北の父娘に立ちはだかる自由 危うくなった「白頭の血統は安泰」の物語
https://www.sankei.com/article/20240218-L6WS5BFOKNKDRKRGTHUVDQ5H7I/
『日曜に書く 論説委員・長戸雅子
2024/2/18 15:00
紫式部と学者の父
境内の清澄な空気は前夜の雨のせいだけではあるまい。シンボルでもある巨大な灰色の硅灰(けいかい)石と滋賀県内で最古の木造の本堂を木々が包む。平安期の女流文学者がこぞって詣でた古刹(こさつ)は、先人らの憧憬(しょうけい)もかくやと思われる風情に満ちていた。
本堂横の間に「時の人」の像があった。今年の大河ドラマの主人公、紫式部である。紫式部は、ここ大津市の石山寺で源氏物語を起筆したという。
紫式部の文才は学者の父から受けついだところが大きい。
文化庁長官も務めた心理学者、河合隼雄氏は著書『紫マンダラ 源氏物語の構図』で、紫式部を「父の娘」と分析した。「父の娘」とは、父の生き方に影響を受け、自身も才覚を発揮して男性優位の社会で地位を築いた女性をさす。
紫式部は父から、当時は男性の学問とされた漢学を学び、自立心や男性的な視点、思考も身に付けた。男の兄弟もいたが、父は娘に目をかけた。
石山寺の情緒からかけ離れてしまうが、「父の娘」は政治の世界の方が分かりやすいだろう。韓国の朴槿恵(パククネ)元大統領やペルーの国会議員、ケイコ・フジモリ氏らは、カリスマ的存在の父の威光を背景に世に出た。
さて「父の娘」といえば、最近は、10歳前後とされる、ある少女を思い出さざるを得ない。金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党総書記の娘、ジュエ氏だ。韓国の国家情報院は先月、「今のところジュエ氏が有力な後継者とみられる」との見解を明らかにした。
後継者か否か
ジュエ氏が本命の後継候補かどうかについての研究者の見方は分かれている。
「後継者として教育を受け始めているはずです」と語るのは韓国のシンクタンク、世宗研究所の鄭成長(チョンソンジャン)・韓半島戦略研究センター長だ。今月都内で行われた東アジア総合研究所(EARI、姜英之所長)の北朝鮮セミナーに登壇した。
ジュエ氏は一昨年11月、大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射に正恩氏とともに立ち会ったのをはじめとして、20回以上も国営メディアに登場した。
鄭氏は朝鮮労働党機関紙、労働新聞などでジュエ氏に「『尊貴な』お子さま」という表現が使われたことに注目する。
鄭氏によると、この表現が使われたのは、初代最高指導者の金日成氏、正日、正恩各氏と正日氏の実母、正淑氏の4人だけで「首領級の尊称」という。
独裁国家は後継者の出現に神経をとがらせる。権力が分散する恐れがあるからだ。しかし、鄭氏は「ジュエ氏は幼く、内定段階でもあるので権力分散の恐れはない」と明言する。
懐疑的なのは朝鮮半島問題に詳しい李相哲龍谷大学教授だ。
李氏は「北朝鮮がいくら普通の国ではないとしても、朝鮮労働党の党員になれる年齢に達していない少女を今、後継者とすることは考え難い」と話し、こう指摘する。
「独裁国家の権力移譲はそんな生易しいものではない。手を血に染めないと真の権力を手中にできない構造になっている」
正恩氏の異母兄の正男氏、後見人だった叔父の張成沢氏は、いずれも〝粛清〟された。
正恩氏が娘を連れて登場するのは「彼にとって損することは何もないからでしょう。良い父親の顔を見せ、父性あふれるリーダーと印象付けることができる。『(日成氏直系の)白頭の血統』は安泰ということを強調する思惑ではないか」とみる。
住民の統一願望
もっとも「白頭の血統は安泰」と北朝鮮が描く「物語」は危うくなっている。韓国統一省による脱北者6300人への調査では56%が3代世襲に否定的だった。20年ほどまえの調査から30ポイント以上も上がった。4代世襲ならどうなるのか。
EARIのセミナーで講演した南北統一に関する研究者、張琪杓(チャンギピョ)氏は「今ほど北朝鮮の人々が韓国に統一されたいと望んでいるときはない」と断言した。
韓流ドラマを見て自由で発展した韓国に憧れ、韓国を目指して経由地の中国やロシアに身をひそめる脱北者も激増しているという。統一省の調査では脱北者の8割が海外の映像を見ていた。旧東独でも国境付近で視聴できた衛星放送などを通じて、住民は西側の豊かさを知り、再統一への願望を強めた。
北の父娘が対峙(たいじ)しなければならないのは自由からつむがれる数々の物語とその活力だ。それらは奔流のように彼らの足元に押し寄せている。(ながと まさこ)
正恩氏の娘が初登場した日
祖父と父を否定した正恩氏 北で今、大きく動いている事態 西岡力
「女帝」誕生? 〝目くらまし〟説も 黒田勝弘
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