唯物論
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E7%89%A9%E8%AB%96
弁証法
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E8%A8%BC%E6%B3%95
唯物史観
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E7%89%A9%E5%8F%B2%E8%A6%B3
※ 非常に「ザックリ」とした理解・説明を、語っておく…。ごくごく、サワリの話しだし、極めて「常識的」な話しだ…。細部は、各人で肉付けされたし…。
まず、もの事の「本質」を考察する場合、「物質的なもの」に重きをおくのか、「精神的なもの」に重きをおくのか…、という立場決定がある。
前者が「唯物論」であり、後者が「唯心論」だ…。
弁証法とは、もの事の「本質」に迫ろうとする方法論、あるいは、もの事の「本質」の説明のし方・やり方の一種だ…。「あるテーゼ」を立てたものに対して、それに反する「アンチ・テーゼ」をぶつけて、その両立しがたい両者の相克から、「新たなこと」(より高次の価値あるもの)が生じるものなんだ…、とする考え方だ。ヘーゲルが完成させたとされ、「正」「反」「合(正でも反でも無い、新たなもの)」という形で、説明される事が多い…。
「正」と「反」がぶつかって、「合」が生じることを、「アウフヘーベン(aufheben)」と称し、「止揚」と訳されている…。
唯物論に立ち、弁証法的方法論に立脚し、これを「歴史」の理解に適用したものが、「唯物史観」だ…。
歴史の展開、歴史の変遷は、「物質的なもの」を基盤として生じるもので、「正」「反」「合」のダイナミズムによって、理解できるのだ…、とか主張するわけだな…。
ここいら辺までは、もの事や歴史の「本質」を解明しようとする、思弁的・哲学的な「考察」にとどまっているので、そんなに「現実的な力(ちから)」は、持たない…。
しかし、世の中、そういう思弁的・哲学的な「考察」だけでは、済まないから、だんだん剣呑(けんのん)なものとなって行く…。