アメリカで変質したアングロサクソン・モデル

アメリカで変質したアングロサクソン・モデル
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『2022/09/28
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侍留 啓介
MBAでは学べない、独学術と資本主義
侍留 啓介

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前回は『資本主義の根幹をなすアングロサクソン・モデルとは何か?』を投稿しました。

https://newspicks.com/topics/capitalizm-mba/posts/28?ref=TOPIC_POST_MANAGEMENT_VIEW

今回は、その続編です。

イギリスを作ったアングロ人とサクソン人を意味した「アングロサクソン」が、なぜアメリカ、特にその強欲的な資本主義の代名詞となったのか、について私見を述べたいと思います。

なお、私見とは言え、この記事は、松岡正剛氏の『感ビジネス』と『資本主義問題』を特に参考としています。この二冊は、アメリカ型資本主義を考察するうえで非常に有益な本だと思います。

アメリカで復活したアングロサクソン・モデル

前回説明しましたが、イギリスではじまった「原始モデル」としてのアングロサクソン・モデルは、一度死に瀕しました。

しかし、独立したばかりのアメリカでは事情が違っていました。新興国であるがゆえに、国家に資金がなく、それゆえ否が応でも民間の資金を必要としていたのです。そのため、「原始モデル」の株式会社の仕組みは非常に魅力的だったわけです。

同じ民間会社でもパートナーシップの場合は、所有と経営が一体化したものです。したがって、出資は経営陣が持ち出せる程度に抑えられます。そのため今でも、弁護士やコンサルティングなど、設備投資や固定費が少ない業態では、パートナーシップをとる会社も少なくありません。

一方で、株式会社の場合は、時にバブルや詐欺などの問題をうみますが、所有と経営が分離しているので、株式所有をしたい人が多ければ多いほど資金が集まります。これは、新国家のインフラ整備が急がれるアメリカには好都合でした。銀行・運河・道路・市役所・教会・大学のいずれもが株式会社(特許会社)によって請負われました。当初からアメリカでは国家システムと会社システムが同じものであった、ということが歴史と王政のあるヨーロッパとは大きく異なります。

ちなみに、不動産を英語でReal Estateといいますが、このRealは「現実」ではなく「王の領土」という意味です。レアルマドリード(王室のマドリード)と同じRealです。このような「王の領土」という発想は、アメリカにはなく、あくまで民間会社が開拓(あるいは占領)しうる土地であったのです。

イギリスやフランスで問題を引き起こし、早々に葬られてもおかしくなかった株式会社の仕組みは、偶然によってアメリカで活躍し、後述のようにグローバルに生き残ることとなります。

このあとの1970年代まで、アメリカ型「アングロサクソン・モデル」は200年近くにわたって繁栄することになります。「パックス・アメリカーナ」とは、「パックス・アングロサクソンモデル」でもあったわけです。アメリカでのアングロサクソン・モデルはこのように政策と一体化したものですが、企業の政治献金も当然のように行われました。

マネジメント、そして金融資本主義へ

「所有と経営の分離」を徹底した「アメリカ型企業」は、20世紀初頭に誕生しました。シアーズがその発端で、ジュリアス・ローゼンワルドに組織運営を委ねた「専門経営者による経営」というマネジメント・システムが誕生しました。

さらに、工場管理はカーネギーによって標準化され、ついでフォードのT型フォードの組立てラインに発展しました。ここら辺は、ドラッカーの本にも必ず登場する事例ですね。大量生産・大量販売をベースとするアメリカ型マーケティング手法が確立したわけです。

このように、もともと多くの資金を呼び込む株式会社としてスタートしたアメリカ型企業だったのですが、プロフェッショナル経営者への経営委任を通じて所有と経営が完全に分離します。本来経営のための資金調達手段であった株式会社の仕組みだったのが、逆に一部の株式所有者(資本家)によって経営を動かされる仕組みができあがってきます。典型的なのがヴァンダービルドやJPモルガンなどの銀行家であり、彼らが産業(とりわけ鉄道)を動かしていきます。

さらに、M&Aがさかんになり、20世紀初頭にはアメリカ産業の大半がトラスト(企業合同)の傘下に入ることとなります。ある意味、企業によって成り立っていたアメリカの緩い企業規制がM&Aを促した、とも考えられます。ロックフェラーのスタンダード・オイル・トラストもこのころです。もちろん反トラスト運動もありましたが、アメリカは州法が強いので、ニューヨーク州デラウェなどのタックス・ヘイブンもあらわれ結局は骨抜きとなりました。このあたりも、他国にはないアメリカの制度上の特色ですね。

アメリカ型「アングロサクソン・モデル」の終焉?とグローバリゼーション

アメリカ企業は二つの大戦によってますます繁栄(特に軍事企業や石油企業)しますが、1970年くらいから徐々に輝きを失っていきます。典型的なのがドル・ショックであり、ベトナム戦争や冷戦による米国経済の疲弊、日本やドイツの工業生産力向上などを背景として、ドルの価値が下落しました。ドル防衛のため1971年に、ニクソン大統領は一律10%の輸入課徴金設定とドルの金交換停止を柱とする緊急経済対策を発表しました。ここに小さな政府と、強大な株式会社によるアメリカ型アングロサクソン・モデルはその終焉をむかえました。

しかし、ここでもアングロサクソン・モデルはなんと生き残ります。終わりかけたアメリカ型アングロサクソン・モデルが、またしても形を変えて生き残ります。これがグローバリゼーションです。イギリスで滅びかけた「原始アングロサクソン・モデル」が、姿をかえてアメリカで生き延びたように、アメリカで滅びかけた「アメリカ型アングロサクソン・モデル」がなんとグローバリゼーション、「グローバル・アングロサクソン・モデル」として普及したのです。

まずイギリスでは、1979年にサッチャー政権がうまれると、アメリカ型の新自由主義的な「小さな政府」を志向した「規制緩和」と「民営化」が掲げられます。イギリスでの株式会社の誕生から4世紀近くたって、アメリカから逆輸入されたわけです。1992年までに国有事業の3分の2が民営化されました。

さらにこのイギリス型新自由主義を逆輸入する形で、アメリカでもカーターとレーガンが「規制緩和」と「民営化」に手を付けます。さらにこのレーガノミクスを模範としたのが小泉改革ですね。こうして、それまで国家で保護していた事業が、民間の「株式会社」となり、株価変動や商品価格の変動による「市場原理」の世界へと放り出されたわけです。

日本人は「グローバリゼーション」というとなんとなくポジティブな印象を持つ方が多いですが、見方を変えればアメリカ型アングロサクソン・モデルの変種でもあるわけです。ビーフシチューを真似て肉じゃがが誕生したように、変種が必ずしも悪いわけではないですが。

次回は、アメリカにおいて変質したアングロサクソン・モデルが生み出した3種の神器についてご説明したいと思います。「3種の神器」とは、現代人をも魅了してやまない「経済学」「ベストプラクティス主義」「アメリカンドリーム」のことです。さきほど「グローバリゼーション=ポジティブなイメージでとらえがち」だと述べましたが、この「3種の神器」による影響が強いのではないでしょうか。

次回、アメリカ型アングロサクソン・モデルとこれらの「3種の神器」がどう蜜月なのかを簡単に紹介したいと思います。

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