【速報】教皇、サミットでAIの兵器利用に懸念表明
https://www.47news.jp/11061216.html
『2024年06月14日 22時29分 共同通信
【ファサーノ共同】ローマ教皇フランシスコは14日、G7サミットに初めて出席し、AIの兵器利用に懸念を表明、規制強化を求めた。』
【速報】教皇、サミットでAIの兵器利用に懸念表明
https://www.47news.jp/11061216.html
『2024年06月14日 22時29分 共同通信
【ファサーノ共同】ローマ教皇フランシスコは14日、G7サミットに初めて出席し、AIの兵器利用に懸念を表明、規制強化を求めた。』
中国に対ロシア物資停止を要求 G7、北朝鮮の軍事支援非難
https://www.47news.jp/11061623.html
『2024年06月15日 10時01分 共同通信
【ファサーノ共同】先進7カ国(G7)は14日(日本時間15日未明)、イタリア南部プーリア州ファサーノでの首脳会議(プーリアサミット)の成果をまとめた首脳声明を発表した。
中国に対し、軍民両面で利用可能な物資のロシアへの移転停止を要求。
北朝鮮とロシアの軍事協力を「可能な限り最も強い言葉で非難」した。
インド太平洋地域の平和と安定が世界の繁栄の鍵だと主張した。人工知能(AI)の労働分野での利用に関する行動計画を立ち上げると明記した。
首脳声明は、ロシアによる侵攻が続くウクライナに対するG7の揺るぎない支援を改めて明確にした。
制裁で凍結したロシア資産を活用し、ウクライナに500億ドル(約7兆8千億円)の提供を決めたと表明した。
パレスチナ自治区ガザ情勢を巡り、ガザ最南部ラファへの全面的な攻撃を深く懸念し、イスラエルに攻撃を控えるよう求めた。
「法の支配に基づく自由で開かれたインド太平洋」への関与を改めて明示。中国を念頭に東・南シナ海の状況に深刻な懸念を表明し、力による一方的な現状変更の試みに強く反対すると強調した。』
バルカン半島(世界史用語解説 授業と学習のヒント)
https://www.y-history.net/appendix/wh0602-064.html
『東ヨーロッパの南部、ほぼドナウ川以南、地中海海岸までの地域。ローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン帝国といった大帝国の支配が続いたが、その間、ラテン系、ゲルマン系、スラブ系、トルコ系などの諸民族が諸国家を建設し、民族対立・宗教対立が続いた。とくに近代のバルカン問題は第一次世界大戦の導因となった。現代においても深刻な民族紛争が起こっている。
バルカン半島はヨーロッパの東、西をアドリア海・イオニア海、東を黒海、南を地中海・エーゲ海に囲まれた広範な地域を指す。一般にルーマニア・ブルガリア・旧ユーゴスラヴィア・アルバニア・ギリシア・トルコのヨーロッパ部分からなる。(ドナウ川中流のオーストリア・ハンガリー・チェコ・スロヴァキアはバルカンには入らず、中欧とかドナウ諸国と呼ぶことが多い。)
・ページ内の見だしリスト
(1)ローマ帝国からビザンツ帝国へ
(2)オスマン帝国のバルカン半島支配
(3)東方問題とバルカン問題
(4)戦後のバルカン諸国
バルカンの概要
ローマ帝国の勢力が及び、その征服を受けて穀物と奴隷の供給とされていたが、ゲルマン民族の大移動の時期には東ゴートなどがこの地域を経由して西進した。
ローマ帝国分裂後はコンスタンティノープルを都とする東ローマ帝国の支配下に入るが、その後身であるビザンツ帝国のもとでギリシア正教を柱とした独自のビザンツ様式の文化が発展した。
しかし次第にスラヴ人やブルガリア人が自立して国家を建設し、ビザンツ帝国は領土を縮小させ、都の周辺のみを支配する小国になった。
14世紀以降はトルコ人のイスラーム教国家であるオスマン帝国が小アジアからバルカンに進出、ついに1453年にビザンツ帝国をほろぼし、バルカン半島から西アジア、北アフリカにかけて支配を及ぼしたオスマン帝国が成立した。オスマン帝国の支配が長く続く間、バルカン半島のイスラーム化が進んだ。
ヨーロッパの火薬庫
18世紀以降はオスマン帝国の衰退に伴い、パン=ゲルマン主義を掲げるゲルマン系民族と、パン=スラヴ主義を掲げるスラブ系民族が、それぞれ隣接する大国オーストリアとロシアの後援を受けて、バルカン半島で衝突して東方問題を引き起こされる。
ついでバルカン半島の国々も互いに領土をめぐって争うというバルカン問題に展開し、「ヨーロッパの火薬庫」といわれ、ついに第一次世界大戦に及んでいく。
第二次世界大戦後においては東西冷戦の最前線としての緊張が続き、冷戦構造終了後は民主化の動きとともに堰を切ったように民族対立が表面化し、ユーゴスラヴィア内戦からその解体へと、再び世界の不安定要素の一つとして新たなバルカン問題が発生している。
