統計データを駆使したナイチンゲール!
https://www.stat.go.jp/library/pdf/minigougai02.pdf






『奥積 雅彦(総務省統計研究研修所教官)
1 ナイチンゲールと統計1
ナイチンゲール(1820~1910)は、「近代統計学の父」といわれるアドルフ・ケトレー(1796
~1874)を信奉し、数学や統計に強い興味を持ち、優秀な家庭教師について勉強したといわれています。
ナイチンゲールは、イギリスの看護師で、クリミア戦争(1853〜1856)に従軍して傷病兵
を献身的に看護し、イギリスに帰国後、近代看護の確立や看護師の社会的地位の向上に貢献
しました。ナイチンゲールは、クリミア戦争に従軍したとき、戦傷病者の多くは医療制度が
不十分なために死亡していく実態を体験し、戦争が終結してロンドンに戻った後、この戦争
での経験を基にして、陸軍の医療衛生制度の改革、さらにはイギリス市民の医療衛生制度の
改革に取り組みました。統計データによって社会現象が予測し得ると考えたナイチンゲー
ルは、医療衛生について多くの統計データを示しながら改革を求めていったのです。2
具体的には、野戦病院における患者の入院時の症状と推移、病床の配置、病室の環境など
の詳細データを統計学的な手法を用いて整理し、野戦病院での死者の数は、戦死よりも、衛
生状態の悪い病院での伝染病による死亡が多いことが一目で分かるグラフを作成し、衛生
状態の改善を上層部に訴求しました。これが奏功し、野戦病院の衛生状態の改善が図られ、
その結果、死亡率の劇的な低減につながりました。3
1【写真】、【ダイヤグラム】、【参考資料】:国立国会図書館インターネット資料収集保存事業(WARP)によ
り保存された 2020 年 5 月 16 日現在の「統計学習の指導のために(先生向け)」(ナイチンゲールと統計)
及び 2018 年 6 月 1 日現在の統計学習サイト「なるほど統計学園高等部」(統計年表>ナイチンゲール)
2【参考資料】:国立国会図書館インターネット資料収集保存事業(WARP)により保存された 2018 年6
月1日現在の統計学習サイト「なるほど統計学園高等部」(統計年表)
3【参考資料】:木下親郎「ナイチンゲールの円グラフ」
http://wattandedison.com/CK26_2010_06-15.pdf
○死亡原因のダイヤグラム(鶏のトサカ)
左:1855 年4月~翌年3月、右:1854 年4月~翌年3月
2-1 日清・日露戦争の頃、日本にナイチンゲールのような人がいたら・・・
日清・日露戦争の頃は、まだ脚気の原因(ビタミンB1 欠乏)が解明されておらず、深刻
な問題でした。海軍と陸軍の脚気対策4は明暗を分けることとなりました。島村史郎元総理
府統計局長は、その著書「欧米統計史群像」において「日本でもし、1人のナイチンゲール
がいたならば、おそらく数十万人に達する兵士たちの生命が救われたであろう。」としてお
り、確かに、当時の日本にナイチンゲールのような人がいたら、統計データを駆使して、必
要な対策が講じられ、脚気に負けることはなかったかもしれません。
○明暗を分けた海軍と陸軍の脚気対策
脚気の原因 対策 備考
海軍 (海軍軍医)
高木兼寛 栄養欠陥説
(脚気が欧米では見られないこと
から食事が関係しているのではと
考え、海軍の練習艦「筑波」の兵士
の食事を変えるなどの比較実験の
結果、脚気は兵食改良により効果
があると考えた)
兵食改良
(米麦混食など)
2-2参照
(兵食改良により、脚
気の発生に予防効果)
陸軍 (陸軍軍医総監)
石黒忠悳
(軍医部長)
森鴎外ほか
細菌説(細菌感染による伝染病説)、ドイツ学派
(栄養欠陥説は、非科学的で信ず
るに足らないと主張)
特に対策を講じ
なかった
(白米食を維持)
2-3参照
なお、高木兼寛と森鴎外の「脚気論争」については、永井良三「統計思想と日本の文化」
(講演録)5によれば、「統計はメカニズムを実証するのではなく、仮説を創出する学術であ
り、その仮説によって因果も説明できることがある。鴎外は「統計から因果は論じることは
できない」という統計学の限界に厳密だったゆえに、説明仮説まで否定したことが悲劇を生
んだ。」、「鴎外は・・・、「説明仮説」の効用にまで思い至らなかったと考えるのが適切と思わ
れる。」としています。
2-2 日清・日露戦争における海軍の脚気の患者数、死亡者数
内田正夫「日清・日露戦争と脚気」に日清・日露戦争における海軍の脚気の患者数などの
データがコンパクトに紹介されていますので、以下に引用します
海軍はもともと兵員数が陸軍より1ケタ少ない。そのことを考慮に入れても、日清戦争
における海軍の脚気患者は 34 名、死亡者ゼロであったことは注目に値する。日露戦争で
も、脚気患者 87 名、死亡者3名にすぎなかった。海軍省医務局発表のこの数値には他病
に分類されたもののある疑いもあるが、それにしても、いずれの戦争においても陸軍とは
対照的に、ほぼ完璧な予防成果を収めていたのである。
4【参考資料】:
・慈恵大学HP(建学の精神)http://www.jikei.ac.jp/jikei/history_2.html
・内田正夫「日清・日露戦争と脚気」
https://www.wako.ac.jp/_static/page/university/images/_tz0716.b5706d4ad276df8bb8ffc5ce8c311f69.
