コスタリカ共和国(コスタリカきょうわこく、スペイン語: República de Costa Rica)、通称コスタリカは、中央アメリカ南部に位置する共和制国家。北にニカラグア、南東にパナマと国境を接しており、南は太平洋、北はカリブ海に面している。首都はサンホセである。国土面積は51,060 km2で、人口は約500万人[3][4]である。首都であり最大都市であるサンホセには推定333,980人が住んでおり、周辺の都市圏には約200万人が住んでいる。
ディキスの石球のある先コロンブス期首長制集落群 – (2014年、文化遺産) ディキスの石球のある先コロンブス期首長制集落群 – (2014年、文化遺産) 祝祭日 祝祭日 日付 日本語表記 現地語表記 備考 1月1日 元日 Año nuevo 3月から4月 聖木曜日 Jueves Santo 3月から4月 聖金曜日 Viernes Santo 移動祝祭日 主の復活の日曜日 Domingo de Resurrección 4月11日 リバス戦勝記念日 Día de Juan Santamaría 5月1日 メーデー Día de los trabajadores 6月 父の日 Día del Padre 7月25日 ニコヤ隊によるコスタリカ併合の日 Anexión del Partido de Nicoya a Costa Rica 8月2日 処女天使(スペイン語版)の日 Día de la Virgen de los Ángeles 8月15日 母の日 Día de la Madre 8月24日 国立公園の日 Día de los Parques Nacionales 9月12日 子供の日 Día del Niño(a) 9月15日 独立記念日 Dia de la Independencia 10月12日 クリストファー・コロンブスによるアメリカ大陸発見の日 Descubrimiento de América por Cristóbal Colón 11月8日 死者の日 Día de los difuntos 12月25日 クリスマス Día de la familia スポーツ →詳細は「コスタリカのスポーツ」を参照 →「オリンピックのコスタリカ選手団」も参照 サッカー →詳細は「コスタリカのサッカー(英語版)」を参照
注釈 ^ 「1996年のプレバルハイチ大統領の就任式の際、台湾当局者に『米州の最も貧しい国(ハイチ)に対して、年間たった2000万ドルの支援とはどういうことか。本当に支援を望むなら、年間2億ドルを出すべきだ。台湾にとっては何でもないことだ』『アメリカは国内総生産の0.1%を外国援助に充てているのに、台湾は0.0001%さえも出していない』と告げた」「台湾が30カ国に満たない国と外交関係を持つのなら、もっと寛大になるべきだという意味において、私は台湾に批判的だ」と述べた。コスタリカの大型プロジェクトなどに対する台湾の資金提供については「あまり評価しない」と発言した。–2007年6月8日時事通信 ^ カレロ島と砂州でつながっているため、カレロ島の一部であるともされる 出典 ^ a b “UNdata”. 国連. 2021年11月9日閲覧。 ^ a b c d e “World Economic Outlook Database, October 2021” (英語). IMF (2021年10月). 2021年11月9日閲覧。 ^ “World Population Prospects 2022”. 国際連合経済社会局人口部. July 17, 2022閲覧。 ^ “World Population Prospects 2022: Demographic indicators by region, subregion and country, annually for 1950-2100” (XSLX). 国際連合経済社会局人口部. July 17, 2022閲覧。 ^ “Amazon invests in Costa Rica as tiny nation carves out profitable niche in world economy” (11 March 2017). 2022年4月9日閲覧。 ^ “Amazon invests in Costa Rica as tiny nation carves out profitable niche in world economy” (11 March 2017). 2020年4月9日閲覧。 ^ “Capital Facts for San José, Costa Rica” (18 October 2017). 13 April 2020時点のオリジナルよりアーカイブ。6 August 2017閲覧。 ^ El Espíritu del 48. “Abolición del Ejército” (スペイン語). 9 March 2008閲覧。 ^ “Costa Rica”. World Desk Reference. 11 February 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。9 June 2009閲覧。 ^ “Costa Rica”. Uppsala University. 9 June 2009閲覧。 ^ “アルゼンチン上院、人工妊娠中絶合法化の法案可決”. CNN.co.jp (2020年12月31日). 2022年12月12日閲覧。 ^ 「堀義貴公使の中米5ヶ国着任(1935年)」外務省 ^ a b 山岡加奈子 2010, pp. 27. ^ “中米コスタリカで初の女性大統領、与党のチンチジャ氏勝利”. AFP. (2010年2月8日) 2011年2月15日閲覧。 ^ a b 山岡加奈子 2010, pp. 23. ^ a b c 山岡加奈子 2010, pp. 22. ^ a b 山岡加奈子 2010, pp. 32–33. ^ 後藤(1993)p.77-81 ^ 山岡加奈子 2010, pp. 25. ^ 山岡加奈子 2010, pp. 30–31. ^ 山岡加奈子 2010, pp. 25–26. ^ 山岡加奈子 2010, pp. 30. ^ 山岡加奈子 2010, pp. 30–33. ^ 山岡加奈子 2010, pp. 33. ^ City Population閲覧日:2017年2月11日 ^ 内閣府による県民経済計算 (PDF) ^ a b c “海外安全ホームページ コスタリカ 安全対策基礎データ”. 外務省 (2015年6月12日). 2015年11月18日閲覧。 ^ “コスタリカ、OECDに加盟 38カ国目”. 日経新聞. 2021年10月11日閲覧。 ^ 武田 淳 (2012年3月). “コスタリカにおける「エコツーリズム」イメージの創造と近年の変化” (PDF). 日本国際観光学会論文集(第19号). 日本国際観光学会. pp. 77-82. 2015年11月18日閲覧。 ^ 政府観光局p.138-143 ^ a b c 政府観光局p.144-147 ^ 政府観光局p.176 ^ a b 国本(2004)p.256-259 ^ a b c d 政府観光局p.126-127 ^ 国本(2004)p.148-151 ^ “コスタリカで同性婚が合法化、中米で初”. CNN (2020年5月27日). 2020年5月26日閲覧。 ^ a b “海外安全ホームページ コスタリカについての海外安全情報(危険情報)の発出”. 外務省 (2015年10月23日). 2015年11月18日閲覧。 ^ Costa Rica 2013 Crime and Safety Report OSAC 2014年12月20日 ^ “ナバス、レアルで快挙 100試合出場を達成した初の外国人GKに”. SPORT.es (2019年4月7日). 2019年4月17日閲覧。 参考文献 「軍隊を持たない国:コスタリカと平和」、Maika Ito、Global News View(GNV)、2021年11月18日 足立力也『丸腰国家──軍隊を放棄したコスタリカの平和戦略』扶桑社、東京〈扶桑社新書047〉、2009年2月。ISBN 978-4594058722。 国本伊代編著『コスタリカを知るための55章』明石書店、東京〈エリア・スタディーズ〉、2004年4月。ISBN 4-7503-1880-9。 後藤政子『新現代のラテンアメリカ』時事通信社、東京、1993年4月。ISBN 4-7887-9308-3。 滝本道生『中米ゲリラ戦争』毎日新聞社、東京、1988年10月。ISBN 4-620-30653-3。 二村久則、野田隆、牛田千鶴、志柿光浩『ラテンアメリカ現代史III』山川出版社、東京〈世界現代史35〉、2006年4月。ISBN 4-634-42350-2。 コスタリカ共和国政府観光局 編『コスタリカを学ぶ』日本・コスタリカ自然保護協会、2003年9月18日。 山岡加奈子「コスタリカ総合研究序説」、日本貿易振興機構アジア経済研究所、2010年。 関連項目 コスタリカ方式 コスタリカの野鳥一覧 コレオス・デ・コスタリカ 軍隊を保有していない国家の一覧 メタルギアソリッドピースウォーカー コスタリカの憲法の一覧 外部リンク
ジャーナリストのデコート豊崎アリサは、1998年にトゥアレグ人のアザライに参加し、テネレ砂漠を横断する1400キロメートルの交易に40日間同行した[140]。のちの2003年にデコート豊崎はアザライに4ヶ月同行し、その模様を映画『Caravan to the Future』(2017年)として公開した[141][142]。
脚注 [脚注の使い方] 注釈 ^ 当時はキリン、ゾウ、サイ、カバ、レイヨウなどの野生動物やヒツジやヤギなどの家畜が生息しており、人間は狩猟・漁撈・牧畜を行っていた。これらは遺物や岩絵から判明した[5]。 ^ 16世紀のジェンネ、18世紀のトンブクトゥでは刻印のない小さな金貨が流通した[25]。 ^ アブー・ウバイド・バクリー、イドリースィー、イブン・バットゥータ、イブン・ハルドゥーン、レオ・アフリカヌスらがこれにあたる[27]。 ^ 大西洋奴隷貿易では18世紀初頭で年平均25000人、18世紀末までは5万人が交易され、男性の奴隷が多かった[29]。また、サハラ交易での奴隷は経済的・社会的な差別階層ではなく権利を付与されていたが、ヨーロッパ諸国は奴隷を純粋な動産として扱い、暴力が容認された[30]。 ^ アフリカへ運ばれたタカラガイには2種類あり、キイロダカラが上級で、ハナビラダカラが2級品とされた[32]。 ^ 9世紀にスレイマン・アル・タジールはモルディブの資産がタカラガイに支えられていると記述している。10世紀に歴史学者・地理学者のアル・マスウーディーは、シーラーフなどから多くの航海者がモルディブに向かうと記述している[33]。 ^ ベルベル人とも呼ばれる。「ベルベル」とは、ギリシャ語のバルバロスに由来する蔑称にあたる。