中印国境から目を離すな ブラーマ・チェラニー氏地政学者

中印国境から目を離すな ブラーマ・チェラニー氏
地政学者
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD201EK0Q2A620C2000000/

『中国軍とインド軍は、国境地帯での衝突から2年を経てにらみ合いを続けている。この紛争の存在はウクライナ戦争によってかすんでいるかもしれないが、両軍は軍備増強を進めている。オースティン米国防長官は6月にシンガポールで開かれたアジア安全保障会議で、「中国が国境沿いの陣地を強化し続けている」と警告した。両軍とも数万人の部隊が対峙していることから、戦争まではいかなくとも、小競り合いが再び発生するリスクはかなりある。

2020年6月15日の両国軍の衝突は、一連の小競り合いの中で最も血なまぐさいものだった。当時、インドは世界で最も厳しい新型コロナウイルス対策の都市封鎖に気をとられていた。中国はそのすきを突くようにインド北部、ラダック地方の国境地域に侵入し、強固な要塞を建設した。

この予想外の侵入は中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席による巧妙な計画ではなかったようだ。中国は楽勝するどころか、中印関係をどん底に突き落とした。国境危機によりインドの大規模な軍備増強を不可避にした。

Brahma Chellaney 印ジャワハルラル・ネール大博士(国際関係論)。米ハーバード大などを経て印政策研究センター名誉教授

20年6月の衝突は残忍さでも際立っていた。96年の2国間協定により両国の兵士が国境地帯で銃を使うことが禁止されたことから、中国人兵士は有刺鉄線を巻いた棒などを使い、インド軍のパトロールに攻撃した。インド兵の一部は殴り殺され、崖から川に突き落とされた兵士もいた。その後インド側の援軍が到着し、中国部隊と激しい戦いを繰り広げた。

数時間の戦闘の後、インドは死亡した兵士20人を殉職者としてたたえたが、中国はいまだに死者数を公表していない。米情報機関は35人、ロシアの政府系タス通信は45人と推定している。

真実を明らかにしないのは中国共産党の対応としては予想の範囲内だ。中国は62年のインドとの戦争での死者数を94年にようやく発表したが、数字は実際より大幅に少なかった。2年前の衝突についても中国共産党は現実をねつ造しようとしている。衝突のプロパガンダ映像を公開する一方、死者数の隠蔽を批判した中国人ブロガー少なくとも6人を拘束した。

国境危機はインドのイメージ失墜にもつながった。インドは中国軍に不意を突かれ、一部の中国人兵士が領土の奥深くまで侵入することを許したのに何の調査も行わなかった。インドの国防支出は米国、中国に次いで世界第3位で、陸軍がかなりの部分を占めている。しかしインド陸軍は長年、中国とパキスタンの国境を越えた行動に何度も不覚をとってきた。

中国軍は、氷が溶けて進入路が再開される直前に危険地帯に侵入した。ところがインド軍は、中国が国境付近で軍事活動を活発化させている兆候を無視した。この大失態にもかかわらず、インド軍の司令官は誰ひとり解任されなかった。さらに悪いことに、モディ首相はここ2年間、軍事危機について沈黙している。

中国は占領したいくつかの陣地から撤退する一方、他の占領地を恒久的な軍事拠点に変えている。習氏が狙っているのは東シナ海や南シナ海と同様、軍事力で威圧をすることにより、戦わずしてインドに勝利することだ。世界最大の民主国家であるインドは、民主主義と専制主義の戦いの最前線にいる。中国がインドを威圧して服従させることができれば、世界最大の専制国家がアジアで覇権を握ることになる。

関連英文はNikkei Asiaサイト(https://s.nikkei.com/3zJoJkw)に

中国の拡張主義に警鐘

インドがロシアのウクライナ侵攻を非難しない理由の一つが中国との国境紛争だ。両軍がにらみ合っており、いつ本格的な戦闘が起きてもおかしくない。そんなときにロシアまで敵に回すわけにはいかないのだ。

チェラニー氏は中国が繰り返す領土拡張の試みについて、世界に向けて警鐘を鳴らし続けている。中国の暴挙が国際社会から不当に黙認されているという思いがある。

確かに中国は、チベットの併合・弾圧でも、南シナ海の人工島基地建設でも、大した代償を科されていない。これではインド国境でも台湾海峡でも軍事力行使は「やり得」だと中国が考えてしまう恐れがある。最前線に立つインドからの叫びは、世界が抱える最大の安全保障リスクは中国の野心だと思い出させてくれる。

(編集委員 小柳建彦)』