バルカン半島(1) ローマ帝国からビザンツ帝国へ
ローマ帝国の支配
バルカン半島は古代においてはローマ帝国の支配が及び、その属州となった。
東西分裂後は大部分は東ローマ帝国の領域となり、コンスタンティノープルがその都となって次第にギリシア化したため、東ローマ帝国はビザンツ帝国と言われるようになった。
4世紀以降のゲルマン人の大移動の時期には、いくつかのゲルマン部族がバルカン半島を通過したが、定着したものはなく、ビザンツ帝国の支配が継続された。
ビザンツ帝国とスラヴ人の諸国家
その後バルカン半島はビザンツ文化圏を構成し、宗教的にはビザンツ教会=ギリシア正教が浸透するが、中欧に接する地域にはローマ教会の影響も及んでいる。
7世紀頃からスラヴ人のなかの南スラヴ人の南下が始まり、彼らはビザンツ帝国との関係を強め、セルビア王国などが生まれる。
またトルコ系がスラヴ人に同化したブルガリア人やルーマニア人も独自の権力を生み出していく。
ビザンツ帝国は7世紀から東側の小アジアをイスラーム勢力の侵攻を受け、次第に国力を衰退させ、バルカン半島ではセルビアとブルガリアが次第に有力となっていった。
13世紀にはモンゴル帝国のバトゥの侵入を受けたが、バルカン諸国にはその直接的な支配は残らなかった。
しかしこの情勢を一変させたのは14世紀に始まる小アジアからのオスマン帝国の侵入によってイスラーム教が浸透したことであった。
その結果、バルカン半島は、多くの民族が共存するとともにキリスト教文化・イスラーム文化が混在しする、きわめて複雑な歴史的環境を持つ地域となった。
5章1節 用語リストへ
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バルカン半島(2) オスマン帝国の半島支配
オスマン帝国は14世紀に小アジア西部に成立、まもなくバルカン半島に進出し、14世紀末までにその大半を征服した。
1453年にコンスタンティノープルを攻略してビザンツ帝国を滅ぼし、16世紀にはハンガリーを征服、ウィーンに迫った。
この間、バルカンのイスラーム化を進めたが17世紀からオーストリアに押されて次第に後退が始まる。
オスマン帝国の進出
バルカン半島は正式にはローマ帝国を継承するビザンツ帝国が治めていたので、トルコ語ではルーメリ(ルーム=ローマのイル=地方)といわれていたが、スラヴ系のセルビア人やクロアチア人、スラヴ化したブルガリア人などが流入、割拠してビザンツ帝国領はかなり縮小していた。
14世紀に小アジア西部に成立しブルサを都としていたトルコ人のオスマン帝国は、ビザンツ帝国の内紛に乗じてダーダネルス海峡を渡ってバルカンに進出し、まずムラト1世は1354年にダーダネルス海峡の要地ガリポリを抑えた。
さらに1361年ごろ、アドリアノープルを占領し、エディルネと改称して1366年ごろまでに都をブルサからこの地に都を遷した。
コソヴォとニコポリス 14世紀の終わりごろ、オスマン帝国の北上する勢力はキリスト教国を脅かし、1389年にセルビアはハンガリーなどとともにコソヴォの戦いで敗北し、大きな衝撃となった。
ブルガリア王国もオスマン帝国の侵攻によって次第に領土を失った。
ハンガリー王ジギスムントを中心としたキリスト教国連合は、反撃を試みたが1396年にバヤジット1世の率いるオスマン帝国軍によって、ニコポリスの戦いで敗れ、ブルガリアは完全にオスマン帝国領となった。
こしてオスマン帝国の侵攻はキリスト教世界に大きな脅威を与えたが、そのころ中央アジアに台頭したティムールが小アジアに侵入し、1402年のアンカラの戦いでオスマン帝国が敗れたため、そのバルカン進出は一時、後退することとなった。
ビザンツ帝国の滅亡
しかし15世紀中ごろオスマン帝国は態勢を整え、攻撃を再開、1453年にメフメト2世はビザンツ帝国の都コンスタンティノープルを包囲した。ついにコンスタンティノープルを陥落させてビザンツ帝国は滅亡した。
オスマン帝国の拡大
さらにセリム1世の時代(~1520年)までに、セルビア、ボスニア、アルバニア、ギリシアほぼ全土を征服して領土に編入し、はさらにドナウ川を越えてワラキア・モルダヴィア・トランシルヴァニアを属国(オスマン帝国を宗主国として貢納を義務づける)とした。
バルカン以外では黒海北岸のクリム=ハン国まで属国となった。
こうしてバルカン半島は完全にオスマン帝国のイスラーム勢力に支配されることとなった。
支配のあり方
オスマン帝国はバルカン地域を支配する際、騎士(シパーヒー)にティマール(知行地からの徴税権)を与えて支配させ、ギリシア正教会などのミッレト(宗教共同体)の自治を認めた。