pdf#search=%27%E6%97%A5%E9%9C%B2%E6%88%A6%E4%BA%89+%E8%84%9A%E6%B0%97
%27
・川田志明「銃弾よりも多くの命を奪った脚気心」https://www.jhf.or.jp/publish/bunko/21.html
5 https://www.jst.go.jp/ristex/public/pdf/55_nagai2017.4.pdf
2-3 日清・日露戦争における陸軍の脚気の患者数、死亡者数
前掲の「日清・日露戦争と脚気」に日清・日露戦争における陸軍の脚気の患者数などのデ
ータがコンパクトに紹介されていますので、以下に引用します。
(日清戦争)
日清戦争・・・における脚気被害は、陸軍省医務局の公式記録『明治二十七八年役陸軍衛生事
蹟』(1907)でさえ、「我軍ノ脚気患数ハ総計4万 1431 名…全入院患者ノ約4分ノ1」を占
め、「銃砲創1ニ付キ実ニ 11.23」、戦死者 977 人に対して脚気による死亡者は 4064 人、「古今
東西ノ戦役記録中殆ト其ノ類例ヲ見サル」と書かざるをえない惨状であった(数字は算用数字
に改めた)。もちろんコレラや赤痢など致死率の高い感染症の患者も少なくはなかった。しか
しそれにも増して脚気の患者数は群を抜いて高く、そのうえ約 10%という高い致死率から見
て、上の患者数には軽症者が除外されていると推定される。動員総数約 20 万の日清戦争にお
いて、(公式に認定された者だけで)兵員の約2割が脚気患者だったのである。
(日露戦争)
陸軍省医務局の公式記録である『明治三十七八年戦役陸軍衛生史』(1924)では、脚気の統
計すべてが、「軍事上ノ関係ニ因リ」という理由によって比例値で表され、実数が分からない
からである)。そうではあるが、多くの論著が依拠する史料(『医海時報』1908 年 10 月)によ
るならば、全傷病者 35 万 2700 余人中、脚気患者は内輪にみて 21 万 1600 余人、他病に算入
されているとみられるものを含めて推定すれば少なくとも 25 万人に達する。戦病死者3万
7200 余人中脚気による死亡者 2 万 7800 余人(約 75%)であった。死亡者が2万 7800 人とい
うことは、通常の致死率から逆算すれば患者数は 30 万人を超えていたとみてよいだろう。
日
露戦争の参戦総兵員約 108 万 8000 人、屍の山を築いたといわれる旅順戦などを含めて戦闘に
よる死者総数約4万 6400 人という数字と比較するとき、脚気の犠牲がいかに大きなものであ
ったかがわかる。
【参考】明治二十七八年役陸軍衛生事蹟. 第3 伝染病及脚気 下
資料:国立国会図書館デジタルコレクション
3 おわりに
ナイチンゲールは、陸軍の衛生状態等に関する調査委員会の報告書(1858)において、前
掲の死亡原因のダイヤグラム(鶏のトサカ)ではなく、中心からの距離を半径としてプロッ
トすることにより作成した死亡原因のダイヤグラム(レーダーチャート)6を掲載していま
すが、その構造上、内側(負傷によるもの)よりも外側(伝染病によるもの)の面積が誇張
される面はあるものの、上層部への説得のため見せ方を工夫したことも奏功したのかも知
れません。
いずれにしても、客観的な統計データをベースに現実を直視した上での対策を講じるこ
との重要性を改めて認識しました。
【あとがき】
今、ナイチンゲールは、新型コロナウイルス(COVID ー 19)によるパンデミックに立ち向
かっている世界各国の医療関係者を国境に関係なく見守っているように思います。そして、
統計データを駆使して病院の衛生面の改革等を実行したナイチンゲールのDNAを引き継
いだ世界中の医療関係者が、最前線で全力を尽くしていることに感謝したいと思います。
6 https://wellcomecollection.org/works/xa6cwpmx/items (レーダーチャート:651 コマ)
(651 コマの JPG 画像)
https://iiif.wellcomecollection.org/image/b2130869x_0651.jp』