メコン河の開発をめぐる協力と対立

メコン河の開発をめぐる協力と対立
ー中国のダムと2010年メコン危機一
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メタデータ 目后吾:Japanese 出版者:明治大学大学院 公開日:2021-03-30 キーワード(Ja): キーワード(En): 作成者:陳,ヨウ旭 メールアドレス: 所属:
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政治経済学研究論集
第 8 号 2021.2
メコン河の開発をめぐる協力と対立
——中国のダムと2010年メコン危機——
Conflict and cooperation over the use of water resources in the
Mekong river
A case of 2010 Mekong crisis and China’s dams
博士後期課程政治学専攻2020年度入学
陳 ヨウ旭
CHEN Yaoxu
【論文要旨】
メコン河はアジアの給水塔と呼ばれる中国のチベット高原を水源とし,東南アジア大陸を縦断し
て南シナ海に注ぐ国際河川1である。近年,中国のメコン河開発(特にダムの建設)によって,流
域の上流に位置する中国と下流のラオス,タイ,カンボジアそしてベトナムの間にしばしば対立を
顕在化させている。
それでは上流の中国はなぜダムを作ったのか,また,ダムは中国と他の流域諸国との関係にどの
ような影響を与えたのか。本論文は従来の文献で指摘されている,国際レジーム論から考えたメコ
ン河における中国の協調の姿勢と,リアリズムの視点から考える中国のダムによる「上流における
非協力的な覇権国」としての批判,この2点の間に存在している「相互依存と相互対立」のギヤ
ップを埋めるためにメコン河流域の国際環境と中国国内の政治経済的要因から,ダムに関する係争
の解明を通じて考察する。
【キーワード】中国と東南アジア,メコン河,ダム建設,雲南省,2010年メコン危機
1国際河川(international river)という言葉は,「複数国の領土を貫通する河川」という地理上の概念として
使用されている場合と,「条約によって外国船の自由航行を承認されている河川」という国際法上の概念と
して使用されている場合があるが,本論文の中のすべての「国際河川」は前者の意味である。
研究論集委員会 受付日2020年9月25日 承認日2020年10月26日
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はじめに
「国際流域では,上流国が下流国に対して利水上の優位を保持しており,下流国が上流国による
不適切な水利用に抗議する,という形での係争が散見される」2との指摘がある。この点に関して
中国とメコン河(中国国内部分:「瀾漬江」,中国語発音:ランツァンジャン)下流域諸国3との関
係においても例外ではない。それらの係争は,特に:1990年代から本格的に上流の中国雲南省にお
いて建設が開始されたダム開発によるものが多い。
メコン河は中国のチベット高原の青海省に源を発し,チベット自治区と雲南省を経て延び延々南
下し,最後に南シナ海に注ぐ。流域は中国(青海省,チベット自治区,雲南省の順),ミャンマー,
ラオス,タイ,カンボジア,ベトナム6か国を含み,河全体の高低差は約5500 メ ートルで,年間
流出量は約475 x109立方メートルにも及び,流域面積はおよそ81万km2,長さは4880 kmで世
界第10位であり七面積,流長ともに世界有数の大河である(何,1995:1)。このメコン河は東
南アジア最大の国際流域である(MRC, 2003 :16)〇
チベット高原から南シナ海へ南北に流れるメコン河であるが,その流域は大きく 2つに峻別さ
れると認識されている(図1)。一方は中国とミャンマーを流れるメコン河上流域(upper Mekong
図1メコン河の上流と下流
出所:Margitta Minah (2014)
2中山幹康(2007)「国際流域での水の分配をめぐる係争と協調」,地学雑誌,116巻1号,46ページ。
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Basin)であり,他方は中国,ミャンマーより南の下流域(Lower Mekong Basin)である5。
メコン河における中国関与の姿勢をめぐっては,すでに新機能主義の中の地域統合論と国際レ
ジーム論6,そしてリアリストたちの中国に対する「ハイドロ ・へゲモン(hydro-hegemon)」7とし
ての批判や,コペンハーゲン学派の安全保障化理論(securitization theory)* 6 * 8 * 10などの国際システム
というマクロレベルから,様々な議論が展開されてきた。しかしながら,直接的に中国のダム建設
の動機,それらのダムよる中国の下流域諸国との関係の変遷の解明に関しては決して十分とは言え
ない。いくつかの先行研究は存在するが,中国国内経済の視点からの議論であり,分析は地方政府
(雲南省)レベルに留まるものが多い。例えば堀(1996)は水力エンジニアとして,「瀾St江の連
続ダムを三峡ダムと比較する際,もちろん瀾it江本流14箇のダム開発の総合効果のほうが大き
い。(中略)中国政府が瀾it江の本流開発をスタートさせた目的はただ一つ,水力の開発にあるわ
けである」9,と経済面からその理由を説明している。青山(2011)も,2000年に「西部大開発」
が正式に採択され,経済が立ち遅れた雲南省は省の経済を発展させる近道として,「瀾it江,金砂
江,怒江の3大河川が省内に『無駄に』流れ,開発可能な包蔵水力が全国の23.8%を占めながら
利用率が6%にすぎない水資源に期待を寄せた」叫 と省レベルから説明を行っている。要するに,
諸先行研究において中国のダムが下流域諸国に与えた社会的U及び生態系影響山,そして中国のメ
3後の第1章第1節が示すように,ミャンマーの国土はごく 一部しかメコン河流域に位置していないため,本
論文における「下流位置諸国」は主にラオス,タイ,カンボジアとベトナム4カ国を意味する。
4チベット高原におけるメコン河の水源の所在地に関する認識によって,諸先行研究が示したメコン河の長さ
については4200kmから4990kmまでばらっきがあり,河の流域面積もこれによって79万kmZから81万
km2までの差がある。本論文は,チベット高原における水源地の考察は中国の研究者にとって考察が最も便
利であると考えているため,雲南省地理研究所何(1995)に提示されている数値を基準にした。
5大西香世,中山幹健「国際河川流域管理における中国の役割ーメコン川流域を事例に」,大塚健司(編)『流
域ガバナンスー中国・日本の課題と国際協力の展望』,アジア経済研究所,2008年,111ページ。
6 メコン河委員会(Mekong River Commission,以下,MRC)や「拡大メコン流域開発計画」(Greater
Mekong Subregion,以下,GMS)などの流域組織の役割の解明を通じてメコン河の開発利用の問題を国際
レジーム論から論じた先行研究は膨大な数がある。例えば賀(2005), Danielle Tan (2014),星野(2017)
などの研究が挙げられる。そして小笠原(2003)や山影(2003),大塚(2005),盧(2016), N. Soavapa
(2018)たちはメコン地域の開発とASEANの経済統合をどのようにリンクさせるかという課題からメコン
河の情勢分析を行っている。
7リアリズムの立場から中国を最上流に位置する流域の覇権国として定義を下したのは,香川(2002)やS.
Biba (2016)などの研究がある。一方,このような視点を持つNGOや市民団体そしてジャーナリズムも目
立って見受けられる。詳しくは第1章第4を参照。
8世論と外交政策の関係について安全保障化の論者は,「オーディエンス・コスト(audience cost)」が高けれ
ば国際交渉をめぐる妥協が難しく,また自国のオーディエンス•コストの高さを故意的に相手に示すことで
妥協を回避しようとすると主張している。近年において,権威主義国家にもオーディエンス・コストが存在
すると論じる研究が多く現れた。メコン河における中国の関与を論じたもののうち,青山(2013)とS.
