自由からの逃走 新版 単行本 – 1952/1/1
https://www.amazon.co.jp/%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E9%80%83%E8%B5%B0-%E6%96%B0%E7%89%88-%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%A0/dp/4488006515
※ 今日は、こんな所で…。

『現代の「自由」の問題は、機械主義社会や全体主義の圧力によって、個人の自由がおびやかされるというばかりでなく、人々がそこから逃れたくなる呪縛となりうる点にあるという斬新な観点で自由を解明した、必読の名著。』
『 商品の説明
商品説明
『自由からの逃走』はドイツ生まれの社会心理学者エーリッヒ・フロムによって1941年に発表された。フロムはヒトラーの全体主義に世界が震撼するその最中に、この作品を世に送り出した。このことは本書が単なる研究者向けの論文ではなく、ナチに追われてアメリカに帰化した著者自身の「時代の狂気に対する叫び」でもあったことを物語っている。
本書はナチズムに傾いていくドイツ国民とそれを先導した独裁者の心理状態を詳細に説明し、人々に「なぜ」を明らかにしている点で非常に興味深い。あの狂気を生んだ悲劇の根源は、「自由」という人類に与えられた恩恵であった。その分析に触れるとき、読者は、本書が今もなお警鐘を鳴らし続けていることに気づくだろう。
自由であることの痛烈な孤独と責任の重さを受け止め、真に人間性の実現といえる自由を希求することなくしては、人類にとって望ましい社会は生まれない。フロムは問う。幸福を追求するために選んだ自由が果たして「本当の自由」といえるだろうか。「選ばされた自由」にごまかされてはいないか。気づかぬうちに他者に対する加害者となっている自分を許してはいないか。
フロムは、個人が生きるその社会の姿を理解することなしに、自由に生きることなどありえないと語る。本書は、国家のあり方という問題に対してだけではなく、現代に生きる個人がその人生を充足させるためにはどう生きるべきかという問題に対する重要なヒントとなっている。(齋藤佐奈美)
著者について
1900年、ドイツのフランクフルトに生まる。ハイデルベルク、フランクフルトの大学で社会学、心理学を専攻し、1925年以後は精神分析学にも携わり、精神分析的方法を社会現象に適用する新フロイト主義の立場に立ち、社会心理学界に重要な位置を占めた。ナチに追われてアメリカに帰化し、メキシコ大学などの教授を歴任。1980年没。』
『馬渕毅彦
5つ星のうち5.0 「~への自由」を実現する小さな共同体
2018年3月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
『自由からの逃走』は、ご存知ドイツの社会心理学者エーリッヒ・フロム(1900-1980)の代表作。近代人にとっての「自由」の意味を分析するともに、それによってファシズムの心理的起源を明らかにしようとしたもので、論旨は次のように整理される。
▶自由は近代人に独立と合理性を与えたが、一方個人を孤独におとしいれ、そのため個人を不安な無力なものにした。この孤独は耐えがたいものである。かれは自由の重荷からのがれて新しい依存と従属を求めるか、あるいは人間の独自性と個性とにもとづいた積極的な自由の完全な実現に進むかの二者択一に迫られる。
▶すなわち近代人は、個人に安定を与えると同時にかれを束縛していた前個人的社会の絆からは自由になった(消極的な自由/~からの自由)が、個人的自我の実現、すなわち個人の知的な、感情的な、また感覚的な諸能力の表現という積極的な意味における自由(積極的な自由/~への自由)は、まだ獲得していない。
「消極的な自由(~からの自由)」に関する分析はさすが、原書刊行(1941)から70年以上を経た今日でも高い説得力をもつ優れたものと感心した。
が、ならば「積極的な自由(~への自由)」はどうすれば実現できるのか、という問題に関しては、残念ながら明解な答えは示されていない。
フロムは、本書は自由の意味を心理的に分析することを目的とするもので、「経済的問題を取り扱うことや、未来に対する経済的プランをえがくことは本書の目的ではない」としながらも、「しかし私は、解答が存在すると思われる方向について、いささかの疑問も残したくない」との主旨で、その「方向性」を次のように示す。
▶デモクラシーの未来は、個人主義の実現にかかっている。今日の文化的政治的危機は、個人主義が多すぎるということにではなく、個人主義が空虚な殻になってしまったことに原因がある。自由の勝利は、個人の成長と幸福が文化の目標であり目的であるような社会、…個人の良心や理想が、外部的要求の内在化ではなく真にかれのものであって、かれの自我の特殊性から生まれてくる目標を表現しているような社会にまで、デモクラシーが発展するときにのみ可能である。…今日われわれが直面している問題は、人間――組織された社会の成員としての――が社会的経済的な力の主人となって、その奴隷であることをやめるように、それらの力を組織化することである。
▶デモクラシーへの進歩は、…なによりもまず、すべての人間存在にとって根本的な活動である仕事ということにおいて、個人のじっさいの自由、創意、自発性を強めることにある。
「積極的な自由」は「自発的な活動」のうちに存在し、それを代表する行為として、フロムは「愛」とともに「仕事」を挙げる。そして仕事が、「個人的創意」のもとに行われることが望まれると説く。
▶個人的創意は、自由主義的資本主義のもとにおける経済的組織と人間的発展の一つの大きな刺激であった。…それは、無数に多くの独立した経済的単位に活動の余地をあたえた資本主義の、高度に個人化した競争的場面において、もっともよく作用した原理であった。…もし今日この原理を実現させ、パースナリティ全体が自由になるようにこの原理を拡大させようと思うならば、それは全体としての社会の合理的協調的な努力の上にたち、そして組織の最小単位による真の、純粋な、積極的共同と管理を保証することのできる多くの分権によってのみ可能であろう。
フロムは、上記のような「仕事」の理想を実現できる環境は「計画経済」だとするのだが、その是非はさておき、レビュアーがここで注目したいのは、「積極的な自由」を実現する環境として、「無数に多くの独立した経済的単位」「組織の最小単位による…積極的共同と管理を保証することのできる多くの分権」といった表現が用いられていること。つまり今日の資本主義社会でいえば、企業共同体のような小さな組織こそが、その実現のカギを握るということ。フロムは、バラバラとなった社会に生きる個人に対し、たった「独りぼっち」で力強く立ち向かえと説いているわけではないのである。
そして、ここで想定される共同体は、もちろん中世の教会のような近代がその束縛からの解放を目指した共同体ではなく、「新しい安定」を生み出す基盤としての共同体である。
▶新しい安定は、個人が外部のより高い力から与えられるような保護にもとづいているのではない。新し安定はダイナミックである。それは保護にではなく、人間の自発的な活動にもとづいている。それは人間の自発的な活動によって瞬間ごとに獲得される安定である。それは自由だけが与えることができ、まぼろしを必要とする諸条件を排除しているが故に、なんらまぼろしを必要としない安定である。
「積極的な自由」を実現する、「愛」あるいは「仕事」を基盤とする分権的組織。それは、具体的には「家庭」あるいは「企業共同体(組織共同体)」ということになるだろう――。本書で示されたこのフロムの提言を反芻しつつ、私たちの社会の基盤をなす組織、共同体のあるべき姿への考察を深めてみたいと思う。
もっと少なく読む
15人のお客様がこれが役に立ったと考えています 』