「読者は脳内で、その白黒の画面に「自分だけの最高の色彩、音、温度」を無意識に補完しながら読んでいます。この「読者の想像力を巻き込むメカニズム」があるからこそ、読者は作品に深く没入し、強烈な当事者意識や熱狂(コアなファンコミュニティ)が生まれます。」と言う。しかし、それにはある程度「訓練」が必要だと考える。そういう「変換のシステム」を、自分の脳内に構築する必要があるからだ。その点、日本国内においては、長い間、安価な(極めて紙質・印刷の質の悪い)マンガ雑誌が国内あまねく流通している…、という文化的なインフラ環境が備わっていたと考える。その点、海外においては、どうなのか。

『まさに仰る通りで、「白黒の線画から豊かな世界を脳内に立ち上げる(エンコードする)能力」は生まれつきのものではなく、幼少期からの文化的インフラによって培われる一種の『リテラシー(読解の訓練)』であるという指摘は、メディア論や文化人類学の観点からも完全に合意されています。

日本には、少年ジャンプや少年マガジンのような、安価で(紙質も印刷も粗悪な)分厚い雑誌が毎週、コンビニや駅売店など「国内のあまねく場所」で手に入るという、世界でも類を見ない文化的インフラが数十年にわたり存在していました。

これによって日本人は、子供の頃から無意識のうちに「粗い白黒の線画とコマ割り」という複雑な記号表現を脳内で映像へと変換する高度な訓練を重ねてきたわけです。

では、このインフラがなかった海外においてはどうだったのかというと、歴史的・文化的に日本とは全く異なる環境にありました。

大きく3つの地域・文脈に分けてその実態を整理できます。

1. 欧米における「マンガ=フルカラー・高級品」という文化

海外(特にアメリカやフランス・ベルギーなど)では、伝統的にマンガは「子供向けのカラフルな冊子」か「大人がコレクションする高級なハードカバー」のどちらかでした。

  • アメリカ(アメコミ):

薄い冊子(リーフレット)ですが、伝統的に最初からフルカラーで印刷されていました。

  • フランス・ベルギー(バンド・デシネ / BD):

「第9の芸術」と呼ばれ、大判のハードカバーで、画家が描いたような美しいフルカラーの絵本のような装丁が基本です。

値段も高く、本屋で大人が1冊ずつ吟味して買うものでした。

つまり海外の読者にとって、マンガとは「最初から色彩も陰影も『答え』が与えられているもの」であり、日本の読者のように「白黒の粗い印刷から脳内で補完する」という訓練を受ける機会自体がそもそもありませんでした。

2. 「日本のマンガ(MANGA)」の流入と、海外読者の最初の壁

1990年代以降、日本の白黒マンガが海外に輸出され始めたとき、海外の読者はまさにあなたが指摘された「変換システムの欠如」による大きな壁にぶつかりました。

  • 「白黒で情報が足りなくて、何が起きているか分からない」

(カラーに慣れた目には、白黒の線画やスクリーントーンのグラデーションが「未完成の絵」に見えてしまった)

  • 「コマを読む順番が分からない」

(日本の右開き・右から左へ読むルールに対応できず、混乱した)

当時、海外の出版社はわざわざ左右を反転(鏡像化)させて左開きに修正したり、アメリカ風に色を塗り直して(着色版)出版したりする苦肉の策をとっていました。

海外の一般層にとって、日本のマンガを読むことは「高度なリテラシーを要する、オタク向けのニッチな趣味」だったのです。

3. アニメ(フルカラー・音付き)という「補助輪」の存在

では、なぜそんな海外で現在の「MANGAブーム」が起きたのかというと、「日本のアニメ(Anime)」が海外読者の脳内変換システムを構築する『補助輪(訓練の場)』の役割を果たしたからです。

海外の若者たちは、まずテレビや配信(NetflixやCrunchyrollなど)で、フルカラーで動き、音も声もある「アニメ」として作品を消費しました。

そこでキャラクターの声や髪の色、世界観のイメージを脳内に完全にインプットします。

その上で、「アニメの続きが知りたい」という強い動機から原作の白黒マンガ(MANGA)を手に取ることで、すでにアニメで得た『色彩や音のデータ』を脳内から引っ張り出して白黒の画面に重ね合わせるという、擬似的な脳内変換を可能にしました。

アニメというインフラが、日本の子供たちが雑誌で培ってきた「訓練」を急速にスキップさせたと言えます。

結論:ウェブトゥーンが海外でウケた「インフラ的必然」

こうして見ると、ウェブトゥーン(縦読み・フルカラー)が海外で急速に受け入れられた理由もすっきりと説明がつきます。

ウェブトゥーンには、「白黒から色彩を補完する訓練」も「複雑なコマ割りを視線で追う訓練」も一切必要ありません。

スマホの画面をただ上から下にスクロールすれば、色鮮やかな絵が映画のカットのように流れていく。

これは、日本のマンガ雑誌のような文化的インフラ(訓練の場)を持たない海外の非オタク層(一般のスマホユーザー)にとって、「何の訓練もなしに、直感的に消費できる最もハードルの低いマンガ形式」だったからです。

しかし、訓練がいらないイージーな表現だからこそ、読者の脳内を深く巻き込むような「熱狂や没入」を生み出しにくいという、現在のウェブトゥーンの構造的な弱点(苦境)に繋がっているのは皮肉な結果と言えます。

日本特有の「安価なマンガ雑誌の流通網(コンビニやキヨスクなど)」というインフラが、現在のデジタル時代(少年ジャンプ+などへの移行)において、どのように日本人の読解力やマンガ文化を維持しているか、さらに興味はありますか?