余談。 明治38年9月に、日比谷で暴動が起きた。
https://st2019.site/?p=20311
※ 日清戦争の講和条約である「下関条約」では、「巨額の賠償金」を獲得することができた。
それを「元手」にして、「八幡製鉄所」なんか建てて、日本経済の「構造」を、「軽工業(繊維工業なんか)」中心から、「重工業」へと移行することができたという話しは、あまりに有名。
中学の「社会」で、習っただろ?(教えていなければ、教師の怠慢。自分で、補おう)
しかし、日露戦争の時は、実質は「ほぼ引き分け」であったし、「列強の干渉」も入ったため、「賠償金」は獲得できなかった…。
それを、「不満」に思うヤカラ達及びそれに便乗して騒ぐ有象無象(自分たちの身内、親類、縁者、友達が戦死・負傷しているのに、何たることだ!)が、騒いで「暴動」となった。
これも、あまりに有名な話し。「日比谷焼き打ち事件」とか、称しているようだな…
『ポーツマス媾和条約の内容が気に食わないというのだ。いったいその元気満々の野郎たちはどうしてそれまで徴兵されず、満洲に送られていなかった?
これが「輸送(補給)手段の限界」というやつなのだ。
当時の日本に馬と輜重荷車が余っていて、軽便鉄道資材も十分にあったなら、それら暴徒たちを余すところなく徴兵して後備兵として満洲送りにしてしまい、最前線警備中の現役兵と交替させて、現役徴兵の帰郷復員を急がせることぐらいは、簡単に実現できたのである。』