中国の『隠れた手』にがんじがらめにされるドイツ

中国の『隠れた手』にがんじがらめにされるドイツ メルケル首相は媚中派路線を転換できるのか
https://www.newsweekjapan.jp/kimura/2020/07/post-82_1.php

『<「人権」から「経済優先」に舵を切ったメルケル首相>

[ロンドン発]香港国家安全維持法や次期通信規格5G参入を巡り、米英を軸にする”アングロサクソン連合”が中国との対決姿勢を強める中、第三極となる欧州連合(EU)の大黒柱、アンゲラ・メルケル独首相の対中姿勢への懸念が大きく膨らんでいる。

EUの輪番制議長国になったメルケル首相は、中国との「相互の敬意」と「信頼の関係」に基づき「われわれは香港問題について中国と対話と話し合いを続ける」との考えを強調した。これに対し、英誌エコノミストは「メルケル首相の対中ソフト姿勢に国内で物議」と批判的に報じた。

旧共産圏・東ドイツ出身のメルケル首相は2007年、「経済優先」の前例を破って独首相として初めてチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世と会談した。これが中国の逆鱗に触れ、対中輸出は激減。媚中派のゲアハルト・シュレーダー前首相(社会民主党)に厳しく批判された。

以来、「人権派」のメルケル首相は「経済優先」路線に一気に逆戻りした。11年には中国との共同閣議を初開催し、首相としての訪中回数はシュレーダー氏の倍に当たる12回に達した。おかげでメルケル首相の15年間で対中輸出は5倍以上の1100億ユーロに膨れ上がった。

香港問題で、最後の香港総督を務めたクリストファー・パッテン英オックスフォード大学名誉総長が主導した共同の抗議声明には43カ国の議員ら904人の署名が寄せられたが、ドイツ連邦議会からは14人だけ。内訳は野党の自由民主党や緑の党がほとんどで、大連立を組むCDU・CSU(キリスト教民主・社会同盟)は4人、社会民主党はゼロだった。

新しい世界を形作る中国の『隠れた手』
メルケル首相は中国通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)の5G参入問題についても慎重に結論を秋に先送りしている。しかし今年1月に限定容認を決定したイギリスが香港問題を受け、2027年までに全面排除する方針に転換したことで、アメリカの圧力をまともに受け始めた。

メルケル首相は対中政策を転換するのか。『隠れた手 いかに中国共産党が新しい世界を形作るかを暴く』の共同著者、マハイケ・オールベルク氏は筆者にこう語る。

「ドイツの対中政策がソフトなのは、独経済の中でも特に自動車と化学と中国の関係が深く、政治に対する産業界のロビー活動も活発に行われ、強い影響力をふるっているからだ。メルケル首相は、EUが緩い対中政策を強化する時の障害になる恐れがある」

オールベルク氏は米ジャーマン・マーシャル財団で上級研究員を務める独中関係のエキスパートだ。

『隠れた手』によると、ヘルムート・シュミット元首相(社会民主党)が15年に亡くなった時、中国中央電視台(CCTV)は「中国人民の古き友人」と功績を称えた。シュミット氏は1989年の天安門事件で中国を擁護する発言を繰り返し、事件後初めて中国を訪れたドイツの政治家だ。

中国の対ドイツ浸透工作は社会民主党のシュミット、シュレーダー両氏を手始めに、産業界にも「中国共産党支配や領土問題に口を挟まない限り、企業は自由に活動できる」と甘言を弄して入り込んでいく。浸透工作はドイツの外交官やシンクタンク、地方の隅々に及んでいる。

4年連続でドイツの最大貿易相手国になった中国
ドイツ連邦統計局は、アメリカは依然としてEUの最も重要な貿易相手国だが、2000年に比較するとアメリカとの貿易の割合は全体の18%と大幅に減少した。これに対して中国との貿易は5.5%から15.8%と3倍近くに膨れ上がった。日本との貿易も7.5%から3.5%に減ったと指摘する。

ドイツにとって中国は4年連続で最大の貿易相手国になった。

ドイツ自動車産業協会によると、乗用車の総輸出台数は昨年348万7321台。輸出先はEUがトップで133万9545台。次にイギリス59万2566台、アメリカ41万7525台、中国26万7537台と続く。

中国や香港で販売されたドイツの高級車は昨年、フォルクスワーゲン(VW)が316万3200台、アウディが69万83台、BMWが72万3680台、メルセデス・ベンツ69万3443台、ポルシェ8万6752台。ドイツの自動車産業、いやドイツ経済はもはや中国なしでは成り立たない。

中国専門のオンラインマガジン「チャイナファイル」によると、イスラム教徒のウイグル族ら約100万人を強制収容所で再教育していると国際的な非難が沸き起こっている新疆ウイグル自治区にVWやシーメンス、BASFなど多くのドイツ企業が進出している。

VWは「新疆ウイグル自治区にあるウルムチ工場で人権侵害が起きている兆候はない。ウイグル族の強制労働がVWのサプライチェーンに取り込まれていることを示す証拠は何一つない」と人権問題に目を閉ざす。

ドイツのメルカトル中国研究センター(MERICS)によると、欧州での中国の直接投資は2000~19年にかけ、累積でイギリスが最も多く503億ユーロ、ドイツが227億ユーロだ。英独の市場が他の国に比べて開かれており、中国資本が自由にアクセスできたからだ

中国がテクノロジー戦争に勝つという打算
ドイツ産業界にも中国に依存しすぎたことに対する反省や警戒感は強まっている。中国に進出するドイツ企業約5500社は現地で合弁会社の設立を求められ、技術移転を強制される。中国企業はドイツの市場には自由に参入できるのに、ドイツ企業の中国市場参入は制限されている。

16年、産業用ロボット世界大手の独クーカが中国家電大手の美的集団に買収された。これをきっかけに、中国の意図をいぶかる声が強まり、中国の投資を事前にスクリーニングする仕組みが強化された。しかし大企業の”中国依存症”は、もはや手の施しようがないのが現状だ。

メルケル首相は膨大な対米貿易黒字と「軽武装・経済重視」を理由にドナルド・トランプ米大統領との関係は極度に悪化した。イギリスのEU離脱で10%の自動車関税が復活すれば、高級車の重要な輸出先を失う。その上、中国ともケンカを始めるとドイツ経済は完全に失速する。

もちろんメルケル首相には、トランプ政権が主導する中国との「デカップリング(分断)」はそう簡単には進まず、5Gだけでなくビッグデータや人工知能(AI)、遺伝子工学の分野で中国がアメリカに勝利するのではという打算も働いている。

メルケル首相の15年を振り返ると、常に「戦略的」と言うより「戦術的」に動いてきた。EUの輪番制議長国を務める年内いっぱいはEU域内の新型コロナウイルス対策と経済復興を最優先させるだろう。禁じ手だったEU初の大規模な債務共通化に踏み切ったのもそのためだ。

もし対中政策でアングロサクソン連合と歩調をそろえるとしても対米関係の修復が最低限の条件となる。メルケル首相がアメリカやイギリスのように中国と派手な一戦を構える姿を想像するのは極めて難しい。』