何か、本格的に民主主義は終わったと感じたアメリカ大統領候補者TV討論会

何か、本格的に民主主義は終わったと感じたアメリカ大統領候補者TV討論会
http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/34526767.html

『討論が成立していない討論会が、大統領候補者同士という場で出てくるとは、思いませんでした。バイデン大統領については、高齢な為に認知症が出ているとか、執務能力が無いとか、まぁ批判が出ていたわけですが、この討論会で、それが中傷ではなく、マジである事が白日の元に晒されました。以前から、ポリコレ勢力の傀儡で、担がれているだけの神輿という見方はあったのですが、討論している最中に、今、何が討論の主題になっているか、更には自分が何を話しているのか、発言の最中に見失い、トランプ候補が、哀れみにも見える表情で、自分が持ちかけた討論を途中で打ち切るという、会話が成立しない場面が、度々みられるという、想像を超えるTV討論会でした。

CNNが主催し、バイデン大統領側の数々の要求、観客をスタジオに入れない、休憩時間を設ける、相手の発言中に、自身の意思でマイクオフにできる環境の設定など、全てを整えてもらい、失言が出ても被害が最小限に抑えられるように配慮の上、バイデン大統領は、討論会の直前に1週間の休暇を過ごして、休息も十分だったはずでした。しかし、そんなものは何の役にも立たないくらい、開始10分でバイデン大統領の挙動がオカシクなりだし、討論自体の成立が危ぶまれる事態になりました。

前回の討論会は、個人的なスキャンダル狙いの人格攻撃・誹謗中傷合戦になって、「史上最悪の討論会」と言われていたのですが、今回は、その上です。討論が成立しないという、おおよそ国家の首長を決める討論会とは思えないレベルが見られました。バイデン大統領は、討論で話しているうちに、発言の主題を自分で見失い、関係が不明な話題にジャンプしたり、明らかに短気な感情の起伏(目をひん剥いて、ホラー映画感がでるくらい)に情緒が不安定でした。それは、対峙したトランプ候補が、自分が持ち掛けた主題を、途中で打ち切るくらいカオスな討論になりました。バイデン大統領の返答の意味が取れないからです。

ここまで、酷いと、もう大統領という役職が代表する民主主義というものは、錆びついて、背後にいる政治団体の体の良い傀儡なのだなぁと感じます。そして、その中でも感じたのは、ポリコレ勢力にとって、実際に起きている現実は、どうでも良くて、思想こそが全てに優先するんだなぁという事です。討論の中で、不法移民の問題を扱い、トランプ候補がテキサス州で起きた、ベネズエラの不法移民による12歳のアメリカ国民の少女に対する強姦・殺人事件を例に出し、問題提起したわけです。というのは、この犯人の不法入国は当局に認知されていて、足首にGPSを取り付けられて、釈放されていたのですね。つまり、「この人物は自由にさせて問題無い」と行政が判断したわけです。その3ヶ月後に、この殺人事件を起こしています。

しかし、これに対するバイデン大統領の返答が凄いです。「ここで、問題なのは、多くの若い女性が義理の両親にレイプされているという事だ。配偶者、兄弟姉妹に。ばかげている」でした。つまり、問いかけに対する答えに、なっていないどころか、ポリコレが大好きな家父長制の弊害に問題をすり替えているんですね。実際にアメリカ全国で増加している、「不法移民」による犯罪の増加より、概念的な問題が優先すると考えているから、こういう話しが出てきます。つまり、「政治家が、現実の問題より思想的な問題が優先するので、放置で良い」と素で考えているという事です。そして、何より驚愕するのは、それを口にするタイミングが、まったく会話と噛み合っておらず、それすら認識できない人物が、アメリカの大統領という事です。恐らく、討論の主題の方向性だけ認識して、普段の演説でスローガンにしている家父長制問題を、オウム返しに返しただけと思われます。つまり、トランプ候補の問いかけの何が争点なのかすら認識できないのです。

まぁ、誰かを悪人にする事で、タラレバを語るのは、やるべきではありませんが、バイデン政権に代わってから、アフガニスタン撤退の失敗から始まって、世界中の武力紛争が一気に噴出したのは、「バイデンが大統領のうちに、行動すれば、アメリカは何もできない」と思われたのが原因ではないかと本気で思います。プーチン氏が、ウクライナに侵攻する前から、既に戦勝気分で、勝利宣言の演説原稿まで用意して、3日で首都のキエフを陥落させるつもりでいたのも、単に奢りというより、「アメリカの大統領がバイデンだから」という要因が大きかったのではないでしょうか。初手のアフガニスタンからの、これ以上ない無様な撤退劇を見て、武装蜂起を企む世界中の野心家が、「ヤレル」と思ったとしても、不思議ではないです。』