『5世紀初頭にローマ帝国がブリタニア(ブリテン島)を放棄・撤退した経緯は、ある日突然一斉に軍隊が引き揚げたわけではありません。
それは約30年にわたる「帝国内部の権力闘争(反乱)」と「大陸側の蛮族侵入による本国の危機」が重なった結果、段階的に統治能力を失っていった「泥沼のフェードアウト」でした。 [1, 2, 3]
歴史的な流れは、大きく以下の3つのステップに分けることができます。
1. 「野心家」たちによる度重なる軍隊の連れ出し(383年〜)
ブリタニアはローマ帝国の最辺境でありながら、常に3〜4個の強力なローマ軍団が駐屯する「軍事要塞の島」でした。しかし、この強力な軍隊を背景に、現地の将軍たちが「俺が次のローマ皇帝になる」と反乱を起こし、大陸へ攻め入る政変が相次ぎました。 [1, 2, 4]
- マグヌス・マクシムスの叛乱(383年):
ブリタニアの将軍マクシムスが皇帝を自称し、現地の主力軍団を率いてガリア(フランス)へ進軍しました。彼は敗北し、連れ出された軍隊の大半は二度とブリタニアに戻りませんでした。
これにより、島の防衛力は最初の致命的な打撃を受けました。 [1, 2]
2. 大陸の決壊と防衛線の完全な孤立(401年〜406年)
5世紀に入ると、西ローマ帝国の本国(イタリア半島)自体が西ゴート族などの猛攻に晒されます。 [2, 5]
- 主力部隊の召喚(401年):
帝国の実権者スティリコが、イタリア防衛のためにブリタニアに残っていた貴重な守備隊をさらに引き抜きました。
- 「ガリア決壊」による兵站の遮断(406年):
406年の冬、凍りついたライン川を渡ってヴァンダル族やスエビ族などのゲルマン系蛮族が大挙してガリアに侵入しました。
これにより、地中海の本国とブリタニアを結ぶ陸路・連絡網・交易ルートが物理的に完全切断されました。 [2, 6]
3. 「見捨てられた島」の自立とホノリウスの勅令(407年〜410年)
本国から見捨てられたと感じたブリタニアの残存軍人とローマ系ブリトン人(現地住民)は、自分たちで皇帝(コンスタンティヌス3世)を擁立し、最後の軍勢を率いてガリアの蛮族討伐に向かわせます。
しかしこれも失敗し、島にはもはや正規のローマ軍がほとんど残っていなくなりました。 [2, 7, 8, 9]
- 役人の追放(409年):
防衛の義務を果たさないローマの官僚や徴税人に怒った現地住民(ローマ系ブリトン人)が暴動を起こし、ローマから派遣されていた行政官たちを島から追放しました。 [9, 10]
- ホノリウスの勅令(410年):
困り果てたブリタニアの各都市は、西ゴート族にローマ市を略奪されてパニック状態にあった西ローマ皇帝ホノリウスに「略奪に怯えているので助けてくれ」と悲痛な救援レターを送りました。
これに対し、皇帝が返した返答(勅令)が決定打となります。
「ブリタニアの諸都市は、自らの手で防衛(自給自足)せよ(Look to your own defences)」
[2, 7, 9, 11]
これが、ローマ帝国による「公式なブリタニア放棄の宣言」となりました。 [8]
放棄された後の世界:コモン・ロー前夜の「混沌」
ローマの官僚システム、通貨の鋳造、インフラ維持が停止したブリタニアは、一気に「暗黒時代」へと突入します。
北からはピクト人、海からはスコット人やアングロ・サクソン人が押し寄せました。 [2, 3, 10, 12]
ここで、先ほどの「帰納法(コモン・ロー)」の精神に繋がります。
完璧な「ローマ法(成文法)」を執行してくれる役人も軍隊もいなくなった現地住民は、自分たちの身を守るため、部族ごとに集まり、「目の前の危機をどう解決するか」という現場の経験則と話し合い(慣習)だけで社会を再構築せざるを得なくなりました。
この5世紀の「ローマ法からの完全な断絶」と「泥臭い現場主義への強制シフト」こそが、後のイギリス独自の社会契約やコモン・ローの土壌を耕すことになったのです。 [7, 10]
このローマ撤退後に、アングロ・サクソン人がどのように島を塗り替え、イングランドの原型を作っていったかなど、さらに地続きで興味のある展開はありますか?
[1] https://www.britannica.com
[2] https://www.youtube.com
[3] https://www.historyofinformation.com
[4] https://en.wikipedia.org
[5] https://www.rekishiwales.com
[6] https://www.historic-uk.com
[7] https://en.wikipedia.org
[8] https://www.facebook.com
[9] https://www.reddit.com
[10] https://en.wikipedia.org
[11] https://www.english-heritage.org.uk
[12] https://www.battlemerchant.com
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