中国、8月発表の公式地図でロシア領の一部を中国領に ウクライナ侵攻長期化で足元見られた?(2023年9月27日)

中国、8月発表の公式地図でロシア領の一部を中国領に ウクライナ侵攻長期化で足元見られた?
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『2023年9月27日 16時00分

中国政府が8月に公表した公式地図で、2004年にロシア領として両国が合意したハバロフスク近郊の大ウスリー島(中国名・黒瞎子島)東側を中国領と表記した。中国との関係維持を重視するロシア政府は平静を装うが、極東のロシア住民は中国への警戒を強めている。(ブラゴベシチェンスクで、小柳悠志、写真も)

◆2004年画定の国境線を無視、ロシア側は静観

 プーチン大統領は04年、それまで実効支配していた大ウスリー島西側などを中国に引き渡すことを決め、係争が続いていた土地を2等分して国境を画定することで胡錦濤国家主席(当時)と合意した。08年の議定書で中ロの国境はすべて画定している。

 しかし今年8月末、中国自然資源省が公表した公式地図で、大ウスリー島の全域が中国の国境線の内側に記されている。中国のアプリ「百度地図」でも同島全域が中国領となっている。

 公式地図を巡っては、インドやフィリピン、ベトナムも係争地が中国領と記されたとして反発している。一方、地図でロシア領が欠けていることを記者団に問われたロシア外務省報道官は「国境問題は解決済み」と静観する構えだ。ウクライナに侵攻して米欧との対立が強まる中、中国との関係を優先したとみられる。

◆歴史的な国境紛争地、住民は中国に不信感

 しかし周辺地域の住民は中国への不信感を隠さない。沿海地方に住む女性は「中国は奪われた土地をいつか取り返すつもりではないか。プーチン(大統領)は中国にすり寄るが、われわれ市民は中国と仲良くできない」と話す。

 アムール川周辺は両国の争いが絶えなかった地域だ。アムール州都ブラゴベシチェンスクにある歴史博物館には中ロ国境問題を引き起こした愛琿条約(1858年)を描いた絵がある。帝政ロシアの総督が肩をそびやかし、弁髪の清国役人が平伏する。

ロシア・ブラゴベシチェンスクの歴史博物館で3月、帝政ロシアの東シベリア総督(左)と清国役人による愛琿条約締結を描いた展示

 19世紀の清は、アヘン戦争やアロー戦争で英仏に敗れて衰退するさなか。ロシアは愛琿条約と2年後の北京条約で、アムール川左岸と太平洋に面した沿海地方を得た。さらにロシア領西域の農民を移住させ「脱清国化」を進めた。

 博物館職員が「中ロには不幸な過去があった」と語るように、その後も両国の小競り合いが続いた。1900年にはブラゴベシチェンスクでロシア当局が中国系住民を虐殺した。ソ連時代の69年には国境紛争「ダマンスキー(珍宝)島事件」で双方の計100人以上が死んだとされる。

◆ロシアの政治学者「中国は次の手に出る」

 ウクライナ侵攻以降、中ロ関係は中国優位に大きく傾き、ロシアの専門家らは今回の地図から中国の野望を読み取る。政治学者ドミトリー・ジュラウレフ氏はロシア紙「論拠と事実」に、侵攻の長期化で「ロシア軍の存在感が落ち、足元をみられた」と指摘。「中国はロシアの出方をうかがい地図で先例を作った。地図問題で沈黙すれば、中国は次の手に出る」と訴えた。

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