Biba (2018)のが典型である。
9堀博,『メコン河一開発と環境』古今書院,1996年,210-211ページ。
10青山瑠妙「世論•ナショナリズムと国際協調一怒江•瀾it江開発をめぐって」,趙宏偉•青山瑠妙•益尾知
佐子•三船恵美(編)『中国外交の世界戦略』,明石書店,2011年,128-129ページ。
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コン河流域関与姿勢の変遷13については,すでに工学的要因14や,雲南省地方政府止レベルからの
考察も含め,広く論じられてきた。一方,中国はなぜ下流諸国との協調をせずにダムを築いたの
か,この問題をメコン河流域システム上の要因を含め,中国国内の政治経済的要因の視点からダム
建設の目的と政治的影響の解明を目指した研究は,未だ見受けられないというのが現状である。
それでは上流国の中国はなぜ一方的にダムを作ったのか,またそれらのダムは中国といずれも
ASEAN加盟国である下流域諸国との関係にどのような影響を与えたのか。本論文はメコン河のユ
ニークな構造と流域における力の分布状態と,中国の周辺外交の中でますます重要になる国際河川
あるいは水資源というイシュー,この2点をリンクして考察していく。
論文の構成は以下のようになる。まず前半の第一章は,国際レベルからみたメコン河のパワー分
布の特徴を解明し,その後は中国国内の「西部大開発」戦略やエネルギー構造の転換と政治指導層
の目立つ工学出身から,中国はなぜメコン河上流にダムを作ったのかという問題を解明する。後半
の第二章では,近年において最も係争の激しかった2010年メコン危機を取り上げ,他の流域諸国
の中国に対する批判とその批判に対する中国の反応を紹介する。最後の結論部分では中国の周辺外
交という視点から今後のメコン河の情勢を展望する。
第一章 メコン河の上流における中国のダム建設
第1節 メコン河におけるカ分布一「流域覇権国」としての中国
国際河川の先行研究におけるリアリズムのアプローチによると,上流国は自分の利益を犠牲に
し,下流国に対して協調を取るインセンティブはほとんどない,という結論が導き出されるのがー
11中国のダム問題のプラス面の「副産物」と言えるのは,下流域諸国の社会から見えた環境問題に対する共通
の危機意識の醸成と市民団体の台頭である。この点については,渋谷淳一 (2015年)「メコン地域における
越境的な開発•環境問題と地域アイデンティティ」,『大原社会問題研究所雑誌』,No. 679を参考にした。
12 メコン河の開発利用の生態的影響を農業,漁業,遺跡保護などの視点から考察した研究は,メコン河委員会
(MRC)の年次報告書を参照されたい。メコン河委員会ホームページにおいて全文公開されている:http://
http://www.mrcmekong.org/publications/governance/annual-reports/. 2020/8/! アクセス。
13 メコン河における中国の動向は多くの先行研究やジャーナリズム,NGOなどによって単独行動主義である
と批判をされている。しかしながら,近年の中国の動向を詳細に見てみると,「必ずしも中国がユニラテラ
リズム(単独行動主義,筆者注)に走っていると思われない節が多く観察される」ということが,大西香世,
中山幹健「国際河川流域管理における中国の役割ーメコン川流域を事例にー」,大塚健司(編)『流域ガバナ
ンスー中国•日本の課題と国際協力の展望』,アジア経済研究所,2008年,p.11?から確認することができ
る。
14陳麗暉,何大明(2000年)「瀾it江一メコン河水力発電の階段的開発が生態系に与える影響(瀾漬江一公
河水電梯級開発的生態影響)」,地理学報,第55巻第5期,がこの点について詳しい。また,中国国内にお
いては雲南大学•アジア国際河川センター(中国語名:亜洲国際河流中心)が主に技術面からメコン河の利
水上の研究を行っている。
15中国雲南省から見たメコン地域への視点については,次の研究を参考にした:湯家麟,楊暁輝,張光平,于
暁剛「雲南とメコン地域諸国との経済協力」,石田正美(編)『メコン地域開発,残された東アジアのフロン
ティア』,アジア経済研究所,2005年,305-333ページ。
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図2 メコン河における各国の位置
南シナ海
弧内は各国の流域シェア率(筆者作成)
般である。例えば中東地域の国際河川を研究するM.R. πウィは著書の『水とパワー(Water and
Power)』において「流域の覇権国(dominant power)が優位な位置にある場合,その国は流域国
家間の協調に興味を示さないに決まっている」世としている。
本論文の研究対象であるメコン河流域においても,その事情は同様だという見解は多い(遠藤,
2004 ; Cronin R, 2009 ; Sebastian B, 2012 ; Carl M, 2016 など)〇 つまり,流域の覇権国であ
り,かつ最上流国の中国は下流域国との事前協議や共同開発に関心を持たず,時には下流域諸国の
利益を損なうという形で単独行動主義的に河を利用している。こうした傾向が特にジャーナリズム
やNGOによってよく指摘されている(BBC, 2007 ; Financial Times, 2010 ; AP, 2011,メコン
•ウォッチ,2014など)。しかしながら,実態に沿って言えば中国は,まさにメコン河流域の「天
然」の「ハイドロ ・へゲモン」(Hydro-Hegemony :流域覇権国家)であるといえる此。流域にお
ける位置とパワー迪及び開発能力19において,いずれも中国が圧倒的に優れている(表1)。
16 Lowi. M. R.(1995) Water and Power: the Politics of a scarce in the Jordan River Basin. Cambridge: Cambridge
University Press, pp.10.
17ハイドロ ・へゲモンの定義と同様に,流域における位置づけやパワーの分布から論じた先行研究としては,
ヨルダン河を研究対象とした NafF, Thomas and Matson, Ruth (1984). Water in the Middle East: Conflict or
Cooperation? Boulder, Colo. Westview•がある。本論文は全面的にNaff (1984)の研究を参照し,メコン河
について分析した。Ruthは著書の中で,流域国間の力関係を規定する要因を三点あげている:紛争または
協調に向かうためのモチベーション(interest),軍事力で現れる外的と水政策で現れる内的パワー(exter-
nalpower & internal power)と,流域における位置である。
18本論文はパワーの具体的な指標を1経済,2軍事力,3人口から構成されるものと定義する。
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表1中国と下流域諸国のパワー比較
GDP (10億ドル) 軍事費(百万ドル) 人口(百万人)
