インドネシアだけじゃない、アジア民主化に「縁故」の影
編集委員 高橋徹
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD173Q70X10C24A2000000/
『三度目、いや四度目の正直というべきか。3候補が争った14日のインドネシア大統領選は、民間調査機関の推計でプラボウォ国防相が6割近い票を得て、上位2人による決選投票へ持ち越すことなく当選を確実にした。
かつてスハルト独裁政権のエリート軍人だったプラボウォ氏は、数々の人権侵害疑惑があり、1998年に同政権が崩壊すると軍を追われた。国外逃避や実業界での雌伏を経て2004年に政界入りし、自身で「グリンド…
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読みいただけます。』
『他方でジョコ氏は自身の続投の可能性も探った。大統領任期を2期10年までと制限する憲法の改正や、新型コロナウイルス禍からの経済復興を理由に大統領選を延期する案が、ジョコ氏の周辺から何度も浮かんでは消えた。
「ジョコ氏は本気だったが、メガワティ氏が認めなかった。長女でスカルノの孫のプアン国会議長を大統領にしたかったからだ」とインドネシア戦略国際問題研究所(CSIS)のヨセ・リザル・ダムリ所長は話す。』
『インドネシアが同年5月に主催予定だったサッカーの20歳以下(U-20)のワールドカップ(W杯)を巡り、ガンジャル氏は3月、開催州の知事としてイスラエル代表の入国を拒否する声明を出した。その影響は大きく、国際サッカー連盟が直前になって開催地をアルゼンチンへ変更する異常事態を招いた。
世界最大のイスラム人口を抱えるインドネシアは、パレスチナへ同胞意識が強い。父スカルノが1962年のアジア競技大会でイスラエル選手団へのビザ発給を拒んだ経緯もあり、メガワティ氏もそれが顕著とされる。一方、大会を誘致したジョコ氏は顔に泥を塗られた。ガンジャル氏はジョコ氏の応援よりメガワティ氏の後ろ盾を選んだ。
それ以降、ジョコ氏はプラボウォ氏へ肩入れを強める。決定打が23年10月半ば、憲法裁判所による正副大統領候補の法定最低年齢の規制緩和だ。ジョコ氏の義弟のアンワル憲法裁長官が主導し、40歳以上との規定が「地方首長の経験者は適用外」と判断したことで、36歳のギブラン氏がプラボウォ氏のランニングメート(伴走者)に納まった。』
『政治王朝を巡る同様な綱引きは、時を同じくしてフィリピンでも勃発した。1月下旬、マルコス大統領が大統領任期を定めた憲法の規定見直しに言及。これに対し、ドゥテルテ前大統領が、1986年の民衆蜂起「ピープルパワー革命」で長期独裁から失脚した父のマルコス元大統領を引き合いに「オヤジと同様におまえも政権から追い出される」と猛反発した。地元の南部ダバオ市で開いた改憲反対集会には、長女のサラ・ドゥテルテ副大統領や次男のセバスチャン・ドゥテルテ市長も顔をそろえた。
正副大統領をペアで選ぶ米国やインドネシアと違い、フィリピンはそれぞれ別の直接選挙で決める。22年の前回選挙はマルコス氏とサラ氏が共闘した。同国の大統領任期は1期6年で、最長で2期10年のインドネシアより短い。28年の次期大統領選は、再選できないマルコス氏の後継者としてサラ氏が有力視されてきたが、マルコス家が36年ぶりに取り戻した権力をすんなり手放すのかは疑問視されていた。
政治家の世襲はアジアに限ったことではない。ただし欧米や日本での2世や3世の議員は、自らが所属する政党内で経験を積み、当選回数に応じて要職をあてがわれるのが通例だ。
政党自体が家業的なアジアは事情が異なる。』
『「階級闘争で選挙権を勝ち取った欧米と違い、民主主義を旧宗主国から移植された、あるいは王室や軍部といった『上』から与えられた東南アジアでは、政党の力が弱い。政党よりも一族が権力闘争の単位となり、有権者も信頼できるシグナルとみなしている」。亜細亜大の川中豪教授は政治王朝のせめぎ合いの背景をこう分析する。』
『インドネシアにせよ、フィリピンにせよ、最高権力者の大統領に国民が直接投票し、選んだ後も憲法で任期を制限するのは、過去に長期独裁を許した反省からだ。なのに名門一族が王朝化し、権力を保持し続けることは、合法的な「抜け穴」といえる。
それを許すのもまた民意だとしたら「縁故政治=民主化の後退」と単純には片付けられないのか。国家の経済発展を優先して国民の政治的自由は制限した、かつての「開発独裁」とは異なる、現代的な「アジア型民主主義」が投げかける問いである。』