また、ムラト1世は征服したバルカン半島のキリスト教徒の少年を強制的に徴兵してイェニチェリ(新軍団)を編制したが、この徴兵制はデウシルメと言われ、14世紀から18世紀まで行われた。
バルカン半島の青少年にとっては苦難であったが、同時にイェニチェリはオスマン帝国で立身しうるチャンスでもあった。
スレイマン大帝
さらに16世紀のスレイマン1世の時代にはオスマン帝国のバルカン支配は拡大され、1526年、モハーチの戦いでハンガリー軍を破り、神聖ローマ帝国皇帝のカール5世と抗争を展開した。
1529年、スレイマン1世はハプスブルク朝の都ウィーンを包囲し、おりから宗教改革の時代で混乱していたヨーロッパキリスト教世界に大きな脅威となった。
また1538年のプレヴェザの海戦ではオスマン海軍がスペイン・ローマ教皇・ヴェネティアの連合艦隊を破り、地中海の制海権を獲得した。
しかしそのころを頂点としてバルカンのオスマン領は次第に後退する。
帝の死後、1571年のレパントの海戦ではオスマン海軍は敗北し、バルカン半島でのハプスブルク家神聖ローマ帝国との戦線もしばらく膠着することとなる。
バルカンからの後退
1683年には第2次ウィーン包囲を強行したが失敗し、この間国力をつけたオーストリア帝国との間で、1699年のカルロヴィッツ条約を締結してハンガリーおよびトランシルヴァニア(現ルーマニアの一部)を放棄した。
これがオスマン帝国がバルカンの領土を失った最初である。
一方、ロシアもクリミア半島から黒海方面に進出し、ボスフォラス海峡、ダーダネルス海峡通過権を得ようと介入を強めた。
7章3節 用語リストへ
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バルカン半島(3) 東方問題とバルカン問題
オスマン帝国の弱体化に伴ってヨーロッパ列強がバルカンに進出、東方問題が起こり、さらにバルカン問題が深刻化した。
オスマン帝国の弱体化に乗じて列強が進出し、東方問題といわれる国際紛争が続く。
特にロシアの南下政策はオーストリアおよび、インド・エジプトのイギリスの勢力と対立する。
帝国主義時代にはスラヴ系民族とゲルマン民族の対立という民族大陸に姿を借りたロシアとオーストリアの対立が深刻となり「ヨーロッパの火薬庫」といわれる。
東方問題
フランス革命とナポレオンの登場は、バルカン半島にもナショナリズムと自由主義の影響を及ぼすこととなり、19世紀にはいると民族意識が一斉に高まった。
セルビアなどの各地で反オスマン放棄が起きるようになった。
またギリシア独立戦争を機に、それに介入するヨーロッパ列強の対立からいわゆる東方問題が起こってくる。
特に南下政策を強めたロシアに後押しされたスラヴ系民族は、1830年にセルビア人が自治権を獲得し、1877年露土戦争後に締結されたベルリン条約によってモンテネグロと共に独立が認められる。
「ヨーロッパの火薬庫」
1908年、オスマン帝国で青年トルコ革命が起こって混乱すると、オーストリアはボスニア=ヘルツェゴヴィナを併合し、ブルガリアは独立を宣言した。
こうして、オスマン領はオーストリアのパン=ゲルマン主義とロシアのパン=スラヴ主義による争奪戦によって浸食され、両陣営の対立によってバルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と言われるようになる。
このバルカン問題は、セルビア・ブルガリア・モンテネグロ・ギリシアがロシアの後押しでバルカン同盟を結成してオスマン帝国と戦った第1次バルカン戦争としてついに火を噴き、さらにブルガリアと他の三国・オスマン帝国とが戦った第2次バルカン戦争が続いた。
オスマン帝国はこれらの戦争の結果、1913年のロンドン条約でイスタンブル付近を除くバルカン半島の領土を失った。
現在につながる問題
以上のような13世紀から20世紀初頭に至るオスマン帝国のバルカン半島支配により、現在でもバルカン諸国内にはイスラーム教徒が存在し、ブルガリア、ギリシアなどにトルコ系住民も残っていて、複雑な宗教的・民族的対立の歴史的背景となっている。
しかし、オスマン帝国のバルカン半島支配は、例えばキリスト教やユダヤ教の信仰をミッレトとして認めたように強圧的ではなかったことが特徴である。
12章2節 用語リストへ/14章2節 用語リストへ
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バルカン半島(4) 戦後のバルカン諸国
第二次大戦中はドイツ、イタリアの枢軸国の支配が及んだが、解放に大きな力となったソ連の影響力が強まり、戦後はギリシアを除き共産圏に組み込まれた。
ユーゴスラビアはチトーの指導の下独自路線を歩んだ。
1989年の東欧革命で民主化、ユーゴ解体という激変が起き、その後も民族対立から混迷が続いた。