中国 14343 266449 1340
(雲南省) 270 / 46
ミャンマー 76 2030 54
タイ 544 6970 70
ラオス 18 23 7
カンボジア 27 593 16
ベトナム 262 5500 96
出所:ストックホルム国際平和研究所(2013-2019),世界銀行(2019),中国国家統計
局(2019)資料に基づき,筆者作成。GDP,軍事費,人口はそれぞれ10億ドル,
100万ドル,100万人単位で切り上げている。
つまり流域位置に関して最上流であるという地理的な位置づけに加え,経済力も軍事力も人口も
圧倒的に大きいことから,中国はメコン河の開発利用に関して生来的な優位性を有している。
また,メコン河流域はモンスーン地帯に位置しており,上流の中国が「流域覇権国」に走り,ダ
ムによって水の流量を恣意的に調整すれば,確かに下流域諸国は乾季に水不足に陥ったりするなど
の問題が懸念される0したがって,中国は完全に水資源のコントロール権を握っていると言える0
しかしながら,これはあくまでも流域の力分布から見た推論であり,中国の真の挙動を内面から深
く観察する必要がある。
第2節 中国のメコン河上流におけるダム建設
メコン河流域において中国は最上流国であるため,メコン河水資源の利用に恵まれている2〇。ま
た中国は流域の政治大国でもあり,総合的な国力は下流域諸国を大幅に上回っている。下流域諸国
は経済面では中国に期待をしながら,中国のメコン河開発による生態的•社会的影響には警戒もし
ている。彼らは特に中国が水を武器として,自らの政治的狙いの実現を図っているのではないか,
という「アジアにおける中国のモンロー主義」21のような批判も現れた。特に最下流に位置するベ
トナムからの批判が激しい22。
メコン河上流の中国国内部分に対する水資源の考察は実際に1950年代末から始まった(何,
19三峡ダムのような巨大ダムの建設の経験を持つ中国に河の開発を計画したり,実行したりそして運営したり
する能力が完備しているほどであると言える。
2〇業(2000)によると,メコン河上流域(雲南省以外のチベット自治区も含む)の理論包蔵水力は3200 kW
と推定されている。ちなみに,この数値をアメリカのTVA (Tennessee Valley Authority,テネシー渓谷開
発公舎)の13万kWのフォート・ロウドンダムと16万kWのケンタッキーダムと比べれば,100倍以上の
差があるのがわかる。
21 Nguyen Thi Dieu, The Mekong River and the Struggle for Indochina, Praeger, 1999, p227.
22屠酢(2016)『瀾漬江一メコン河水資源開発の中の協力と係争(1957-2016)』武漢大学,博士論文,172ペー
ジ。
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表2雲南省内における瀾;倉江ダム開発一覧表
ダム名 着工(年) 完成(年) 年間発生電量(億kW • h) 落差(m)
1功果橋(Gongguoqiao) 2007 2012 47 72
2 小湾(Xiaowan) 2002 2010 192 238
3 漫湾(Manwan) 1986 1995 77 93
4 大朝山(Dachaoshan) 1997 2003 69 76
5 襦寸L渡(Nuozhadu) 2002 2014 226 178
6 景洪(Jinghong) 2005 2009 76 60
7 橡檻壕(Ganlanba) 2012 2018 9 7
8 劫松(Mengsong)※ 34 24
合 計 730
出所:堀(1996),何(2000)を参考し,筆者作成。※劫松ダムは建設中止と決定。
2000)〇 当時の「中国水力•昆明エンジニア組合(Hydro-China Kunming Engineering Corpora-
tion) J は21個のダム建設予定地を選定した(N. Matthews, S. Motta, 2013)〇しかしながら,
「大躍進」と「文化大革命(文革)」などの政治的,経済的不安定要因を受けたことによって,全て
棚上げされた。1980年代初頭において,中国はメコン河上流に14個の連続ダム群建設を計画し,
さらに1980年代末にこれらのうちから8個を選定し,これらを「国家重点開発区」と「水力開発
基地」23と命名し,いよいよ本格的にダム建設を開始した(表2)。
現段階において,中国のメコン河上流に対する開発はすべて雲南省内に集中している。雲南省よ
りさらに北の上流域の開発も計画されていたが,未着工の状態である24。もし14個のダムを計画
通りに建設した場合,14個のダムの総設備容量は2211万kWになり,年間発生電力量は1095億
kWh になる(堀,1996 : 209-226)〇
第3節 中国はなぜダムを作ったのか
まず1つ目の理由は「西部大開発」戦略によって地域格差の縮小したことにある。中国は1979
年の「改革開放」政策を開始して以来,高い経済成長率を維持してきた。そして1992年に当時の
国家主席鄭小平が南方の沿岸部を視察し,さらに経済改革を深化させるとの指示を出した。いわゆ
る「南巡講話」の話である。その後の中国は経済の基本原理を市場経済に置きつつ,「社会主義市
場経済」を本格的に施行した。また中国が2001年に世界貿易機関(WT0)に加盟し,国際経済
の正式メンバーとなった。中国国内において,沿岸部の経済発展は成功を収めたが,雲南省を含む
南西部などの内陸部は発展から取り残され,沿岸部と内陸部の経済格差が拡大する一方であった。
23陳麗暉,何大明(2000)「瀾it江一メコン河水力発電の階段的開発が生態系に与える影響(瀾it江一洲公河
水電梯級開発的生態影響)」,地理学報,第55巻第5期,577ページ。
24屠(2016)によると,メコン河のチベット高原部分(雲南省の一部とチベット自治区)に対する開発は6個
のダムから構成される。2030年頃竣工する予定である。
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この問題を解消するために,2000年「西部大開発」戦略が打ち出された。開発戦略に様々なイン
フラストラクチャーのプロジェクトが含まれ,目玉となったのが,「西電東送」(南西地方と北西地
方の河川が発電した電力を沿岸部へ輸送する)プロジェクトと「南水北調」(水不足に陥る北部に
南部の河川の豊富な水を送る)プロジェクトであった25。「西電東送」プロジェクトは落差が激し
<.豊富な水資源を持つ南西部でのダム建設を一層加速させた。電力供給の目標には,沿岸部の急
速な電力需要の増加に対応するだけではなく,貴州省,雲南省,四川省などの南西部の経済発展の
促進もある。もちろんメコン河も開発の対象となった26。
これにより,中央政府の「西部大開発に乗じ,地方政府も,電力会社もダム開発を積極的に推進
することとなった」27。そこで,経済が立ち遅れている雲南省は「『雲電外送』(雲南で発電された
電力を他の省,タイなどの他の国家に輸送する)経済発展戦略を制定し,ダム開発業者と結託し
て,省の一大産業としてダム開発を積極的に推し進めようとした」28とされる。「西電東送」プロジ
ェクトは北部,中部,南部の3つルートからなっている(図3)。南部ルートに雲南省とメコン河
図3 「西電東送」プロジェクトの3つのルート
出所:M. Zeng, H. L. Li, M. J. Ma, 2013.
25この2点のプロジェクトの他に,「西気東送」(西部の天然ガスを東部沿岸地域に輸送する)プロジェクトと
「青蔵鉄路」(青海省ゴルムドとチベット自治区首府ラサを結ぶ高原鉄道)も看板プロジェクトとして認識さ
れている。
26「南水北調」は直接にメコン河と関係しないが,「西電東送」に含まれている。
27青山瑠妙「世論•ナショナリズムと国際協調一怒江•瀾it江開発をめぐって」,趙宏偉•青山瑠妙•益尾知
佐子•三船恵美(編)『中国外交の世界戦略』,明石書店,2011年,128ページ。
28青山,前掲書,129ページ。
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が含まれているのがわかる。このルートは雲南省,貴州省,広西自治区の水力発電を広東省に送電
するものである。
つまり,メコン河の中国国内部分におけるダム建設は中国の「西電東送」プロジェクトの一部で
あり,また雲南省も積極的にダム事業を梃子にし,省の経済を活性化しようとしたのである。ダム
は中央と地方両政府の意志を体現していると考えられる。
そして2番目の理由は中国のエネルギー構造の転換という狙いにある。中国では経済発展に伴
い,エネルギーや電力の需要が急増している。1980年から1999年にかけて発電量は4倍とな
り,中国は「西部大開発」を始めた当時,すでに発電量でアメリカに次ぎ,世界第2位となった