自称はアマジグ人・アマジグ語で、モロッコやアルジェリアにおける正式名称はアマジグとなっている[39]。 ^ ラクダにはフタコブラクダもおり、こちらは寒冷地に適している[42]。 ^ 首長が市場で欲しいものを取ったり、人混みのために庶民が首長に礼を失するなどのトラブルを避ける意味があった[53]。 ^ ゴーティエやグラジオールらによってこの仮説が立てられた[59]。 ^ R・C・C・ロウはヘロドトスの記述を20世紀の地名に置き換えると、サハラ交易と同じように地中海沿岸とニジェール川を結ぶルートに対応していると論じている。これは立証されておらず交易路だとする確証はないが、岩絵の戦車が描かれたルートには重なっており、ヘロドトスの時代よりも前から地中海とニジェール川を結ぶ交通があった可能性はある[61]。 ^ アフリカ属州の総督ルキウス・コルネリウス・バルブスが紀元前19年にサハラ砂漠を南下する遠征をしてガラマンテス人と戦ったのは、交易の支配が目的だったとする説もある[63]。 ^ プリニウスやストラボンがCarburcliについて記述している[65]。 ^ イバード派は、ハワーリジュ派の一派に属する。ハワーリジュ派は最初のイスラーム分派であり、急進的なアズラク派は滅びたがイバード派は存続した[67]。 ^ アンダルスの地理学者バクリーによると、1050年頃のガーナの首都は住人の半数がイスラーム教徒だった。 ^ 909年にターハルトの王国がファーティマ朝に征服された際には、イマームのヤアクービー・イブン・アフラーはワルグラに亡命した[71]。 ^ ガーナの首都はクンビ・サレー(英語版)だったと推定されている。 ^ 同時代のアイユーブ朝やマムルーク朝は銀貨や銅貨を中心としていた[75]。 ^ 最も早いヨーロッパ人による拠点は、ポルトガルが1482年に建設したエルミナ城とされる。金や奴隷の積み出しに使われた[84]。 ^ 商人として成功し、学者を輩出した一族としてはマッカリー家が著名で、歴史学者のアフマド・ブン・ムハンマド・マッカリーらがいる。マッカリー家についてはナスル朝の学者イブン・アル=ハティーブの記録に詳しい[86]。 ^ トンブクトゥでは書物の写本が作られ、トンブクトゥ写本と呼ばれる。クルアーンやハディース、マーリク派を中心とするイスラーム法学、スーフィズムなどイスラームに関する書物の他に、数学や天文学、倫理学、医学、文学論、大部のアラビア語辞書『ムフカム』などもあった[87]。 ^ それまでの銅は9世紀頃からモロッコ南部のダルア地方のアグマート(英語版)が産地として知られていた[90]。 ^ 地理学者・旅行家のレオ・アフリカヌスの見聞は『航海と旅について』(1550年、のち『アフリカ誌(英語版)』と改題)として出版され、黄金の国マリのイメージはヨーロッパに広まった[104]。 ^ 17世紀のマリ西部ではタカラガイ250個=1シリングで、19世紀の西アフリカ沿岸ではタカラガイ2000個=1シリング9.5ペンスとなっていた[106]。 ^ イスラーム教徒は、身体変形を行う人々を食人種とみなして奴隷化しなかった[108]。 ^ 17世紀の学者であるアーマド・バーバ、エス・サーディ、ムハンマド・カティらは、ソンガイやマリの歴史書を執筆することでモロッコの政策を暗に批判した[109]。 ^ シャリーア(イスラーム法)においてジハードで合法性を主張するには、交戦相手がカーフィル(不信仰者)であること前提条件となる。ウスマンらは敵対勢力が不信仰者である根拠として、背教者である点などを当時の文献に記録している[112]。 ^ ソコト帝国を建国したダン・フォディオはマーリク派の法学を修め、宗教についての著作を多数執筆した知識人でもあった[113]。 ^ ボコ・ハラムの発端は、キリスト教徒であるナイジェリアのオルシェグン・オバサンジョ大統領に対抗して、ナイジェリア北部の諸州がシャリーアの厳格な施行を始めたことにある。姦通罪による石打ち(死刑)の判決が女性に下された時は国際的な問題になり、執行は中止された[124]。 ^ ボコ・ハラムは他にも村の男性を殺害して女性を誘拐したり、子供や女性に自爆テロをさせるなど過激化したために一般のイスラーム教徒から孤立していった[130]。 ^ 学問や古文書は過去に何度か危機にあっている。15世紀のソンガイ王国のスンニ・アリによる学者の虐殺、1490年代のアスキア・ムハンマド1世によるユダヤ人迫害、19世紀のマシナ帝国のジハードによる破壊などがある[133]。 出典 ^ 川田 1990, p. 171. ^ 坂井 2022. ^ Braudel, Fernand (1984). 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スペイン以前の状況は不詳であるが、町は1546年に鉱山町として設立された。人口も一時は20万人を数えた。労働力としてアフリカ人奴隷も連れてこられている。スペイン統治時代に金・銀を多く産出する鉱山が開発され、45,000 t の銀などを産出したが[注釈 1]、19世紀にはすっかり枯渇してしまった。銀の枯渇に加え、19世紀初頭の独立に伴う戦乱で、荒廃が進んだ。その後、19世紀末からは錫(すず)が大量に採掘されるようになり鉱山の活気も復活したが[注釈 2]、現在では錫もほぼ枯渇している。しかし、現在も主に手掘りで作業を続けている坑夫がいる。[1]
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