戦後のバルカン半島諸国
第二次世界大戦後は、バルカン半島はギリシアを除き、社会主義政権が樹立され、ソ連の同盟国として、東欧共産圏を構成するようになった。
ルーマニア・ブルガリア・アルバニアはワルシャワ条約機構に加盟し、ソ連の衛星国となったが、新たに出現したユーゴスラヴィア連邦はティトーのもとで独自路線を歩み始めた。
東欧革命とユーゴ解体
東西冷戦が続く中、ソ連に追随する外交、官僚主義的な社会主義経済の停滞が次第に矛盾を深めて行き、1989年には一気に東欧革命が吹き荒れ、ルーマニアではチャウシェスク独裁政権が倒されるなどの民主化が一気に進んだ。
そのあおりでユーゴスラヴィア内戦が起こり、ユーゴスラヴィアは解体され、2006年までにクロアティア・スロヴェニア・マケドニア・ボスニア=ヘルツェゴヴィナ・セルビア・モンテネグロがそれぞれ分離独立した。
その間、 ボスニア内戦やコソヴォ問題ではムスリム人がその当事者として関わっていた。
NewS 2006.1.6 バルカン・トルコで共通歴史教材
2006年1月6日の朝日新聞国際面に「バルカンで共通歴史教材」という記事が掲載された。近代のバルカン半島諸国の歴史を考えるのに興味深い内容なので、長いが引用させていただく。
(引用)各民族が複雑に入り組み、紛争が繰り返されてきた欧州・バルカン諸国の歴史家が、バルカン半島にある国々とトルコ、キプロスの計11ヵ国を対象とする高校用歴史教材を作った。自国に都合よい記述が目立つ歴史教科書を補うため、国ごとに異なる歴史認識をそのまま盛り込んだ。生徒に「他者の視点」を知ってもらおうと、セルビア・モンテネグロ政府がさっそく採用を決めた。専門家は、この地域への欧州連合(EU)拡大の動きが和解と地域協力を後押ししているとみる。(堀内隆)<朝日新聞 2006.1.6 記事。以下は要約>
対立する認識盛る 教材は4分冊。14世紀のオスマントルコから第2次世界大戦までを扱う。英語版が昨年6月に完成、地域の10ヵ国語への翻訳を進めている。取り組みは旧ユーゴスラヴィアの解体を受けて地域の諸国に激しい内戦が広がった90年代後半に始まった。旧ユーゴでは90年代前半、セルビア人、モスレム人、クロアチア人が争ったボスニア紛争、セルビア共和国コソボの独立を巡るアルバニア人とセルビア人のコソボ紛争が起き、「民族浄化」と形容される大規模な集団殺害が繰り返された。各国の歴史家が「南東欧共同歴史プロジェクト」を立ち上げたのが98年、2年間で7回開いたワークショップを通じ、各国の歴史教育で主張が対立する部分を洗い出した。国ごとに対立する点は併記することを基本にしたが、しばしば意見の衝突も起きた。
異なる見解を併記した例
15世紀のオスマン帝国のバルカン進出 トルコでは「解放」、ギリシアでは「征服」と教えられる。財産を奪われ追放された被征服者の記録と、復興に尽力したオスマン帝国のスルタンの業績を記した資料を併記。
20世紀初頭のバルカン戦争 マケドニア領有をめって争ったブルガリア、ギリシア、セルビア3国が出したマケドニアの民族別人口比の党系を併記。
国旗や国民の祝日 各国の決め方を比べ、どんな歴史上の事実を象徴として重視しているかを考える。
具体的な事例ではバルカン戦争中に起きたある村への焼き討ち事件の責任をめぐってブルガリアとギリシアの研究者の間で論争が起きたという。編集に携わった歴史家の一人、ギリシア人のクリスティーナ=クルリ氏は「ほかにも対立した例は数々ある。でも、われわれの出発点は、他者を批判するよりもまず自分自身に批判的になることだった」と語った。<以上、朝日新聞 2006.1.6 記事を要約>
つい先日まで、激しい戦いを繰り返していたバルカン諸国のなかに、このような動きがあることは大いに注目してよい。驚くのは、バルカン諸国とトルコが同席して、歴史を見直そうとしていることだ。第二次世界大戦後の「現代史」までは含まれてはいないとしても、ここに同席した歴史家や歴史教育者に敬意を表したい。気になるのは、各国政府や世論、マスコミがはたして応援しているかどうかだが。見方の違いを認め合った上で、相互に謙虚に事実に向かいあうのが歴史家の役割に違いない。
16章2節 用語リストへ
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書籍案内
柴宣弘
『図説バルカンの歴史』
2006 河出書房新社
マーク・アゾワー
/井上廣美訳
『バルカン―「ヨーロッパの火薬庫」の歴史』
2017 中公新書
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』
〈西バルカンはなぜEU加盟に進まない?〉
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/34084