(張,2002 : 27-28)〇 一方,一次エネルギー生産の30%を示している電力生産(1996年)では,
石炭利用が76.1%を占めし,これは世界平均の37.5%を大きく上回っている(同上)。大量の石炭
仕様は大気汚染,酸性雨,地球温暖化の原因となるCO2の大量排出,水汚染などをもたらした。
ほかに,エネルギーの利用効率は低く,大量浪費ももちろん,汚染は経済発展や国民生活に多大の
障害をもたらしている。このため,膨張しつつある電力需要を賄い,また,「安全で効率に優れ,
環境に配慮できるエネルギー構造の構築が急務となっている」翌とされる。1999年5月29日に当
時の李鵬首相は新聞に「中国のエネルギー政策」を発表し,中国におけるエネルギー消費構造の問
題点を指摘するとともに,今後は石炭消費の体質から天然ガス,石油,水力といったエネルギー多
様化構造への転換政策を採るとした(人民日報,1997) 〇また,2000年に雲南省内の学者も「雲
南省におけるメコン河の水力はわずか5.8%しか開発されていない」と指摘している(何,2000 :
578)。
3番目の理由は当時の中国の政治指導層のうちに工学の専門家が目立ったことがある。2003年
から2013年の「胡錦濤=温家宝」体制から構成された指導層は,電力科,水利工程科,地質科な
どの専門分野で教育を受け,資源,エネルギーに関して豊富な知識を持つ人物たちばかりであった
(表3)。この表から当時の中国政治指導層に圧倒的に理工系出身者多いのがわかる。こうした学歴
が中国の対内改革戦略と対外経済戦略を影で支えている点は軽視すべきでないと考える。メコン河
のダム建設計画は彼らの任期内に立てられたのではないが,ほとんどのダムが彼らの任期内に遅延
や中止なしに竣工したのは間違いない。
世界において最も水が不足している国の一っとしての中国は,水の量が不足しているだけでな
< ,地理的分布も南部と北部の間に激しい不均衡がある。このような中国において,経済発展を維
持するために国際河川の国内部分に開発の手を出したのは合理的で,当然なことだと考えられる。
要するに,中国は水を意図的に制限し,ダムをメコン河下流域諸国と協議するときの武器として利
用しているではないか,中国は国際河川の利用に関する国際法が非常識ではないか,といった疑問
は中国国内要因を無視した偏った見解でしかない。
29張文青,「転換する中国のエネルギー政策」『立命館国際研究』2002年3月,14期4巻,67ページ。
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表3中国の政治指導者(2003〜2013)と専門分野
名前 職 種 最終学歴
胡錦濤 国家主席 清華大学水利工程科
曾慶紅 国家副出席 北京工学院自動制御科
温家宝 首相 北京大学地質学院地質構造科
買慶林 政治協商会議主席 河北工学院電力科
呉邦国 全人代常務 清華大学無線電子科
呉官正 中央規律検査委員会書紀 清華大学動力学部
李長春 中央政治局委員 ハルピン工科大学電気科
羅幹 党中央書紀処書紀 旧東ドイツ•ベルリン鉱山学院
出所:末廣昭•大泉啓一郎など(著)『中国の対外膨張と大メコン圏(GMS) • CLMV』東京
大学社会科学研究所,現代中国研究拠点研究シリーズNo.7, 2013年,75ページ。
第4節 ダム建設で批判を受けた中国
概して中国のダム建設が多くの批判を浴びた理由は,中国がメコン河の最上流国であり,その水
資源開発が下流国に様々な社会的•環境的影響を与え得るにもかかわらず,中国は「自国の問題」
として,下流国に告知せずに,一方的に水資源開発を進めてきたこととしてまとめられる(大西・
中山,2005 :112-115)〇さらに,「メコン河上流におけるダム群の巨大な貯水能力を鑑みると,下
流域諸国は中国が流量をコントロールし,強制的に自らの発展計画を承認させ,そして(中国の)
政治的目的の実現に利用する」3〇という中国の「水脅威論」の懸念の声も絶えなかった。上流にお
けるダム建設に関する下流域諸国への影響は不確定性が大きく ,判断はしにくい(何,2000 : 579)
と中国側が主張しているにも関わらず,洪水や早舷,そして漁業が不振になるたび,下流域諸国は
こぞってダム問題で中国を批判し始める。典型事例として,例えばメコン河と繋がる「メコンの心
臓」と呼ばれているカンボジア領内のトンレ・サップ湖では2003年に,獲れる魚の量が前年の半
分に落ち込んでいき,これは中国のダムのせいではないかと,漁業で生計を立てるカンボジア人の
不安が煽られた(Washiれgt(m Post 2004年12月30日)3】。原始社会から近代社会に転換しつつあ
るカンボジアの農村地方はメコン河の水量の変化に特に敏感になるからである。
また中国のダムに対し,メコン河最下流国のベトナムも特に懸念を示し,様々な公式の場で批判
を行っている。メコンデルタの範囲は一般的にカンボジアのクラティエ水文観測所から下流部の4
万9千平方キロメートルを包括するとされており,このうち約79%に当たる3.9万平方キロ メー
トルがベトナム領内のメコンデルタとされている(吉松•小泉,1996 :100-102) 30 31 32〇ベトナムの
30屠,前掲論文,174ページ。
31 同紙記事,Peter Goodman,¢*Manipulating the Mekong: China’s Push to Harness Storied River’s Power Puts
it at Odds with Nations Downstreamを参照。
32ベトナム領内の3.9万平方キロメートルのメコンデルタに対し,九州の面積は約4.2万平方キロメートル。
—70 —
国土面積を鑑みれば,つまり国土面積の約12%をメコンデルタが占めしている。メコンデルタは
「過去?千年間メコン河が運搬した土砂によって形成された平地で,ベトナム領内のMekong河よ
り西側ほぼ全域が対応する」33とされる。これをより直観的に言うと,ホーチミン市より南のべ卜
ナム領のほとんどはメコン河が運搬した土砂によって作られた地域であるという話で,つまり中国
のダムがもたらした水文上の変化がベトナムにとって最も深刻であり,これはベトナムにとって領
土主権の問題でもあるからだ。
この問題に対してさらに具体的に説明をすれば,まず環境保護関係者たちは,「中国のダムの建
設によって,産業公害が増加し,魚の回遊が阻害され,土壌を豊かにする砂や泥などの栄養物がダ
ムの貯水池に貯められることによって,ベトナムのメコンデルタへの悪影響は多大のものではない
か」と懸念している3%そしてカン•トー大学のVoTongXuanは次のように述べている。「メコ
ンからデルタに流れる水量は多いときで,毎秒4万立方メートルであるが,少ないときは2000立
方メートルしかないのである。メコンの上流でダムをもっと作れば,下流の農家のための水が減
る。さらに過去3年かの間に見られたことであるが,海水が今まで以上に内陸地に侵入してしま
う。••・ダムは水を巡る競争の激しさを増やすばかりだ」35とされている。ベトナム政府も,メコン
河上流のダムによって水量が減り,ベトナムの穀倉地帯であるメコンデルタが干し上がってしまう
のではないかと懸念している。特にメコンデルタが早賊に見舞われ,米の収穫が減るたび,このよ
うな批判が定番のニュースとして出るほどとなっている。例えば2016年4月の早舷が生じた際,
メコン河の水位が低下し,メコンデルタの約40万ヘクタール(ha)が内陸地に侵入してきた海水
に侵食され,さらに16.6万ヘクタール(ha)が不毛の地となった際,「メコン河は複雑なエコシス
テムであり,蛇口ではない」と,マスコミが中国のダムに対して批判を繰り広げた36。実際にこの
ようなダム問題による中国批判の例は枚挙にいとまがない。
ちなみにダム問題の他に,中国は1997年の国連総会における「国際河川の非航行使用に関する
条約」に対して反対票を投じたこと,メコン河委員会(MRC)の正式加盟国になってないことか
らも,批判を受けているが,物理的に実際に存在している巨大ダムは下流域諸国の中国に対する警
戒心を募らせ,いつも一番目立つ批判のターゲットとなっている。おそらく今後も,メコン河が災
害に遭う度,中国のダムが議論の中心として案に載せられるだろう。
33上原克人(2012)「ベトナム・ メコン河下流域における水位変動特性」『九州大学大学院総合理工学府報告』
第34巻第1号,8ページ。
34 Shawn W. Cripin, * *China is building dams on the Mekong, Leaving neighbors to worry over the down-
streamimpact”, Far Eastern Economic Review, October 12, 2000, pp. 22.
