく奇跡のように、私たちの眼前に事実として提示されたのである。
その瞬間に私たちは奇跡の目撃者となった。目の前で起きてしまえば、それは奇跡というあやふやなものではなく、れっきとした事実であり現実であった。羽生という一人の青年が、それを現実として我々の前に生み落とし、そしてその瞬間から将棋界はすべての面で大きく変わっていったといえるのかもしれない。
これから何を目指すのか。
全冠制覇を達成した羽生に私は聞いた。この本人でも無理と思っていたという偉業を成し遂げてしまっては、これからの棋士人生を何を目標に過ごしていくのか。それは近くで見ていた私にとってはごく当たり前の疑問だった。羽生はまだ25歳の青年だった。
将棋の本質を目指す。それを解き明かす。
それが羽生の答えであった。もちろんそう簡単に割り切った答えが出たわけではないが、大きく何度となく考え直して言葉にしてみれば、要するに羽生の言葉はそれに近いものだったのではないかと思う。
それから羽生はあることに徹底した。タイトル戦や研究会や棋士としてのイベントや行事の合間を縫うように、ひたすら将棋の定跡書を書き連ねたのである。
タイトル戦が混み合うときは、まるで自分がどこにいて何をやっているのかさえも不確かになる。そんな極限状態のスケジュールの中においても、定跡の一手一手を地道に系統立てて書き連ねていくという気の遠くなる作業を、羽生はただの一度も手を抜くことをせずに続けた。体力的にぎりぎりの状況にあっても必ず自力で一字一句を書き連ねていく。それは大きな使命感を持っていなければできない大変な作業だったことと思う。
羽生の考えはおそらくこうだ。
自分が今ある不確かな定跡体系を系統立てて書き連ねることによって、いつかそれに反応したより強力な棋士が出来上がるのではないか。そしてそのことこそが、将棋の本質に向かうということにつながっていくのではないか。
七冠王羽生善治の壮大な仕掛け。
自分ではなく新しい才能や可能性に託す思い。
将棋とは何か。何が正しくどこへ行きつくのか。
それを自分が解き明かすのではなくヒントを残すことによって新しい才能、次の世代に懸ける。そしてほどなくして羽生の実験は現実のものとして動き出すのである。
日本中の将棋好きの指導者たちが呼応した。
羽生の書く月刊誌の定跡講座を、コピーし貼り付け一字一句を子どもたちに伝えていった。藤井を幼稚園時代から指導した講師もまたそういう一人である。彼の教えは徹底していた。
自分が何かを教えるのではなく羽生の残した言葉の一行一句を子どもたちの体に染み込ませ、血と肉とすること。羽生の定跡書は何冊も何冊も切り刻まれ、コピーされ子どもたちの頭脳に体の一部となり浸透していく。丸ごと記憶する。それが何よりも大切なことだった。
今現在の藤井聡太の戦いを見ていて、どういうわけか羽生がかつて成し遂げたことを見ているような興奮が沸いてこない。何かすべては羽生という天才が仕掛けた想定通りのことのように思えてならないのである。
まあ、しかしそれも現時点のことかもしれない。
八冠が現実となって藤井の手によって提示されれば、その瞬間からまた大きな時代が開き新しい奇跡のページが始まるのかもしれないのだ。
何が起こるか分からない。ただ息を潜め目を瞠(みは)っているしかない。
おおさき・よしお 1957年、札幌市生まれ。日本将棋連盟発行の「将棋世界」編集長などを経て、故村山聖九段の生涯を描いた「聖の青春」(新潮学芸賞)でデビュー。著書に「パイロットフィッシュ」(吉川英治文学新人賞)、「将棋の子」など。
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北川和徳
日本経済新聞社 編集委員
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今後の展望 藤井名人には8つのタイトルの全冠制覇をぜひ見せてほしいです。早ければ秋にもと言われていますが、それには王座戦のトーナメントを勝ち抜いて挑戦者になって5番勝負に勝つだけではなく、その間も自分が保持している棋聖と王位も防衛しなければならないのだから、気が遠くなります。でも、これまでもそれを繰り返しての7冠ですね。将棋はよく分かりませんが、何時間も集中力を求められる勝負を1週間に1回くらいのペースで行い、そこで圧倒的な勝率を維持できるということが、とても信じられません。
2023年6月2日 8:35』