アジア覆う「準戦時」の気流 ゼレンスキー氏が警告

アジア覆う「準戦時」の気流 ゼレンスキー氏が警告
本社コメンテーター 秋田浩之
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD0337W0T00C24A6000000/

『2024年6月4日 10:00

ロシアのウクライナ侵略や中東・ガザでの紛争が乱気流としてインド太平洋にも流れ込み、不安をかき立てる――。シンガポールで2日まで開かれたアジア安全保障会議(シャングリラ会合)は、地政学的な危機感にあふれていた。

シャングリラ会合には例年、米国やインド太平洋の国防相や軍幹部らが集まる。このため従来は、域内の安全保障問題に議論の大半が費やされてきた。米中の対立がその代表格だ。

ところが今年は様子がちが…

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『ところが今年は様子がちがった。ロシアの侵略は出口が見えず、パレスチナ自治区ガザでは、イスラエルとイスラム組織ハマスとの紛争が続く。会合ではこれらの問題が繰り返し議論され、アジアへの影響を危惧する声があがった。

シャングリラ会合で記者会見に臨むウクライナのゼレンスキー大統領(2日、シンガポール)=ロイター

いちばん象徴的なのが、ウクライナのゼレンスキー大統領が初めて対面で参加したことだ。欧州の「準戦時」状態がアジアにもたらす影響を重視し、主催者が招いた。

ゼレンスキー氏が強調したのは、ウクライナ情勢が中国問題でもあるという点だ。「中国のロシア支援によって戦争が長引いてしまう。世界全体にとって悪いことだ」。ゼレンスキー氏は2日の記者会見で、ロシアに軍民転用品を流す中国を批判した。

中国、ゼレンスキー氏との会談に応じず

6月中旬には、ウクライナ和平を議論する「平和サミット」がスイスで開かれる。ゼレンスキー氏は会見で、同サミットを妨害しようとするロシアの工作に、中国も協力していると指摘した。

外交筋によると、ゼレンスキー氏はこうした懸念を伝えるため、シンガポールに滞在していた董軍・中国国防相に会談を申し入れたが、応じてもらえなかった。

中ロ枢軸の深まりはウクライナだけでなく、アジアの安定も損なう。たとえば台湾有事に際し、ロシアが軍事的に中国を側面支援する恐れがある、と米安保当局者は警戒する。ロシアは実際、台湾問題で一段と中国寄りの立場をとるようになってきた。

もう一つ、シャングリラ会合で浮かび上がったのは、中東紛争もインド太平洋の安保に影を落としつつあるという点だ。イスラム教徒が多いインドネシアやマレーシアなどでは、ハマスとの紛争でイスラエル寄りの立場をとる米国への反感が強まっている。

ガザ紛争が米国離れ促す

そんな事情を映すように、インドネシアの国防相は演説でイスラエルとハマスの早期停戦を要求。マレーシアの国防相は「大量虐殺行為」という表現を使い、イスラエルが直ちに攻撃をやめるよう訴えた。

両国とも南シナ海の要所に位置しており、インドネシアは20カ国・地域(G20)の主要メンバーでもある。米中対立が深まるなか、ガザ紛争がこのまま長引けば、イスラム人口が多いアジア諸国を中心に、米国離れが進みかねない。

パレスチナ自治区ガザ北部ジャバリヤで、イスラエル軍の攻撃で破壊された建物の中を歩く人(5月31日)=AP

世論の地殻変動は現実のものになりつつある。ISEASユソフ・イシャク研究所(シンガポール)が1〜2月に東南アジアの識者らを対象に実施した調査では、米中のどちらかを選択しなければならない場合、「米国」を選ぶとの答えが半数を割り込んだ。「中国」を選ぶとの回答はマレーシア、インドネシアでは7割台に達した。

マレーシア戦略国際問題研究所のシャリマン・ロックマン所長は、こう指摘する。「ガザ問題は、東南アジア全域で米国の評判に大きな汚点を残した。反米意識の高まりはイスラム教徒の多い国々で最も顕著だが、アジアの非イスラム社会にも影響が広がり始めている」 

腫れ物のトランプリスク

こうした火種を封じ込め、アジアが安定を保っていけるか、決定的な重みを持つのが11月の米大統領選の結果だ。

シャングリラ会合に登壇した要人らは、まるで腫れ物に触るのを避けるように「トランプリスク」の話題を避けた。しかし、コーヒーブレークの会話では、トランプ前大統領が勝った場合、アジアにもたらされる影響を心配する声が相次いだ。

トランプ前大統領の再選はアジアでも懸案だ(5月31日、米ニューヨークでの記者会見)=ロイター

トランプ氏が大統領に復活すれば、日米や米韓、米豪といった同盟関係が揺らぐ恐れがある。そうなれば、中国や北朝鮮がより強硬に振る舞う余地が生まれてしまう。

一方、外交はディール(取引)だと割り切るトランプ氏は危ない米中合意を交わし、アジアの安全保障を危険にさらす恐れがある。たとえば台湾支援を減らす代わりに、通商問題で中国から大きな見返りを取りつけるといった具合だ。

シンガポール外交の重鎮、ビラハリ・カウシカン元外務次官は語る。「米中関係についていえば、バイデン政権は前政権の通商政策を踏襲しており、トランプ政権が復活したとしても大きな変動はないだろう。懸念されるのは、トランプ氏が米国の伝統的な台湾政策を変更し、米中の緊張が高まるというシナリオだ」

今日のウクライナは、明日の東アジアかもしれない――。岸田文雄首相が繰り返すように、準戦時の霧がアジアを覆いつつある。地域の平和を保つには、日米韓豪といった同盟の基盤をさらに固めることが最低条件になる。

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秋田 浩之
長年、外交・安全保障を取材してきた。東京を拠点に北京とワシントンの駐在経験も。国際情勢の分析、論評コラムなどで2018年度ボーン・上田記念国際記者賞。著書に「暗流 米中日外交三国志」「乱流 米中日安全保障三国志」。

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