35 Liesbeth Sluiter, The Mekong Currency, Bangkok, 1992•日本語訳:メコン・ウォッチ『母なるメ コン,そ
の豊かさを蝕む開発』めこん,1999年,251ページ。
36 i’ran Van Minh & Stephen Wright, ¢”Chinese dams blamed for exacerbating Southeast Asian drought” AP,
April1.2016.
https: / / apnews.com / fc〇9a4fb9e894951850c9a8cel68ece5 / chinese-dams-blamed-exacerbating-southeast-
asian-drought 2020/7/6 アクセス。
—71—
第二章2010年メコン危機一中国が直面した批判と中国の反応
第1節2010年春メコン河下流の記録的に低かった水位及びその影響
2010年1月から4月にかけて,メコン河下流の水位は劇的に低下した37。MRCによると,メコ
ン河の水位は1993年の記録的な激減よりも低くなった(MRC 2010)。この状況は様々な消極的
な結果をもたらし,特にラオス,タイ,カンボジアとベトナム4力国のメコン河流域の住民の生
計に与える影響は大きかった。それらの影響を大まかに言うと,予想より遥かに少なくなった漁獲
量や灌漑農業への被害,そして現地住民の飲用水の不足や河川輸送(主には貿易と旅行)の中断と
して挙げられる(Middleton. 2011)〇1800万人超の人口が水不足に陥ったと報道された38 {Reut-
ers 2010)〇
当然の結果でもあるが,極端に低かった水位が徐々に地域全体の危機に変わり,その後激しい議
論がメコン地域で展開された。
実は中国のダムに対する批判が過激化したのと同時期に,中国と下流域諸国からの何人かの当事
者は客観的な立場から,2010年春の水危機の原因は気候変動に起因する降雨不足による早舷の長
期化であり,元凶は自然環境に帰することしかできないと説明している。例えば,とある雲南社会
科学院の学者は「どのような中国のダムが2010年の低水位に役割を果たしたことに関する批判で
も実情を持たない話だ」39と明白に強調した。タイのある元外交官は,メコン河水位の落ち込みの
原因は一体中国のダムのせいなのか,それともメコン河支流の流量の減少によるものなのか,とて
も判断しにくいと注意を喚起している4〇。彼は同時にタイ北部の森林伐採も水位落ち込みの原因の
一っとして挙げ,「実際に,タイは中国のダムが稼働して以来,以前よりもっと多くの水を受け取
ることができた」,「タイ北部の早賊は毎年発生しており,これも単に季節の一部なのだ」とS.
Biba. (2012)のインタビューに答えた。他に,MRCのあるカンボジア上級代表もこのタイの元
大使の話に同意している。すなわち,「2010年の危機は中国のダムに起因されたのではない」,そ
れは中国からの水はメコン河流量の全体の16%しか占めていないからである41。
これらの中国寄りの発言は言うまでもなく,多数とは言えず,特に活動家グループやNGOは中
国非難の「急先鋒」である(屠,2016)〇彼らは地方市民社会の代弁者と自認し,ダムで中国を批
37モンスーン地帯に位置するメコン河は5月中旬から10月頃の雨季に,東南モンスーンの影響によって流量
が増大し,12月から5月頃の乾季には降雨はほとんどなくなり,河の流量は減少する。
38 Ambika Ahuja, “China says dams not to blame for low Mekong levels,,, APRIL 5. 2010,
https: / / http://www.reuters.com / article / us-mekong / china-says-dams-not-to-blame-for-low-mekong-levels-idUS-
TRE6341A620100405. 2020/7/9 7クセス。
39 S. Biba (2018)前掲書,pp. 99.
40 S. Biba (2018)前掲書,pp. 99.
41 Sebastian Biba. China’s Continuous Dam-building on the Mekong River. Journal of Contemporary Asia. 2012.
pp. 608.
—72 —
判する最前線に立っていた。その中にとりわけセーブ・ザ・メコン連合(Save the Mekong Coali-
tion) は大きく活動を展開していた。セーブ・ザ・メコン連合には市民グループ,NGO,学者,ジ
ヤーナリスト,漁師,農民が含まれ,メコン河流域の一般市民と非メコン河流域国からの人々も参
加している。2010年メコン危機の時期において,複数の活動家の見解は繰り返し新聞記事に登場
したが,これに対して,セーブ・ザ・メコン連合も中国のダムによる低水位問題について自分の公
式見解を大きく発表した。
セーブ・ザ・ メコン連合の最初の声明は2010年3月14日に,つまり危機が発現してからしば
らく経った後に出されたのである。声明では「メコン河は今深刻な早賊に直面し,その影響は河沿
いの住民を含む広範な人口に及ぼす恐れもある」(セーブ・ザ・メコン連合,2010a)とされた42。
最も重要なのは声明において,早舷と上流の中国のダム,特に当時稼働したばかりの「小湾」
(Xiao Wan)ダムとの間に意図的な関連付けがなされたことである。その内容は,次のようである。
F2009年10月から中国は『小湾』ダムの貯水池を満たし始めた。•••(中略)…,下流域諸国の
市民社会が疑い深く,中国のダムが今の早職の一因となっているではないかと考えるのは特に不思
議ではない。1990年代初頭において,学界はすでに上流の中国のダム群がメコン河の水文に影響
を与え得ることに気づいた。…(中略)•••あれらの中国のダムは専門家間の協議や弁解,公開のデー
タや住民への補償などいっさい伴わずに,作られた。1992年に中国の最初の『漫湾』ダムが稼働
し始めた翌年の1993年にも早職が下流域で発生した。2番目に竣工した(大朝山:筆者注)ダム
が相応に2004年の早職をもたらした。そして2009年に三番目の『景洪』ダムが竣工した。今度
の四番目の(小湾:筆者注)ダムは今貯水を行っている。このダムの容量は前の3つのダムを全
部加えても,約5倍よりも大きいという。これらのダムが早期の早魅に与えた影響はいっさい解
明や知らせることなく,その代わりに,ずっと不明瞭のままであった」(セーブ・ザ・メコン連合,
2010b) 42 43〇
このように,この声明はセーブ・ザ・メコン連合のメコン河の低水位と上流における中国のダム
建設の間に一致があるという見解をはっきり示している。それからの数週間のうちに,セーブ・ザ

  • メコン連合は活発に活動し,早職が中国のダム建設に起因するという可能性を大きく知らせた。
    4月1日に,セーブ・ザ・ メコン連合が主催した「メコン流域を共有するための大衆フォーラム」
    (Public Forum on Sharing the Mekong Basin)では,市民社会と学界,メディアそして政府の当
    局者の約!90 Aがバンコクのチュラーロンコーン大学に集まった。議題は早舷と中国のダムの潜
    42 Save the Mekong Coalition (2010a) “Drought Brings Severe Hardship to River-side Communities Need for
    Regional Cooperation to Protect Mekong River,” Statement,14 March,
    http://www.savethemekong.org / admin _ controls /js/ tiny_mce / plugins / imagemanager / files / StMStatementl4.3.
