どういう思想を持っても、人間という枠から出れない。

どういう思想を持っても、人間という枠から出れない。
http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/33602359.html

『皆さんは、上記のイラストを見た事はあるだろうか。彼は、「Wojak」と呼ばれるネットミームです。Windowsの標準イラスト作成ツールであるMSペイントで描かれた、このイラストは20代前半の男性。友達はいない。趣味といえば、たまにやるゲーム(PS1)くらい。要するに “非リア充”で、ある世代の若者の絶望や、ニヒリズムを象徴する存在としてさかんにネタにされました。彼のイラストで代表される特定の世代を「ドゥーマー」と呼びます。

また、行動癖の一つとして、「バイト帰りに夜の街をうろつく」というものがあります。意味しているのは、正規雇用に着かず(着けず?)、生きる目標も無く、時間を潰す為に夜の街を彷徨うというイメージです。この彼が、徘徊中にイヤホンで音楽を聞いていたら、どんな感じのスタイルだろうという疑問から始まった音楽のジャンルまであります。それが、ロシアン・ドゥーマー・ミュージックというジャンルです。音楽の形態としては、ロシア語のポスト・パンクです。くだけた言い方をすると、いかにも彼が心なしに聞いていそうな「陰鬱なロシア語によるロック」を延々と、外界と遮断する為だけに聞いているわけです。つまり、意味が取れないロシア語でも、語感が気分に合うので聞いているだけです。

ドゥーマーとは、元々の意味は「終末論者」を意味する言葉です。現代では、特にネットでは、将来の運命に絶望し、疲弊した若者を意味しています。2018年9月頃から、主に英語圏を対象にした、世界最大規模の画像掲示板である4Chanで使われ始めました。(2チャンネルの米国版)ドゥーマーが具体的に指す世代は、1980年代半ばから2000年前後に生まれた世代です。不景気や人間関係、失業などが原因で、鬱状態になってしまった孤独な若者が一つの勢力になるまで増えた世代です。

その特徴は、人口爆発、石油危機、気候変動、環境問題、核問題などの解決の難しい世界の問題に対して、極めて悲観的です。また、人間関係の構築や維持に苦しみ、度重なる失敗と無関心の中、自己嫌悪と鬱病を抱きながら孤立しています。これといった趣味も無く、主に夜行性で、前述の音楽を聞きながら徘徊します。

こうした彼らの行動はドゥーマー主義と呼ばれるようになり、2021年のアンケートだと、アメリカの若者の55%が少なくても理解を示していると回答しました。この原因ですが、ドゥーマーは年金世代を支える現役の労働世代と言えます。そして、親世代よりも貧しいと言われる世代です。また、彼らが過ごした時代背景には、世の中の負の問題が一気に爆発した時期でもあります。9.11米国同時多発テロ、アフガニスタン戦争、イラク戦争、サブプライムローン問題、パンデミックと、数々の惨事が起き、世の中を悲観的、厭世的に見つめるようになりました。

特に、9.11テロは、特に深く考えずに正義と考えていたアメリカの平和が、他国にとって憎しみの対象になっている事を象徴する事件になりました。崩れたのは、単なる貿易センタービルという建物ではなく、特に根拠も無く信じていた、アメリカの都合による正義に対する自信でした。これは、私見ですが、今、ポリコレの嵐が吹きまくって、既存の社会を壊す事にエネルギーが注がれているのは、この時に信じるものが崩れたという原因もあると思っています。代わりに狂信的に信じるものが必要になり、それがポリコレだったという事です。彼らがWOKE(目覚め)という言葉を使いたがるのも判ります。

一言で言うと、「信じるものもなく、テロや戦争、経済不安、過激思想などの恐怖に晒されてきた世代」と言えます。困難な時代でも、信念があれば、さほど悲観論には走りません。餓死者が出るような経済でも、出生率で補うような、ある意味野蛮な能力が生物にはあります。なので、一番の原因は、無邪気に信じていたアメリカの正義が失墜した事が大きいでしょう。今は、アメリカを維持する為の力の行使が、そのまま現役世代の負担になっています。湯水のように使われる軍事費や不法移民に対する費用、環境対策費などは、彼らの親の世代は気にも止めずに済んだ問題です。そして、最近、アメリカは数十年に渡る戦争の結果として、撤退という形で負けています。

ドゥーマー世代の悲観主義、厭世感が育まれたのは、こういう剥き出しの社会問題に打ちのめされたという時代背景があります。希望や期待が無く、いずれ世界は滅びるだろうという緩い絶望の中で、生命を灯す事だけを考えています。こういう価値観で生きる若者を、アメリカの社会は蔑む傾向があります。アメリカの青春映画で必ず出てくる、白人マッチョ信仰は、今も生きています。西部開拓時代から続く、自立自存が最上という価値観は、学校においては、男はフットボール選手、女はチアリーダーというカーストを築いていて、これは大学まで続きます。未だに根っこの部分は、かなり保守的な価値観に支配されていて、これこそがポリコレが過激になる原因です。過激なポリコレの裏には、強固な保守思想が支配する社会があります。

彼らは、人間関係、恋愛、結婚の全てを諦めているわけですが、これ、どっかで聞いた気がしませんか。中国のタンピン世代と、結果的には同じ所に行き着いています。もちろん、原因も背景も、まったく違うのですが、結果だけ見ると、同じなんですよね。結局のところ、政治システムが世の中を変える程、運用する人類が成熟していないという事なのかも知れません。』