ひげ剃りの習慣はいつから? 知られざる盛衰の歴史

ひげ剃りの習慣はいつから? 知られざる盛衰の歴史
ナショナル ジオグラフィック
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC11ADQ0R10C24A1000000/

 ※ 「ひげ剃り」の習慣が、アレクサンダー大王にまで遡るものだとは、知らんかったよ…。

『2024年1月22日 5:00

アレクサンドロス大王の戦場での意外な決断が、その後数百年にわたり、男性のひげに影響を及ぼした。(PHOTOGRAPH BY BRIDGEMAN IMAGES)

2000年以上前、アジアでの戦いを目前にしたマケドニア王アレクサンドロス3世(アレクサンドロス大王)は、自分の軍隊の規模が敵の5分の1以下であることに気づいた。そこで王は、兵士の不安を和らげるため、ひげを剃るよう命令を出した。長いひげは、戦いの際に敵につかまれやすいからというのが、その理由だった。

結局、アレクサンドロス大王の軍はこの戦いで予想外の勝利を収めた。これをきっかけとして、古代ギリシャとローマの男性の間でひげ剃りが流行し、その傾向は400年も続いたと、米オハイオ州にあるライト州立大学の名誉講師で『ヒゲの文化史:男性性/男らしさのシンボルはいかにして生まれたか』(ミネルヴァ書房)の著者である歴史家のクリストファー・オールドストーン・ムーア氏は言う。

3000年以上前に、青銅または銅合金で作られたひげ剃りの道具。紀元前1500年頃のエジプトの書記官ネフェルカウェトの墓から見つかった。(PHOTOGRAPH BY THE METROPOLITAN MUSEUM OF ART, ROGERS FUND, 1935)

1930年代半ばに、同じ墓から見つかったカミソリ。ネフェルカウェトの父アメンエムハトのもので、同様の素材で作られている。(PHOTOGRAPH BY THE METROPOLITAN MUSEUM OF ART, ROGERS FUND, 1935)

ひげの流行は、古来より盛衰を繰り返してきた。それとともに、ひげを剃った顔や、きれいに整えられた口ひげなど特定のひげのスタイルが持つ社会的意義も変化してきた。

歴史書や学術論文によれば、男性のひげは芸術から政治まで幅広い分野で存在感を発揮し、果ては裁判沙汰にまで発展したこともあったという。そうした文献のほとんどは欧米社会に焦点を当てたものだが、世界中の社会や宗教において、ひげは重要な意味を持ってきた。例えば、イスラム教やユダヤ教では、ひげを生やすことは敬虔(けいけん)さの象徴とされている。

ひげを剃る行為は、古くはシュメール文明や古代エジプト文明にまでさかのぼることができる。当時の人々は、銅や青銅で作ったカミソリを使っていた。しかし一般的には、ほとんどの男性がひげを生やしていたうえ、ひげ剃りは大変な作業で、時には危険なことと考えられていた。

とはいえ、今も昔も「面倒だからひげを剃らない」わけではなく、「ファッションに敏感な男性は、わざわざ床屋でひげを整えてもらったり、オイルやコーム(くし)などの道具をそろえたりしていました」とオールドストーン・ムーア氏は言う。

ひげの威厳

ひげは、男らしさや家父長的な権力と結びつけられることが多いが、その権力は必ずしも男性によって独占されていたわけではない。女性ファラオとしてエジプトを20年以上統治したハトシェプスト(紀元前1508〜1458年頃)は、付けひげをつけていた。それ以前のエジプトのファラオたちが、かつらや王冠、付けひげなどで飾り立てていたため、ハトシェプストは単にその習慣に倣っただけだろうとオールドストーン・ムーア氏は考えている。
後の時代になると、ひげの重要性はさらに増す。歴史家のウィル・フィッシャー氏は、2001年に学術誌「Renaissance Quarterly」に論文を発表し、シェイクスピアが4本の戯曲を除くすべての作品でひげに言及していたと指摘した。また、1500年代から1600年代に描かれた300点のヨーロッパ男性の肖像画を分析したところ、ひげのない肖像画1点に対してひげのある肖像画が10点という割合だったという。

ひげは不衛生か?