    2020/6/21アクセス。
    43 Save the Mekong Coalition (2010b) “Agenda: Public Forum on Sharing the Mekong,”1 April,
    http://www.savethemekong.org/admin_con trols/js/tiny_mce/plugins/imagemanager/files/AgendaEng.pdf. 2020
    /6/21アクセス。
    —73 —
    在的役割であった(セーブ・ザ・メコン連合,2010) 〇フォーラム・レポートが示したのは,多く
    の参加者たちが改めて中国のダム建設を非難したことであった。例えばレポートでは,本部がアメ
    リカにあるNGOのタイ出身の活動家の「ダムは漁獲量や水棲動物数の減少,洪水と早職の不規律
    などの影響をもたらし,メコン河流域が深刻な脅威に面している。特に中国のダムが稼働して以
    来,河の振る舞いが不自然になった(The river had behaved unnaturally) Jという発言が引用さ
    れた(セーブ・ザ・ メコン連合,2010c)44。
    フォーラム開催の2日後の4月3日,セーブ・ザ・ メコン連合が組織した抗議運動がバンコク
    の中国大使館の前で行われ,中国総理宛の抗議の手紙も手渡された45。この抗議の手紙のタイトル
    は「メコン河本流のダムを止めよう:メコン河を自由にしてほしい!」(Stop Mekong Main-
    stream dams: Let the Mekong flow freely)である。手紙の最初の部分は以下のようである。
    「中華人民共和国のメコン河上流における4つのダムが稼働して以来,下流域の住民,即ちミヤ
    ンマー,ラオス,タイ,カンボジアでの住民は生態的,食料安全保障的,文化的,経済的として社
    会的衝撃に苦しんでいる。中華人民共和国はいつも下流域社会からの市民の請願書を無視している
    ……」(セーブ・ザ・ メコン連合,2010d)46。
    続いてこの手紙はメコン河における中国のダム建設の「不必要」(unnecessity)と「不公平」
    (unfairness)を指摘した。
    「私たち下流に住んでいる全員があなた達のダム開発による被害を受けている。しかしこれと同
    時に,あれらのダムが作った電力が中国の東部の工業地帯に送られ,利益もすべて『華能』47に取
    られた。•••(中略)•••これは中国政府が嬉々としてメコン河流域住民公共の水資源を奪い取って,
    そして少数の人のみに割り当てる存在を意味している」(同上)。
    2010年春のメコン危機は少なくとも2点においてユニークである。まず1つ目に,今回の広範
    囲における低水位と水位の低さはいずれも前例のない状況であった。このため,メコン河に依存し
    て生計を図る住民に対する打撃も空前の規模であった。そして2つ目に,中国のダム建設に対す
    る批判は2010年以前にも,そして2010年の後にも時折あったが,こんなに数多くの活動団体や
    NGO, メディアがこぞって中国のダムがメコン河の水位低下の元凶であると批判を繰り広げたの
    は初めてであった。それらの批判は,中国のダムを地域住民の暮らし,食料安全,経済基盤さらに
    は地域の文化やアイデンティティに対する直接的な脅威としてみなした。

44 Save the Mekong Coalition (2010c) “Public Forum on Sharing the Mekong,M Forum Report,1 April,
http://www.savethemekong.org/news_detail.php?nid = 97. 2020/6/21アクセス。
45 S. Biba (2018)前掲書,pp.102.
46 Save the Mekong Coalition (2010d) * Complaint on Impacts and Proposal about Dams on the Upper Mekong River in China,” Introduction Letter, 3 April, http://www.savethemekong.org / admin _ controls / / js / tiny _ mce / plugins / imagemanager / files / Letter- ToChina3410.pdf. 2020/6/21アクセス。 47全称,華能国際電力,中国の五大電力会社のうちの1つ。1994年に設立され,中国国務院によって運営さ れている。「華能」はメコン河のダムを含む発電施設の開発,運営,建設を行なっている。 —74 — 第2節中国の反応 第2節は中国の対応と中国のメコン河水資源政策について紹介する。中国の反応は,重複しな がらも4つのそれぞれ明確に区別できる時期に分類することができる。 <時期1>中国はもっぱら自国が深刻な早賊に直面していると強調する 2月4日にチャイナディリー (China Daily)が中国の南西部における早舷の深刻性を初めて報 じた。「(最近の)雲南省と広西チワン族自治区は50年に一度の早雑に臨み,現地の数多くの住民 と家畜は飲用水不足に陥っている」,そして,「現地政府はすでに早舷の非常警報(red alert)を発 表した」,さらに数値に関してこの記事は,「339万人は深刻な水危機に直面している。•••(中略) •••現地では今回の早賊に影響された田畑の面積はおよそ114万ヘクタールで,経済的直接損害は 36億元(5.2億ドル)を超えていると予想されている」と報じた48 (China Daily 2010a)o 3月I8日の記事のタイトルは「雨という奇跡を待っている」(Waiting for a miracle called rain) であった。この記事の中に「現地の政府はすでに1月から被害地において世帯ごとの飲用水をー 定量に制限することにした。しかし水不足はあまりにも深刻すぎのため,人々にとって顔を洗うこ とさえ問題となり,シャワーとなるともっと厳しい」と,被害を生々しく紹介した49 (China Dai- ly 2010c)〇 3月24日の記事のタイトルは「早職は(電)カ供給を止めた」(Drought paralyzes power supply)であった。記事はこう述べている。「雲南省の電力の7割は水力発電に依存してい るため,早賊は電力供給止められるほどであったJ48 49 50 China Daily (2010d)oそしてこの記事に 「5100万人が被害を受けている」,「経済的な直接の損害は190億元(28億ドル)に昇った」など の数値も含まれている(同上)。 このように時期1は,下流域からのダムに対する批判を報道せず,「中国は深刻な早魅に直面し ている」と,中国の国営メディアがこれを強調するばかりのものである。自己損失をもっぱらに強 調し,下流域諸国の状況を基本的に無視したわけである。しかしこれが全てではない。筆者は,ま ず流域の最上流に位置し,事実上の流域最強国でもあるため,中国は自分の国際河川の利用方式と 水政策に対して,敢えて議論したりや正当化をしたりする必要があると考えなかった可能性がある と指摘したい。つまり,中国は必ずしも自国のダムが,下流域における早賊の元凶であると考えら れていることを十分注意していなかったという点である。 48 1ヘクタールは1万平米である。China Daily (2010a) ‘Yunnan, Guangxi Reel from Severe Drought,” 4
February,
http://www.chinadaily.com.cn/cndy/2010-02/04/content_9424549.htm. 2020/7/11アクセス。
49 China Daily (2010a) “Waiting for a Miracle Called Rain,”18 March, http://www.chinadaily.com.cn/cndy/2010-03/18/content_9606455.htm. 2020/7/11アクセス。 50 China Daily (2010b) “Drought Paralyzes Power Supply,” 24 March,
http://www.chinadaily.com.cn/cndy/2010-03/24/content_9631854.htm. 2020/7/11アクセス。
—75 —
<時期2>中国は自分のダムに対する批判を拒否する
3月30日には中国の反応に急転換が現れた。中国メディアの報道内容は国内の被災状況のみか
ら,海外の中国のダムに対する批判を含めたものとなってきた。その内容は受けた批判に反論し,
下流域諸国への消極的な影響をいっさい否定するというものであった。当日の記事のタイトルは
「中国のメコン河上流の水資源利用は合理的だ」(China taps upper Mekong water resources
reasonably)であった。記事の中には中国外交部のスポークスマンの「我々は水資源の開発に対し
て責任のある態度を持った上,下流域諸国の関心を十分配慮しながら合理的そして持続可能な開発
利用を行っている」という発言が引用された51{China Daily 2010e)〇 3月31日に,前日の発言
が繰り返されながら,立場がさらに補強された。タイトルは「中国はダムがメコン下流域の早賊を
悪化させたことを否定する」(China denies dams worsen drought in Mekong basin)であった。
記事は下流域諸国の環境保護論者の中国のダムに対する批判に反発し,続けてダム関係者の話を引
用し,「ダムは雨季の水を蓄積して乾季の場合に水を放つ,水の流量管理に役に立つ」と述べた52
{China Daily 2010f)〇 China Dailyは4月1日と3日にも早賊について議論し,「ダムの開発は百
年以上の歴史がある」,「中国国内河川におけるダムは治水に有効である」,「ダムの貯水池が水資源
をハイジャックしたという言い方は正しくない」(not right to say reservoirs have “hijacked”
water resources),「中国のダムが利用した水の量はメコン河流量全体の3%にすぎない」などの中
国側の専門家の発言が紹介された53。
4月4, 5日にタイのHua HinにおいてMRCが主催したサミットが開催され,中国もダイアロ
グ・パートナーとして参加した。中国の外交部長補佐の胡とタイの中国大使館の陳参事官が出席