『フィナンシャル・タイムズ紙コラムニストのトニー・バーバーが、5月14日付け論説‘Defiant regional leaders resist the road map to EU membership’において、欧州連合(EU)は西バルカンなどへの拡大を目指しているが、セルビアやジョージアなど、地域の指導者にはEU加盟の進路を進むどころか、反対方向を指向する者があることを解説している。要旨は次の通り。
(Jacek Kadaj/gettyimages)
昨年8月、欧州理事会議長のシャルル・ミシェルは、EUは2030年までには拡大の用意が整っているべきだと述べた。当時ですら、それは楽観的に聞こえた。
今や、幾つかの加盟候補国は、加盟の基準を充たすどころか、反対方向を指し示す傾向を露わにしている。
バルカンの加盟候補国は、アルバニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ(但し、潜在的候補国)、モンテネグロ、北マケドニア、およびセルビアである。この他にジョージア、モルドバ、ウクライナも候補国である。トルコも少なくとも理論的には候補国である。
加盟を申請する国は、自由な市場経済はもとより、民主主義、法の支配、EUの外交政策との整合性について、一定の基準を充たさねばならない。セルビアは、EU加盟の基準を意図的に充たさないことを選択した国の例である。
5月7~8日、セルビアは習近平の訪問を得て、北京と「共に分ち合う将来(shared future)」の追求に合意した。また、ブチッチ大統領は新たな政府を任命したが、それにはロシアとの近さゆえに米国の制裁対象となっている2人の閣僚が含まれる。
ブチッチの行動は是正されることはないだろう。実は、セルビアではEU加盟に対する支持は他のどのバルカンの候補国よりも低い。ブチッチは、ロシアと中国におもねる一方、EU加盟を支持しているように装い、一つの外国がもう一つの外国と争うように仕向けるというセルビアの伝統を演じている。
北マケドニアでは、5月8日の大統領選挙と議会選挙で右派のナショナリストの勢力が勝ったことで、この国のEU加盟の展望は後退することとなった。北マケドニアの加盟条件の一つは言語、アイデンティティ、歴史に関連するブルガリアの諸々の要求を充たすことである。この国の新しい政府はこれらの譲歩に反対だ。
ボスニアの民族別の政党の間の抗争は国の機関を麻痺させており、EU加盟には1992~95年の戦争当時からほとんど近づいていない。』
『ジョージアの独裁的指導者ビジナ・イワニシヴィリは極度に反民主主義の方向に動いた。その結果、5月14日、「外国のエージェント」に関するロシア流儀の法案が、大規模な街頭の抗議デモにもかかわらず、可決され、また、EUのルールと相容れない税制の変更が可決された。
EU拡大が困難に陥っているのは、この地域がロシアと中国の干渉に晒されていることもその理由である。しかし、幾つかの国がEU加盟あるいは加盟に必要とされる措置に疑念を抱く執拗な勢力に牛耳られていることが、もう一つの理由である。EUの民主主義の価値や経済支援ではこれら障害の克服には十分でないかも知れない。
* * *
EU加盟へ進まない各国の事情
EUが欧州の安全と繁栄のために拡大が望ましく必要と考えたことは正しい。しかし、意図的に加盟の可能性を破壊しかねない行動に出る国があろうと予期した向きはあまりなかったかも知れない。
5月8日の中国とセルビアの首脳の共同声明には、「新時代の未来を共有するセルビア・中国共同体の構築」に合意したとある。これはEUに対する決別の辞と読める。
また、セルビアは台湾に関する中国の立場をそのまま支持しており、武力統一も含めて支持しているとも受け取れる。EU加盟の展望はセルビアが中国に傾斜することの歯止めには何らなり得ていない。
両国は昨年10月に自由貿易協定(対象にミサイル、戦車、爆弾など武器も含まれている)に署名したが、共同声明はそれを履行すべきことを確認している。しかし、EUでは加盟国が独自に貿易協定を結ぶことはあり得ず、EUの制度と相容れない。
そもそも、セルビアはブチッチ大統領の強権的支配の下にあり、民主的制度が適正に機能しておらず、EUとは体質的に相容れない。ブチッチが本当にEU加盟を望んでいるのか疑問だ。EU加盟を支持している国民は33%にとどまるとの昨年6月の世論調査もある。
北マケドニアでは、5月8日の議会選挙と大統領選挙の結果、右派ナショナリストの政党VMROが勝利し政権が交代したが、同党の新大統領が12日の就任式で、国名を故意に「北マケドニア」ではなく「マケドニア」と呼んだ。国名の変更はギリシャがこの国を加盟候補国と認めるための条件であり、両国は18年に北マケドニアに改称することで合意したものである。