男性のひげ問題は、医学書でも取り上げられた。ルネサンス期の医師は、ひげが生えることは精液の生産に関係していると書いている。古代ギリシャの科学者たちも、男性が女性よりも体が大きく、力があり、毛深いのは「内在熱(生得熱)」なるもののせいだという誤った説を信じていた。それによると、男性も女性もこの内在熱を発して精液を作り出しているが、女性の体は大量の精液を扱えないのだという。

この考え方に従えば、男性の体だけがひげを生やしても生き残ることができるとオールドストーン・ムーア氏は言う。古代ギリシャ人は、閉経後の女性がひげを生やし、病気になり、やがて死亡した場合、それは体内に精液が異常に蓄積した結果であり、ひげが生えてくるのは、その症状の表れだと考えていた。

加えて、ドイツの女子修道院長だったヒルデガルト・フォン・ビンゲンは、1160年頃、ひげが口の周りだけに生えて、額などには生えないのは、男性の吐く息が温かいためだという説を唱えた。そして、女性の息が男性ほど高温ではない原因を、旧約聖書の天地創造と結びつけて、男性が「土」から創られ、女性は男性のあばら骨から創られたためだと説明した。

1700年代になると、ひげ剃りは身だしなみの一つとされ、きれいに剃られた顔は立派で紳士的だと考えられるようになった。

19世紀には、細菌学におけるルイ・パスツールの功績によって、ひげを剃ることに医学的根拠が加わり、ひげの中は微生物の温床だと医師たちが警告するようになった。

実際、あるフランスの科学者は1907年に、ひげの男性とキスをした女性の唇から結核菌やジフテリア菌のほか、食べ物のカス、そしてクモの足の毛までもが発見されたという実験結果を発表した。同時期に医学誌「Lancet」に掲載された論文は、ひげのない男性の方がひげのある男性よりも風邪をひきにくいと結論づけ、ひげがない方がせっけんの効果が高いのだろうと主張した(実際には、よく手入れされたひげはそれほど汚くはない)。

職場におけるひげ問題

1900年代初期になると、職場でもひげを規制する動きが広がり、プロフェッショナリズムと清潔さを示すために男性はひげを剃ることが義務づけられた。そんななか、1904年にキング・C・ジレットが米国で安全カミソリの特許を取得し、1937年にはシェービングクリームやひげ剃り道具の売り上げが米国だけで推定8000万ドルになったという。

その米国では、ひげ論争が裁判にまで発展したことがある。警官の顎(あご)ひげの長さは襟(えり)よりも上までとし、口ひげは唇を覆わないように整えなければならないというニューヨーク州サフォーク郡の規則に反対し、警察官らが郡を相手に裁判を起こしたのだ。

しかし、1976年に連邦最高裁判所は訴えを退け、労働者のひげの規則は雇用主が決められるという判決を出した。規則を定めることで一般市民が警官を見分けやすくなり、警官の結束も高まるという郡の主張が認められた形となった。その後、この前例は全米に広がり、学校職員やそのほかの職場でも取り入れられるようになった。

それから十数年たった1992年にも、マサチューセッツ州の警官が、ひげを禁じた州の規則に反対して裁判を起こしたものの、やはり敗訴した。

しかしここ最近は、欧米でひげに対する見方が変化し、少なくとも非公式には、厳しい規則を課す雇用主は減ってきている。

「ジェンダーや男性らしさといったことが議論されるようになると、ひげなどが流行する傾向にあります」と、英エクセター大学の歴史学者であるエイラン・ウィジー氏は言う。「今は、ジェンダーや体の概念を取り巻く様々な議論や課題があるので、最近のひげのトレンドはそれを反映している部分もあるのでしょう」

文=DINA FINE MARON/訳=荒井ハンナ(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2024年1月3日公開)』