し,彼らは早<による被害を数値で示した上,「低い降雨量に起因する早賊によって被害を受けた のは下流域諸国のみならず,中国の雲南省や四川省も大きな被害を受けた」,「北京と地方政府は今 度の早舷を特に重視し,またメコン河における中国と隣国との友好関係と相互利益にも用心深く注 意を払っている」,「中国はいつもメコン河流域諸国と友好関係にあり,メコン河の発展を中国は強 く願っている」,「我々の関係に争いを作るのはありえないことで,一緒に今回の難関を乗り越える べき」と,呼びかけた54 {Bangkok Post 2010b)〇 51 China Daily (2010c) “China Taps Upper Mekong Water Resources Reasonably/* 30 March, http://www.chinadaily.com.cn/cndy/2010-03/30/content_9664522.htm. 2020/7/15 アクセス。 52 China Daily (2010d) “China Denies Dams Worsen Drought in Mekong Basin,” 31 March, http://www.chinadaily.com.cn/cndy/2010-03/31/content_9664697.htm. 2020/7/15 アクセス。 53 China Daily (2010e) ‘”Reservoirs Not Cause of Drought,M 1 April, http://www.chinadaily.com.cn/cndy/2010-04/01 /content_9671835.htm. 2020/7/15 アクセス。 54 Bangkok Post (2010a) “China Denies Hogging Mekong River Water, Drought, Not Dams, to Blame, Says Counsellor/J 12 March, http://www.savethemekong.org/news_detial.phpPnid =103. 2020/7/15 アクセス。 —76 — <時期3>中国は風評被害の管理に向かい始めた
時期3は時系列的に時期1と2と重なる部分もあるが,個別の特徴がある。その特徴は,中国
はメコン河の水の利用問題に関して以前のどの時期よりも協力的な姿勢を示したことにあり,具体
的内容は3つに分けられる。
1つ目は,中国は自国の水資源政策に対する非難に反撃しょうとして,下流域諸国のMRC代表
を対象に中国国内のダムの見学に誘った。3月15 ^(DAsia Times Online (2010)は,「批判に対
する反応として,中国は下流域諸国のMRC代表を対象に,今月末に『景洪』ダムの見学要請を出
した。この要請は多国間主義的で透明度の高い協同として見なされ,好意的であると考えられ
る」55。これ以前にMRCが中国のダムの視察を許可されることは一度もなかったからである。
2つ目は,中国は今回の早賊が収束するまで上流の2つのダムの水文情報を下流域諸国に提供す
ると承諾した。その具体的な内容は3月25日のBangkok Post(D記事に報道された。「中国は最近
MRCとコンタクトを取り,『喜んで2つのダムの水文情報を提供する』と述べた」,具体的な内容
は,「毎週月曜日朝九時に,この一週間の水位,水の流量と降雨量の情報提供」であり「提供は今
回の危機が終わるまで」とされた56。事実上このようなデータは3月22日から5月17日にかけ
て,中国が毎週提供していた57 (MRC 2010) 〇この情報提供はなぜ重要かというと,2002年から
中国は自国内の雨季におけるダムの水文情報を提供し始めていたが,今回は初めて乾季の水文情報
提供を開始したからである。中国は以前より水文情報,特に乾季のものを国家機密として管理して
いたため,今回の情報提供は画期的だと言える。
3つ目は前述した4月4, 5日にかけてMRCが主催したサミットに中国が空前の高階級の訪問団
を派遣したことである。今回のサミットでは中国の副外交部長が率いるチームが最高の注目を浴び
た。中国政府はこれ以前,メコン河の水問題に関して公的に自国の意見を主張したことがなかった
からである。
<時期4>中国は将来の非難再燃の予防に向かう
公式レベルに関して,中国は今回のメコン河の水危機が収束するまでMRCとの協力を増大し
た。例えば,正式メンバーではない中国はMRC事務局に数人のスタッフを派遣した。一回目の派
遣は2011年の3月から6月まで,情報管理プログラム,特に洪水の対応について共同作業を行っ
55 Asia Times Online (2010) “When the Mekong Runs Cry,”15 March,
http://www.atimes.com/atimes/Southeast_Asia/LC15AeO 1.html.2020/7/18 アクセス。
56 Bangkok Post (2010b) “China to Provide Water Data on Dams,” 25 March,
http://www.savethemekong.org/news_detial.phpPnid =113. 2020/7/18 アクセス。
57 Mekong River Commission (MRC) (2010) “China Ready to Share Date on Mekong Water Levels Ahead of
Regional River Summit,” News Release, 26 March,
http: / / http://www.mrcmekong.org / news-and-events / news / china-ready-to-share-data-on-mekong-water-levels-a-
head-of-regional-river-summit/. 2020/7/18 アクセス。
—77 —
た。そして二回目は水力発電の安定化計画に参加し,2011年7月から9月にかけて作業を一緒に
行った(MRC 2011:7)〇災害管理に関しても中国は交流の拡大を図った。この拡大計画に実地
のワークショップや訓練,そして水文情報提供の深化などが含まれている。具体的には2010年5
月のMRC第8回フォーラムへの参加や,2010年6月の洪水対処と災害緩和(Flood Control and
Disaster Mitigation)を議題とした国際トレーニング・プログラム(International Training Pro-
gram) への参加,そしてメコン河下流域諸国のMRC代表を長江沿いの武漢市で開催された洪水
予報(Flood Forecasting)を議題とした国際トレーニング・プログラム(International Training
Program)への参加の要請などが挙げられる58 (MRC 2011:6-7,10)〇データ共有の面では,メ
コン河上流中国国内の両ダムの設備がアップグレードされ,今後は15分間隔でラオス首都ビエン
チャンにあるMRC本部に上流の水文情報を自動的に発送することになる59 (MRC 2011:29) 〇
そして中国はMRCとの関係をも強化しようとしていた。例えばMRC事務局のスタッフは2010
年6月に北京に誘われ,外交部(外務省),水利部(水資源省),国家能源部(国家エネルギー省)
などの部署の責任者と一緒に将来の協力について会議を行った6〇 (MRC 2010 : 98)〇
公式レベルでMRCを通じて下流域諸国と関係を強化しようとしたこと以外に,中国は特に3つ
のNGOと関係強化をした。
1つ目は1980年代の中国に進駐した初めての国際的NGO,世界自然保護基金(Worldwide
Fund for Nature, WWF)である。2つ目はメコン河の水ガバナンスを向上し,現地住民の生活改
善と生態系の保全を目指す地域レベルNGOのMekong-Power (M-Power)である。そして3つ
目は貧困削減と水の最適化利用を目標とする国際農業研究協議グループ(CGIAR)のメコン地域
支部のChallenge Program on Water and Food (CPWF)である。2010年のメコン危機が収束し
た後,中国は会談,ワークショップそして研修旅行などのイベントを通じてこの3つのNGOと関
係を強化した成。
以上,第2節では中国がメコン河下流域からの自国のダムに対する批判に臨んでいたときの対
応を互いに重ねながら,4つの時期に分けて論じた。それは非難を無視する時期と,公にそれを拒
否する時期と,風評を管理して透明性を高める時期と,協調を強化する時期であったとまとめるこ
58 MRC (2011)”Report of the 16th Dialogue Meeting between the Mekong River Commission and the
People’s Republic of China and the Union of Myanmar 29 August 2011 Vientiane, Laos”.
http:// http://www.mrcmekong.org/ assets / Publications / governance / 16th-DialogueMeeting-report-full.pdf #search
=”MRC + report + of + the + 16th + dialogue\ 2020/7/18 アクセス。
59 MRC (2011)前掲レポート,pp. 29.
60 MRC (2010) “Report of the 15th Dialogue Meeting between the Mekong River Commission and the
People’s Republic of China and the Union of Myanmar 25 August 2010 Phnom Penh, Cambodia”.
http:// http://www.mrcmekong.org/ assets / Publications / governance / 15th-DialogueMeeting-report-full.pdf #search
=”MRC + report + of + the + 15th + dialogue\ 2020/7/19 アクセス。
61イベント内容について,Sebastian Biba (2018)が詳しい:Chinas Hydro-Politics in the Mekong. Routledge.
London. 2018. pp. 149~152.
