トヨタの庇護は吉と出るか スズキ、出資仰ぎ技術吸収
ビッグBiz解剖(下)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63537050X00C20A9TJ1000/






『昨年6月、浜松市内の「グランドホテル浜松」。ホテル内のサウナに、スズキの鈴木修会長とトヨタ自動車の豊田章男社長の姿があった。
【前回記事】
スズキ、揺らぐインド頼み 「安い小型車」人気に陰り
スズキは同8月末、トヨタとの相互出資による提携を発表した。それに先だつこの日、修会長は静岡県内の本社や工場に豊田社長を招いた。そして会食の前に「汗を流しませんか」と誘ったのだ。サウナに入って提携への感謝を伝えた後、かみしめるように言葉をつなげた。「息子の俊宏(社長)を頼みます」
90歳を目前にしていた修会長。トヨタとの資本提携を「最後の大仕事」と位置づけていた。「わかりました」。豊田社長は笑顔で応じた。
提携の具体策の一つとして、今年7月にはトヨタから環境性能に優れたプラグインハイブリッド車(PHV)の供給を欧州市場で受けると表明した。自社技術で欧州の排ガス規制に対応するのは難しいと判断し、トヨタに頼ると腹をくくった。
自動車業界は電動化や自動運転など「CASE」と呼ばれる100年に1度の大変革を迎えている。この変化に対応するには巨額の投資が必要だ。だがスズキの研究開発費は2019年度で1481億円。独フォルクスワーゲン(VW)の1兆8000億円超などと比べると見劣りする。
スズキはこれまでも米ゼネラル・モーターズ(GM)など同業大手と組みながら、独立を保ってきた。だが買収でスズキをのみ込もうとしたVWとは11~15年まで約4年間にわたる裁判に発展した。CASE時代にスズキの立場を尊重し、庇護(ひご)してくれる存在は誰なのか。たどり着いた答えが、創業家同士が縁のあるトヨタだった。
自社の経営資源にこだわらない――。スズキはこの割り切りを一段と強める。修会長は自動運転車や電気自動車(EV)でも「トヨタなど他社の力を借りていきたい」と公言する。
トヨタに対しては小型車関連の技術などを提供する。スズキは利幅が小さめといわれる小型車が主力ながらも、部品の共通化などで「1円でも安く」つくるのが得意だ。インド市場の減速などが響いた20年3月期を除けば、17年~19年同期の連結売上高営業利益率の平均は8.9%と、トヨタの7.9%を上回った。修会長は「大同団結して量産効果を出せば開発コストは3分の1になる」と豪語する。
ただ、トヨタとの提携がバラ色になる保証はない。トヨタはマツダやSUBARU(スバル)など国内の同業他社にも出資している。グループ傘下には、軽自動車でスズキと長年のライバルである全額出資子会社のダイハツ工業も抱える。大競争時代のなか、4.94%という小規模出資のスズキにどこまで経営資源を割くかは読み切れない。
トヨタ傘下のダイハツ工業は、軽自動車でスズキと激しい価格競争を繰り広げてきた
すでにスズキの下請けの部品メーカーには負の影響も出ている。スズキが一部の部品調達をトヨタ系に切り替えた結果、スズキ系のメーカーの受注が減る例も出始めた。
修会長が多少のあつれきを恐れず、トヨタを選んだ理由はもう一つある。自らの引退後のスズキの経営陣の後ろ盾になってほしいとの期待だ。
もともと2代目社長の娘婿としてスズキに入社し、「中興の祖」となった修会長。当初、後継者と見定めたのは、経済産業省出身で娘婿の小野浩孝専務だった。だが小野氏は07年に病気で他界した。その後は息子の俊宏氏を鍛え上げ、15年に社長に昇格させた。
息子の鈴木俊宏社長(左)への権限委譲はなお課題だ(写真は2016年)
俊宏社長は現在61歳。東京理科大学で修士号を取得後、日本電装(現デンソー)を経てスズキに入社した。真面目で調和を重んじるタイプで若い頃は寡黙さも目立ったとされるが、「徐々に自分の色を出せるようになってきた」(スズキ幹部)。修会長も意識的に権限委譲を進めている。
だが「生涯現役」を公言し、スズキを40年以上引っ張る修会長の目には、まだ物足りなく映るようだ。俊宏社長が15年に就任後、会長以外の取締役だけで集まる「四役会議」があった。だが18年ごろからいつの間にか修会長が加わった。
「40年と4年の経験の差は大きく、(経営は)簡単にできるものではない」。俊宏社長は19年、自らと父親を比べて謙虚にこう語った。
鈴木俊宏社長は実直な性格で知られる(2019年の東京モーターショー)
最近もある「事件」があった。スズキは8月の決算発表時に、21年3月期の業績予想の公表を5月に続いて見送った。実は準備を進めていたが、修会長が「新型コロナウイルスでインドの先が読めないでしょ」と一喝し、お蔵入りとなった。
市場からは「自らが引退しても問題ない体制を築けていないのは相当なリスクだ」(証券アナリスト)との声も漏れる。一介の地方企業からグローバル展開し「小さな巨人」と呼ばれるまでになったスズキ。円滑な事業承継という大きな課題はなお残されたままだ。
浅山亮、早川麗が担当しました。』























































