プーチン氏の危うい文明論 ナショナリズム暴走へ命令書

プーチン氏の危うい文明論 ナショナリズム暴走へ命令書
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD1392V0T10C24A5000000/

『2024年5月17日 5:00

ロシアのプーチン大統領が7日、異例の長期に及ぶ通算5期目をスタートさせた。その翌日には、新たな治政の行方を示す大統領令にひっそりと署名した。ロシアの危うい文明論を国策に組み込み、ウクライナ侵略を招いたナショナリズムの暴走に拍車をかけかねない命令書だ。

歴史プロパガンダを強化

大統領令は「歴史教化分野におけるロシア連邦の国家政策の基本」と題した。大統領府のホームページには署名の事実だけ短く掲載され…

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『キーワードは「ロシア世界」

この大統領令の危うさを知るためのキーワードは「ロシア世界」だ。歴史や宗教、言語、諸民族、文化、自然、国家体制などロシアを形成する様々なものを時空を超えて包含する概念であり、西欧文明のようにひとつの文明とみなす。

「ロシア世界」という用語はすでに23年にロシア外務省の「対外政策概念」に盛り込まれていた。「ロシアを中核とする文明」を意味し、外交的影響力を広げるために利用した。一方、今回の大統領令では歴史教化という主に内政上の目的を掲げた。

この用語を初めて公に使った国家指導者は恐らくプーチン氏だ。01年10月の保守派の会合で「『ロシア世界』という概念は大昔からロシアの地理的境界を大きく越え、ロシアの人種の境界さえも遠く越えてきた」と主張した。』

『07年には基金「ロシア世界」を創設した。当時の目的は主に、旧ソ連圏などでのロシア語の発展や普及に限定された。それが14年にウクライナで起きた親欧米派による政変や米欧との対立の深まりを境に、意味合いが大きく変わってきた。

「ロシア世界」を守る――。プーチン政権を強く支持する保守派が、民族主義的なスローガンとして利用するようになった。米欧の政治的・軍事的圧力からだけでなく、文化的影響力からロシアの文明を守るという。』

『ウクライナ侵略を正当化

さらに危険なのは、保守派やプーチン政権がウクライナも「ロシア世界の一部だ」(ペスコフ大統領報道官)とみなしたことだ。ロシア人とウクライナ人が「1つの民」と公言するプーチン氏の意向が働いている。』

『「ロシア世界」の「ロシア」に当たるロシア語は、東スラブの古名を表す「ルーシ」でもある。つまり、同じ東スラブのウクライナとベラルーシも含む。従って「ロシア世界」を守るためにウクライナへの侵略も正当化できると論理が飛躍する。

当然ながらウクライナはこの用語に「帝国主義的行動のイデオロギー」を読み取り、反発した。バイデン米大統領も22年10月、プーチン氏が「ロシア語を話す人々すべてを統一するロシアの指導者」になろうとしているとして鋭く批判した。』

『ロシア正教会との結びつきも

「ロシア世界」という概念にはもう一つ、重要な特性がある。ロシア正教会との結びつきだ。ロシア正教会トップのキリル総主教は14年9月、「ロシア世界はキーウの(洗礼を執り行うための)洗礼盤から始まった」と発言した。

「ルーシ」がキリスト教を受容したのが988年。ルーシが正教の国になった時、一つの文明として歩み出したとみなす。「ロシア世界」の中心には正教があり、「ロシア世界」を守ることは正教を守護することだという狂信的な主張につながった。』

『「ロシア語とわが多民族文化により統合された文明国家ロシア」。プーチン氏は7日、モスクワのクレムリンでの就任演説でこう強調した。続いて、同じクレムリン内にある聖堂でキリル総主教から祝福を受けた。

「この偉大な祖国に長く見事に奉仕するためのすべてをあなたはお持ちです」。キリル総主教はこう語り、正教国家を守護する皇帝(ツァーリ)の歴史的な使命を、正教徒であることを国民に誇示するプーチン氏にも託した。

2000年に大統領に就き、いまや終身の国家元首も視野に入れたプーチン氏。「ロシア世界」の歴史教化は、今後の統治でナショナリズムを一段と扇動する布石だ。それはロシア社会のさらなる締め付けと、米欧との衝突激化を不可避にする。』