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とができる。
2010年春のメコン危機の際の中国の反応をもう一度概観してみると,中国の態度の変遷は時系
列的に4つの時期に分けられ,漸進的でありながらもいかにして協力的になってきたのかがわか
った。そして中国の主張の中で最も肝要で,終始一貫した2つの不変的な主張も見逃すことはで
きない。1つは,水位の低下は自然の早舷によるものであること,もう1つは,危機の悪化に中国
のダムはなんの影響も与えない,ということである。要するに,自国のダム建設を安全保障上の問
題に転化しようとした行為,言い換えれば,メコン河の水危機に対する中国の反応を「安全保障化」
(securitize)しようとした行為によって,中国はこれらの全てを拒絶し,疑いの余地を残さなかっ
た。総じて,故意的にダムの問題で中国と下流域諸国を「私たち」と「彼ら」に分ける企みは,メ
コン地域における中国の経済利益と中国のイメージ向上の努力と反するものであるため,中国はよ
り良い危機対策の作出に力を入れるはずだろう。
本論文は中国とメコン河下流域諸国の関係が係争と協力の併存であるという状態を,2010年春
のメコン危機を通じて示した。特に今回の水危機は中国がどういう状況にあり,どの状況であれば
自ら進んで協力を図ろうとするのかというのも示された。その答えは,国内の経済発展のために不
可欠な「睦隣友好」(隣国と仲良くして友好的である)関係は,中国の周辺外交にとって何よりも
重要な課題であるため,中国に対するイメージや評判が悪化された局面であれば,中国は協力と協
調を自ら図るということである。この指摘は将来的に類似した状況が起きた場合,中国の行動の予
測に役に立つだろう。
おわりに一中国の対メコン河政策
長い間,中国の周辺外交は国家を相手にして交渉が行われてきたため,市民社会やNGOなどの
非国家主体の影響力を十分重視していなかった。現地の市民社会の重視,恐らくこれは2010年の
メコン危機が中国に与えた最も大きな教訓である。
2010年のメコン危機に関してダム建設に詳しい雲南大学の研究者は,「(中国の:筆者注)ダム
が(下流域諸国にとって:筆者注)『とても感情的なイシュー』(very emotional issue)であり,
(彼らの:筆者注)『心理的な要因』(psychological factors)が深く関わっている」と述べた62。言
い換えると,中国の立場から見ればこの研究者の発言には,自国のダムは客観的な評価を得ず,単
に災害が起きた時,下流域諸国の市民社会や環境NGOなどの団体の八つ当たりの絶好の的となっ
たではないか,という見解がよく表れている。しかしながらタイの大学の研究者は下流域の立場か
ら,「危機は中国に自国を『慈悲深い兄貴』(big benevolent brother)として演じさせるいいチャ
ンスを与え,『私たちがいる,私たちが(あなた達を危機から一筆者注)救えるからだ』(we are
there, we can help) Jと,主張した63。つまり下流域諸国から見れば,今回のメコン危機は中国に
62 Sebastian Biba, Chinas Hydro-Politics in the Mekong. Routledge. London. 2018. pp.162.
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とって自己アピールのチャンスでもあるというのである。研究者たちの完全に異なる個人的な見解
であるが,この2つの典型的な主張を踏まえ,2010年の危機に関して,我々は中国のメコン河に
対する政策をどう認識したら良いなのか。そして中国が自国のダムが批判を受けた時の対応を見れ
ば,メコン河のような国際河川に対して中国の関与姿勢はどのようなものなのか,さらに,今回の
事例が示したものに基づき,次に水危機が来るのであれば,中国の対策をどう予測することができ
るのか,とった問題意識が思い浮かぶ。
本論文が示したように,中国のメコン河流域諸国との関係は,中国のほとんどの隣国関係の水資
源イシューと同じく,「対立と協力」が両方含まれている。2010年のメコン危機は単にこの構造を
再強調し,さらにその正確性を強化しただけである。実際に,中国はメコン河の最上流国であり,
一番有利な地理的な位置を独占している。そして中国もまた,実質的な流域最強国である。国際政
治学の中のリアリズム理論によると,この2つの特徴の組み合わせは往々にして「上流における
非協力的な覇権国」の存在を意味している(第1章第1節参照)。しかし2010年のメコン危機に
おける「対立と協力」のバランスは前例がなく,明らかに「協力」側に傾注していた。特に中国は
短時間で乾季の水文情報を提供し,MRC代表のダム見学を招待したなどの事実は,中国のダム建
設に関する透明性を空前のレベルに上げた。ところで,下流域諸国の中国の措置に対する評価は依
然二分している。タイや欧米の研究者たちは中国の協力的な姿勢に対して「(非協力的なものから
—筆者注)大きく変わった」(big changes),「とても積極的に発展した」(very positive develop-
ment) との評価を下したが,現地の活動団体やNGOは相変わらず「2010年のメコン危機は中国
とMRC間の持続可能な協力を生み出さなかった」と酷評し,ベトナムの研究者も「北京政府の態
度に実質的な変化はない」(no substantial changes in Beijing’s attitude)と不評をしている64。し
かしこれ以上ダム問題で中国を批判するのは合理的な行為とは言えなくなるだろう。今後,メコン
河の水利用の問題に関して,むしろ下流位置諸国間の認識の統合が喫緊の課題であり,市民団体,
NGO対現地政府,既得利益者の間の認識の不一致の問題が顕在化してくることが紛争の焦点とな
ろう。
大まかに言うと,1979年「改革開放」以来の中国の全体的な外交政策目標は相対的に安定し,
長く保たれた(青山,2013)。具体的にメコンの例から見れば,2010年のメコン危機以前も,そ
れ以降においても,「『国家領土と主権の完整』,経済発展の維持と国際的地位の向上」(閻学通,
2014)を梃子とし,周辺に関与し続けるのである。その後の2014年に中国の対外政策は「諾光養
晦」から「奮発有為」65 (勇んで事をなす)への大転換を成し遂げたが,中国の公式的なレトリッ
クはグローバル・レベルでもリージョナル・レベルにおいても依然として「国家の長期的平和¢®起
63 S. Biba (2018)同上,pp.162.
64 S. Biba (2018)同上,pp. 163.
65新京報,「中国外交主基調,奮発有為」(中国外交の基本方針,奮発有為),人民網,2014年05月25日。
http://opinion.people.com.cn/n/2014/0525/cl003-25061247.html. 2020/7/22 アクセス。
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と発展の堅持」66である(中国国務院•2017) 〇そうした中で,中国政府は「メコン流域と東南ア
ジアを含む周辺地域とのウィンーウィンの関係を促進し,『睦隣友好』(隣国と仲良くして友好的で
あり)政策を引き続き擁護する」ことも提唱している(同上)。言い換えれば,中国は持続的な経
済発展と自国のイメージ向上を目指すために安定したメコン地域を望んでいるのである。
従来の領土争いの問題に加え,冷戦終結後の中国外交にとって,海洋主権,「民族分裂勢力」と
の戦い,水資源あるいは国際河川の開発,そしてエネルギー確保などの問題が新しい安全保障上の
課題として浮上してきた。そして中国と周辺国との関係において,特に海洋主権の問題と水資源利
用の問題がそれぞれ伝統的安全保障分野と非伝統的安全保障分野において重要性を増してきた。確
かに世界中,水を巡る戦争は多くないが,中国にとって水を巡る紛争は決して珍しくない。このた
め,持続的な経済発展を追求しつつある中国にとっての不可欠な安定した「周辺環境」という要素
を鑑みれば,今後もメコン河流域において,上流の中国の水資源の利用と開発が下流域諸国の非伝
統的安全保障問題,農業,漁業そして自然環境などに与えうる影響が中国批判の材料にならないよ
うに,単なる関与ではなく,中国の譲歩とより協調的な姿勢が求められると考えられる。
66新華社,「中国のアジア太平洋安保協力政策白書」(中国的亜太安全合作政策白皮書),2017年01月11日。
http://www.xinhuanet.com/live/2017-01/ll/c_129441764.htm. 2020/7/22 アクセス。
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