当時、稀な合意として国際的に称賛された経緯があるが、VMROはこの合意に反対して来た。ギリシャは強く反発している。』
『もう一つは、この論説にあるブルガリアの諸要求(ブルガリアは憲法を改正して北マケドニアにおけるブルガリア系少数民族の存在に言及することを要求している)である。これにもVMROは反対であり、恐らく、難航は必至である。
ジョージアの問題は、5月14日に与党「ジョージアの夢」が議会での採決を強行した「外国のエージェント」法である。この法案は、資金の20%超を外国に頼る市民団体とメディアに司法省に登録することを義務付けるものである。
この法案を主導した親露派のオリガルヒで「ジョージアの夢」の陰の指導者であるビジナ・イヴァニシヴィリの狙いは、クレムリンの手法に倣い、これを弾圧に用いて10月に予定される選挙を有利に展開するための布石であろうともみられ、これが市民の大規模な街頭の抗議運動を引き起こした。EUは、この法案はEUの中核的な規範と価値と相容れず、ジョージアのEU加盟の展望にとって脅威となることを警告しており、加盟プロセスは凍結されざるを得ないであろう。
それがむしろイヴァニシヴィリの狙いだったのではないかとの憶測もある。しかし、国民の89%はEU加盟支持である。
中国とロシアの影響だけではない
この論説は、西バルカンなどEUが拡大を目指す地域が殊更に難しい地域であることの理由として、ロシアと中国による干渉、およびEU加盟に疑念を抱く執拗な勢力の存在、の二つに末段で言及している。あえて追加すれば、西バルカンでは民族が複雑に入り組んでいるために、相互の善隣関係が殊更に難しいことがあろう。
EUは、西バルカンの諸国が加盟を達成する前でも、EUの恩恵を実感出来るよう、加盟に必要な改革を進める諸国に60億ユーロの投資資金を用意する計画を進めているが、どれほどの効果を持ち得るかは見通し難い。』
北の国から猫と二人で想う事 livedoor版:イエメン沖で移民のボート沈没、少なくとも49人が死亡、140人が行方不明
https://nappi11.livedoor.blog/archives/5530992.html







※ ヤレヤレな話しだ…。
※ 今日は、こんな所で…。
しかし、まあ、「世界」では、日常茶飯事なんだろう…。
『イエメン沖 the coast of Yemenで移民を乗せたボートが沈没し、少なくとも49人が死亡、140人が行方不明になっている。
国連機関である国際移住機関(IOM)が2024年6月11日、明らかにした。
それによると、このボートはソマリア北部沿岸を出発し、アデン湾 Gulf of Aden を横断中、イエメン南部沖で沈没したという。
ボートにはソマリア人とエチオピア人Somalis and Ethiopians約260人が乗っていたとみられる。民間の船舶が71人を救助し、2024-united-nations-migration-agency-79754869ソマリアの沿岸警備隊に通報。行方不明者の捜索が続けられている。死亡した49人のうち31人が女性、9人が子供であった。ニュース映像
イエメンは東アフリカ East Africa (the Horn of Africa)からアラブ諸国へ出稼ぎに行こうとする移民の経由地になっている。
IOMによると、イエメンでは10年近く内戦が続いているにもかかわらず、到着する移民の数は2021年の約2万7000人から昨年は9万人以上と、ここ数年で3倍以上に増加している。イエメン領内で生活している移民は約38万人と推定されている。
index hgfdimageskjh
ソマリアSomalia北部とイエメンは300キロほどしか離れていない。
移民は紅海やアデン湾を渡り、イエメンを目指す。
今年4月にはジブチ沖 coast of Djibouti で移民を乗せた2隻の船が難破し、少なくとも62人が死亡した。
IOMによると、この航路では昨年、少なくとも1860人が死亡または行方不明になっている。参照記事 英文記事 過去ブログ:2024年5月世界の国内避難民が7590万人過去最多 イタリアで子供の移民急増 :3月在留中国人が最も多い国トップ16、1位は意外?:2月米国への中国人密入国者激増:2023年11月中国政府に愛想を尽かした国民がメキシコ経由で米国へ密入国:
最貧国イエメンに運よく着いた多くの人は、労働者や家事労働者として働くことができるサウジアラビアや他の湾岸アラブ諸国に行こうとするが、着くまでには密入国あっせん業者に海に放置されたり、人身売買されたり、ボートが転覆する等の多くの危険が待っている。
(2023年?)8月には人身売買業者が多数の移民をイエメン沖の海に押し込み、50人以上が溺死した。
3月には子供を含む30人以上のソマリア移民が死亡したが、これは明らかにイエメンで戦争中のサウジ主導連合軍によるヘリコプターガンシップ攻撃によるものと思われる。
610523472サウジアラビアは、他の豊かな湾岸諸国と同様、エチオピアやソマリアなどの貧しい東アフリカ諸国からの数十万人もの人々を惹きつけている。
彼らは狭い海域を渡ってイエメンまでボートに乗る代金を密売業者に支払い、そこから陸路で戦闘地域を通過する。
地域混合移民事務局によると、2023年イエメン海岸に上陸した移民は11万1500人を超え、前年の約10万人から増加した。
サウジアラビアにたどり着いた人々は、家事労働者や農場労働者としての職を見つけ、祖国の家族を支えるために送金することが多い。
B41B9311-8531-4A1D-AAA8-BD7DBC57F4E6
しかし、サウジアラビアの最新の国外追放の波は、数か月にわたる政府による脅しの後、(2023年?)11月11日に始まった。
サウジ当局は、サウジは取り締まりで在留法に違反した約25万人を拘束し、すでに約5万人が強制国外退去されたと発表した。
新たな弾圧で数千人がサウジアラビアから強制送還され、不法移民のエチオピア人らは、拘束中に当局から虐待、暴行や窃盗、汚い捕虜収容所での滞在を強制されたことなどを帰国後のAP通信とのインタビューで語った。
サウジへの不法入国者のうち72%はサウジアラビアが爆撃活動に参加しているイエメン出身者で、26%はエチオピア人だった。 参照記事
000008283エチオピアのエルニーニョ現象による干ばつは、何百万人もの子どもに深刻な影響を与え、2024年には、ほぼ100万人の子どもが急性栄養不良に苦しみ、約35万人の妊娠中・授乳中の女性が栄養不良に陥ると予測されている。また、コレラ、はしか、デング熱、マラリアが集団発生し、国内紛争の長期化が国家的危機を増幅している。参照記事
、、、、世界が不安定だ。治安も経済も不透明な時代で、日本も例外ではない。参考:5月倒産1000件超…物価上昇・人手不足で10年以上ぶりの高水準:
日本では企業間格差、少子化が問題だが、世界では国別格差が広がるばかりだ。 』
「辛すぎる」韓国の即席めん、デンマーク当局が回収を指示
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/34140
『2024年6月13日
デンマークの食品当局は11日、韓国製の即席めんについて回収を指示した。製品に含まれるトウガラシの辛み成分「カプサイシン」の含有量が多く、人体に有害な恐れがあるとしている。
回収の対象となったのは、韓国の三養食品が販売している「ブルダック炒め麺」など3点。当局は消費者に対し、製品の廃棄を呼びかけている。
一方、三養食品は、食品の品質に問題はないとしている。
同社はBBCの取材に対し、「デンマーク食品当局が製品の回収を指示したのは辛すぎるためで、品質に問題があったからではないと理解している」と述べた。
また、「当該製品は世界中に輸出されているが、上記の理由で回収が指示されたのは初めてだ」と明らかにした。
デンマークで何らかの事態が発生し、それを受けて当局が動いたのかどうかは不明だ。
デンマークの動物・食品規制局は、1袋当たりのカプサイシン含有レベルが「非常に高く、消費者が急性中毒を起こす危険性がある」と説明。
「製品を持っている場合、廃棄するか、購入した店舗に返品する」よう、消費者に呼び掛けている。
また、子どもが非常に辛い食べ物を摂取した場合、健康を損なう恐れがあると強調している。
この回収の発表を受け、インターネット上ではホットな議論が起こり、辛い食べ物が好きな人々から興味深い反応が起きている。多くの人が、デンマーク人は辛さに対する耐性が低いと指摘している。
掲示板サイト「レディット」の韓国グループでは、「デンマーク出身の友人は、味のついていないエビフライに少しコショウをかけただけで辛すぎると言っていた。このラーメンが有毒だと思っていても驚かない」というコメントに、最も多くの「いいね」が付いた。
三養食品は、デンマークの「現地規則を綿密に調べて」から対応するとしている。
今回の即席めんは、これまでに他の国で回収されたり、安全性について何らかの警告を受けたりしたことはないとみられる。
トウガラシに含まれるカプサイシンは、辛みを感じさせる化学物質。人間がトウガラシを食べると、カプサイシンが唾液に溶け出し、口の中の受容体と結合する。
三養食品は韓国の大手食品メーカーで、1960年代に同国で初めて即席めんを開発した企業として知られている。
(英語記事 Denmark recalls Korean ramen for being too spicy)
デンマーク政府の食品監督部門は韓国から輸入されている3種類の激辛ヌードルは…。
https://st2019.site/?p=22193
『APの2024-6-13記事「Denmark recalls spicy South Korean noodles over health concerns」。
デンマーク政府の食品監督部門は韓国から輸入されている3種類の激辛ヌードルは毒があるので買った消費者は捨てるか店に返品しなさいと指導している。
製造元はSamyang Foods社。製品は世界中に輸出されているという。
3商品名にはいずれも「Buldak Samyang」が頭に付く。
カプサイシンの含有量が多い。Capsaicin はチリペッパーの成分だが、神経毒でもあるという。
特に年少者や虚弱成人には、害がある。』
跳ね釣瓶の梃子の力と遠心力を最大化して岩石を投射した中世の攻城兵器「トレビュシェット」をイスラエル軍が臨時に復活させて…。
https://st2019.site/?p=22193
『Thomas Newdick 記者による2024-6-13記事「Medieval Flame Throwing Trebuchet Is Israel’s Latest Weapon」。
跳ね釣瓶の梃子の力と遠心力を最大化して岩石を投射した中世の攻城兵器「トレビュシェット」をイスラエル軍が臨時に復活させて、国境の高い壁越しにレバノン領内に「燃える塊」を投げ入れ、植生を焼き払い、それによってヒズボラのゲリラが壁の近くに隠れられないようにしている。
さいきんヒズボラはイラン製の「Almas」という対戦車ミサイルを受領した。それをレバノン国境のすぐ近くに展開しているIDFの「アイアン・ドーム」のラーンチャーに向けて発射して1基破壊している。イスラエルとしては、その再演を防遏しなければならない。
投げ込んでいる「燃える塊」の正体は不明だが、可燃ガスを圧搾タンクに詰め、長時間、炎が出続けるようにしたものを、点火してから投擲しているのではないかという説がある。
※このような目的に使うには、中華製のリチウムイオン電池入りEV車が、いちばんかも……。消火しようとするすべての努力は無駄なので。トレビュシェットは、普通自動車くらいならば余裕で投擲できる。
SNSに6月13日に投稿された別なビデオでは、国境の壁越しにIDFの兵隊が弓矢を使って「火矢」をレバノン領内へ射かけている。』
豪州では、有事にいちばん懸念される事態として、中共が…。
https://st2019.site/?p=22193
『※豪州では、有事にいちばん懸念される事態として、中共が海底ケーブルを全部切るのではないかと想定中。
まわりが全部海だから、国外のAIサーバーを利用できなくなってしまう。
衛星回線ではとても容量が足りない。
ところで先の大戦で日本海軍はお粗末にもミッドウェー島に通じる海底ケーブルを放置していて、それでマンマと敵の術中にかかってしまった。
中共軍はこの教訓を汲んでいるだろうから、おそらくグァム島に通じる海底ケーブルをまっさきに切断するだろう』
軍用機用のシェルターがとてつもなく重要になってきた。
https://st2019.site/?p=22193
『Joseph Trevithick, Tyler Rogoway 記者による2024-6-12記事「Does The U.S. Need To Be Building Hardened Aircraft Shelters For Its Combat Aircraft?」。
軍用機用のシェルターがとてつもなく重要になってきた。これは敵の空爆から防御するためだけではない。小型のドローンでやられてしまう危険が増しているのだ。
13名の共和党連邦議員が連署して米空軍長官ならびに米海軍長官宛てに送った5月の公開書簡によれば、中共は近年、400棟以上の硬化シェルターを、その軍用機用に全土に築造していると。13名は太平洋戦域の米軍基地の航空機が硬化シェルターで守られているかどうか、情報提供を求める。
超小型の自爆ドローンの脅威は、海外の米軍基地だけでなく、米本土の航空基地にも簡単に及ぶと予想されるところが、まったくの新事態である。
いままではテキトーでもよかった米本土の航空基地に、多数の硬化掩体が、これからは必要になるだろう。
『エアフォースマガジン』によれば、2014年時点で、太平洋域には210棟弱の硬化航空機シェルター(HAS)があり、その多くは在韓米軍基地内である。そしてその数は、12年前と比べて2.5%しか増えていない、と記事は書いている。
また書簡は、台湾をめぐる米支戦争では、米軍機の9割は空戦ではなく地上に於いて破壊されてしまうだろうというCSISのシミュレーション結果も引用している。』